末法末世
嘉応元年(1169年)4月
こんにちは平重盛です。
いやー、昨年はとんでもない1年でした。
清盛パパが倒れたことを知った後白河上皇派が政局が不安定になることを憂慮し、慌てて六条天皇から憲仁親王への譲位が行われた。高倉天皇の即位だ。
高倉天皇はまだ8歳。このところ幼帝が続いている。
けど、これで天皇の血筋が二条天皇から外れたから後白河上皇が院政をしく準備が整った。
後白河上皇は、天皇に対し一定の影響力を持てればそれで良いという考え方だから後白河上皇派と平氏が中心に動くことになる。
「実はさー、ボクも出家しようと思うんだ。」
清盛パパが抜けて、平氏の軍制の再編で忙しい合間を縫って法住寺に行くと、後白河上皇がそんなことを言い出した。
「上皇だとさー、身動きがとりづらいんだよねー。」
「・・・天皇やめるときも、そんなこと言ってませんでしたか?」
たぶん言っていた気がする。
「外出の自由が足りないんだよー。福原とか海とか行ってみたいんだよ。」
意外とアウトドア派なことを言い出したよ。
詳しく聞くと、僕のせいらしい。
僕が遠江や越前に行く度に土産話をするものだから、すっかりどこかに行ってみたくなったようだ。
「でも、そんな理由で出家させてもらえないでしょう?」
「うん、そのあたりはちゃんと言い訳を考えているよ。末法の世だしね。出家して功徳を積みたいんだ。」
平安末期は末法の世だ。
末法というのは、仏教で釈迦の教えから遠く隔たり、僧が戒律を修めず、争いばかりを起こして、仏法がなくなっていくことだ。
まさに今の状態じゃん。仏教滅亡じゃんと僕は思うんだけど、仏教で儲けている人たちは別の解釈をする。
末法の世だからこそ、念仏をしっかり唱えて極楽往生しましょうと。
そうだよねー。仏教なくなったら失業するもんねー。生き残れる解釈を必死になって考えもするわけだ。
「というわけで、ボクは末法の世に救いを求めるために出家するんだ。決して遊興にふけろうとか思ってるわけじゃないんだ。」
「良いですけど、あまり寺社に手を貸さないでくださいね。」
「それは大丈夫。ボクも寺社はキライだからさ。」
後白河上皇が事もなげに言った。知らなかった。そうだったのか。
なら大義名分がそろえば対決してもいいのか?
後白河上皇の、いや、これからは後白河法皇かな。その出家の言い訳をきいてから法住寺を出て、僕は考え込んだ。
末法の世か。ただの迷信だけど、世情はそれに似た状態になっているから信じている人は多い。
もしかして、うまく立ち回れば寺社を排除できるのではないだろうか。
正面きって寺社と戦うのは困難だから、摂関家に限定してじわじわと戦っている。摂関家の勢力を取り込んだら源氏、そして寺社との戦いとなる気がする。
末法の世にあって、民がなお仏教に救いを求めるのであれば、別の救いを提示してやればよい。現に遠江や越前ではそれに成功しつつある。
「でもなあ、この時代の人たちの仏教への思いって根強いからなあ。」
寺社対決の結果が平氏滅亡ではかなわない。
信長はよく対決できたなと思う。ほんとにすごいよ、あなたは。