⑨ 向こうでも使える
アリッサの髪が整ったあと、花凛は自分が着ている湯上がり着をもう一度見下ろした。
前合わせ。
軽い紐。
余裕のある袖。
身体を締めつけない布。
「これ、現実のデザインにも使えそう……」
花凛が呟くと、アリッサが何気なく言った。
「その湯上がり着、向こうでも使えるかもね」
向こう。
花凛の胸が、小さく鳴る。
「……アリッサさん。その『向こう』って、どこですか」
アリッサはきょとんとした。
「え?」
「前も言ってました。人間界ではアクセサリーになるって」
「わたし、そんなこと言った?」
「言いました」
「そっか」
「そっか、じゃなくて」
「でも、向こうで形が変わることはあるよ。こっちで布なら、向こうではブローチとか、リボンとか」
「それ、普通なんですか?」
「普通ではないかな」
「じゃあ何ですか」
「……うーん」
アリッサは少し考えて、首を傾げた。
「忘れものみたいなもの?」
「忘れもの」
「うん。世界をまたぐ時に、全部は持っていけないから。持っていける形に変わるのかも」
アリッサは、また当たり前のように言った。
花凛は、胸元を押さえた。
アリッサの言葉は、いつも軽い。
でも、その軽さの中に、とんでもないものが混ざっている。
向こう。
人間界。
持っていける形。
それは、アリッサが本当は何かを知っているから出る言葉なのか。
それとも、アリッサ本人も知らない場所からこぼれている言葉なのか。
分からない。
けれど、分からないまま聞き流してはいけない気がした。
「アリッサさんは、向こうへ行ったことがあるんですか」
花凛が聞くと、アリッサは少しだけ黙った。
それから、困ったように笑う。
「分かんない」
「分かんない?」
「行ったことがある気もするし、ない気もする」
ルカが櫛を持つ手を止めた。
アリッサはそれに気づかず、窓の方を見る。
「でも、向こうのものって、たまに懐かしい感じがするんだよね。見たことないのに、知ってるみたいな」
花凛は息を止めた。
愛菜。
その名前を、ここで出してはいけない。
けれど、アリッサの言葉のすぐそばに、その名前がある気がした。
ルカは何も言わなかった。
ただ、櫛を持つ手がほんの少しだけ強く握られていた。




