⑧湯上がりのアリッサ
しばらくして、浴室の扉が開いた。
湯気の向こうから現れたアリッサは、さっきより少しだけ血色が戻っていた。
短い蜂蜜色の髪は湿って、頬の横や首筋にやわらかく貼りついている。
頬には淡い赤みが差し、目元の疲れも少し薄れていた。
「……戻った」
アリッサは、ぽつりと言った。
「戻った?」
「うん。さっきまで、身体の端っこがどこか行ってた」
「身体の端っこ」
「あるでしょ。自分の輪郭みたいなの」
花凛は息を呑んだ。
「あります」
「お湯に入ると、戻ってくるんだよね」
アリッサは、頬に貼りついた髪を指先で払った。
「だから、浴室いるなって思ったんだと思う。たぶん」
「たぶんなんですね」
「たぶん」
アリッサはゆるく笑った。
その笑い方は、昨日よりずっと軽かった。
ルカが乾いた布を差し出した。
「お身体は」
「だいぶ戻った」
「それは何よりです」
「ルカ、顔が安心してる」
ルカの手が、わずかに止まった。
「……そのように見えますか」
「見えるよ」
「失礼いたしました」
「なんで謝るの」
「顔に出すべきではありませんでした」
「出していいよ。分かりやすいし」
アリッサは軽く笑った。
けれど、首筋に貼りついた短い髪が気になるのか、指先で何度か払っている。
ルカは少し迷ってから、櫛を取った。
「髪を整えてもよろしいですか」
「自分でできるよ」
「今日はおやめください」
「過保護」
「実績がございます」
「便利だね、その言葉」
「はい」
アリッサは肩をすくめた。
「じゃあお願い。店主の髪が跳ねてると、キノコたちに笑われるし」
「キノコは笑いません」
「笑うよ。たぶん」
「……たぶん」
ルカは否定を諦めた。
アリッサは椅子に腰掛ける。
ルカはその少し横に立ち、短い蜂蜜色の髪に櫛を入れた。
長い髪を梳くのとは違う。
ひと房ずつ、毛先の向きを整えるように。
濡れて頬に貼りついた髪を、そっと耳の方へ流すように。
ほんの短い動きだった。
けれど、その手つきは丁寧すぎた。
髪を整えているというより、触れてしまう理由を慎重に選んでいるみたいだった。
アリッサは一瞬だけ黙った。
「……くすぐったい」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいよ」
ルカの指が、耳元の髪をそっと整える。
アリッサは視線を逸らした。
「こういう時だけ、手つきがやさしいよね」
「いつも乱暴にしているつもりはありません」
「そうじゃなくて」
「では?」
「……なんでもない」
花凛は静かに視線を逸らした。
やっぱり、見てはいけないものを見ている気がした。
ユリウスはと言えば、最初から壁の方を見ていた。
「ユリウスさん?」
「見ていない」
「まだ何も言ってないです」
「見ていない」
その頑なさに、花凛は少しだけ笑いそうになった。
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