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眠るたび異世界の少女と入れ替わる服飾学生は、滅びかけた都を繕う  作者: 魔法使いアリッサ
6章 お風呂がない!

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⑤ 自分の身体に戻る



 服を脱ぎ、湯で身体を流した瞬間、花凛は思わず深く息を吐いた。


「……っはあ」


 温かい水が肩を滑る。

 首筋から背中へ落ちていく。

 肌に残っていた緊張が、少しずつ流れていく気がした。


 この世界に来てから、ずっと何かが肌の上に残っていた。


 館の空気。

 鏡の気配。

 レイナの記憶。

 勇気くんの朝。

 ルカの沈黙。

 アリッサの不調。

 蒼の寝起き事件。


 全部、身体の外側と内側に薄く積もっていた。


 湯は、それを一枚ずつほどいていく。


 薬草石鹸は、思ったより優しい泡だった。


 現実の石鹸ほど強い香りはない。

 青い草と、少しだけ花の匂い。

 泡立ちは控えめだけれど、肌に残る感じが少ない。


 花凛は腕を洗いながら、ふと思った。


 洗える布。


 洗える美しさ。


 レイナが足した線。

 自分が書いた「身体を休めること」。

 その意味が、ここで少し変わった。


 服は、着る時だけでは終わらない。


 汗を吸う。

 肌に触れる。

 汚れる。

 洗う。

 乾かす。

 また着る。


 そこまで含めて、服だ。


 美しいだけで、洗えない服。

 香りでごまかす服。

 身体を締めつけて、休ませない服。


 それでは、人は息ができない。


「……洗える美しさ」


 花凛は小さく呟いた。


 言葉が、湯気の中でゆっくり浮かんだ。


 浴槽に足を入れる。


 温かい。


 熱すぎない。

 ぬるすぎない。

 ちょうど、身体が受け入れられる温度だった。


 ルカの調整だろう。


 花凛はゆっくり湯に沈んだ。


 肩まで浸かった瞬間、思わず目を閉じる。


 湯が身体を包む。


 布でもない。

 誰かの視線でもない。

 役割でもない。


 ただ、温かい水。


 その中で、花凛は久しぶりに、自分の身体に戻ってきた気がした。


「……ああ」


 声が漏れた。


 泣きそうだった。


 なぜお風呂で泣きそうになるのか、自分でもよく分からない。


 でも、身体が安心している。


 それだけは分かった。


 花凛は湯の中で、少しだけ瞬きをした。


『……温かい』


 レイナだった。


 レイナの声が、いつもより近い。


 鏡の前や館の廊下で聞こえる時とは違う。

 胸の奥からではなく、同じ湯気の中にいる誰かが、すぐ隣で呟いたように聞こえた。


「レイナ、今日近くない?」


『……近いわね』


「レイナも分かるんだ」


『認めたくはないけれど。あなたの身体がほどけると、私との境界も少し緩むみたい』


「身体がほどけると?」


『ええ。あなたが気を張っている時、私は奥に沈む。でも、こうして湯に沈んで、身体の力が抜けると……押し込めていたものが浮く』


 花凛は湯面を見た。


 自分の顔は湯気でぼやけている。

 けれど、胸の奥にいるレイナの気配だけは、前より少し輪郭を持っていた。


「じゃあ、このお風呂はレイナにも効くんだ」


『効く、という言い方は気に入らないわ』


「じゃあ?」


『届きやすくなる』


 レイナの声は不本意そうだった。


『この湯は、身体を清めるだけじゃない。輪郭を戻す。あなたの輪郭が戻ると、私の輪郭も少し浮かぶ』


「だから、喋りやすい?」


『そうみたいね』


 花凛は、肩まで湯に沈んだ。


 自分の身体に戻るための湯。

 でも同時に、内側にいるレイナの輪郭まで浮かび上がらせる湯。


 ルカが言っていた。


 これは、調律浴室だ。


 身体と魔力の揺れを整える場所。


 なら、花凛とレイナの境界が少し整ったり、少し緩んだりしても、不思議ではないのかもしれない。


 花凛は目を開ける。


『こんなに、身体がほどけるものなのね』


 レイナの声は、いつもより少しだけ遠く、少しだけ柔らかかった。


「そっちには、こういうのない?」


『湯浴みはあるわ。でも、日常ではない。身を清めるためのもの。こうして、何もしないために入るものではない』


「何もしないため」


 花凛はその言葉を繰り返した。


 いい言葉だと思った。


 お風呂は、何もしないための場所でもある。


 役割を脱ぐ。

 服を脱ぐ。

 香りも、飾りも、言い訳も、少しだけ外す。


 ただ身体でいる場所。


「レイナも、こういう場所が必要だったんじゃないかな」


 花凛が言うと、レイナはしばらく黙った。


『……分からないわ』


「うん」


『でも、嫌ではない』


「そっか」


 花凛は湯の中で膝を抱えた。


「今度、ちゃんと一緒に入れたらいいね」


『一緒に?』


「あ、いや、身体問題がややこしいけど」


『あなた、時々すごく雑に難しいことを言うわね』


「ごめん」


 レイナが、小さく笑った気がした。


 湯気の向こうで、ステンドグラスの光が揺れる。


 花凛は、もう一度深く息を吐いた。


 この世界に、こういう場所がもっと必要だ。


 アリッサの店だけでは足りない。


 館だけでも足りない。


 身体を休められる場所。

 洗える場所。

 清潔と香りを分けて考えられる場所。


 そういう場所が。


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