④ 奥の浴室
アリッサの魔法用具店の奥には、もう一枚、細い扉があった。
昨日までは気づかなかった。
棚と布の影に隠れるようにして、静かにそこにあった。
ルカが扉を開けると、ふわりと湯気が流れ出した。
花凛は思わず息を呑んだ。
そこは、浴室だった。
大正浪漫のタイル。
ロココ調の猫脚バスタブ。
真鍮の蛇口。
小さなステンドグラスの窓。
壁には、薬草を乾かすための細い棚。
天井からは、星の形をした硝子の飾りが吊るされている。
湯気の向こうで、浴槽の湯が淡く光っていた。
花の香り。
薬草の青い匂い。
温かい水の気配。
花凛は、危うくその場で拝みそうになった。
「お風呂だ……」
声が震えた。
「厳密には、調律浴室です」
ルカが言った。
「調律浴室」
「身体と魔力の揺れを整えるための浴室です。湯の温度や薬草の種類を、その日の状態に合わせて変えます」
「高性能お風呂……」
「こうせいのう?」
「すごいという意味です」
ルカは真面目に頷いた。
「ありがとうございます」
「褒めてます」
「承知しました」
ユリウスは浴室の入り口で足を止めていた。
「俺はここで待つ」
「そうしてください」
花凛は即答した。
ユリウスは少しだけ頷いた。
「当然だ」
ミモザも入り口で立ち止まる。
「お手伝いは必要ですか?」
「大丈夫。ひとりで入れる」
「分かりました。何かありましたら、すぐ呼んでください」
「ありがとう」
ルカも一歩下がる。
「必要なものはここに揃えてあります。湯は熱すぎないよう調整しました。香油は使わず、洗浄用の薬草石鹸を置いています。肌に合わない場合はすぐにお知らせください」
「薬草石鹸」
「泡立ちは現実のものほどではないかもしれませんが、汚れを落とすには十分かと」
「ルカさん、やっぱり清潔の概念がかなり現代寄りですよね」
花凛が言うと、ルカはわずかに目を伏せた。
「そうでしょうか」
「そうです」
「……以前から、香りで清めたことにする文化には、疑問がありました」
「それです」
花凛は強く頷いた。
「いい匂いと清潔は違います」
「ええ」
ルカの返事は静かだったが、妙に力があった。
「湿った布を使い回すのも、あまり良くありません。傷口に触れたものと、肌を拭うものは分けるべきです。湯浴みの後の布も、乾きやすいものを使った方がよい」
花凛は目を丸くした。
「ルカさん、詳しすぎません?」
「必要なことですから」
その言い方が、どこか勇気くんに似ていた。
現実で、素材や身体のことを自然に考えるあの人に。
花凛は一瞬だけ、記憶の鏡で見た朝を思い出した。
濡れた金髪。
タオルで丁寧に髪を拭く手。
肌や髪を傷めないように扱う感覚。
ルカと勇気くんが、また少し重なった。
「では、ごゆっくり」
ルカはそう言って、扉の外へ下がった。
花凛は浴室に一人残される。
湯気が、ふわりと頬に触れた。
「……生き返る」
まだ入ってもいないのに、もう半分救われていた。




