①館で目覚める
花凛が目を覚ましたのは、館の一室だった。
天井が高い。
カーテンが重い。
窓の外には、現実ではありえない色の朝が広がっている。
薄い青と、淡い金。
その間に、桃色の雲が少しだけ溶けていた。
ここは、アリッサの魔法用具店ではない。
館だ。
花凛はしばらく天井を見つめたまま、ぼんやりしていた。
現実の部屋。
机の上のデザイン画。
深緑の線。
レイナが書いた文字。
蒼の、反省しすぎて布団の端に寄っていた顔。
そこまでは覚えている。
そのあと、眠った。
そして今、ここにいる。
「……戻ってきた」
声に出すと、身体の奥が少しだけ揺れた。
完全に自分の身体なのか、それとも誰かの身体を借りているのか、まだ分からない。
でも、以前よりは少しだけ、感覚がはっきりしている。
指先を動かす。
手首を回す。
肩を起こす。
身体は動く。
けれど、重い。
昨日の現実の作業の疲れなのか、こちらの世界に来た時の揺れなのか、身体の芯に湿った布を巻かれているようなだるさがあった。
花凛はゆっくり上体を起こした。
シーツが肌に触れる。
柔らかい。
けれど、どこか落ち着かない。
この世界の布は美しい。
手触りもいい。
でも、現実の洗いたての布団とは違う。
ふと、昨夜ノートに書いた言葉が頭をよぎった。
身体を休めること。
清潔にすること。
洗うこと。
湯に浸かること。
自分の身体に戻ること。
その瞬間、花凛は固まった。
「……お風呂入りたい」
切実だった。
ものすごく、切実だった。
昨日からずっと、心も身体も境界をまたぎ続けている。
レイナの記憶を見た。
勇気くんの朝を見た。
現実ではレイナが花凛の机に線を足した。
蒼は寝起き三件目未遂を起こした。
情報量が多い。
多すぎる。
そして、身体が追いついていない。
花凛は布団の上で膝を抱え、しばらく真顔で考えた。
そういえば、この世界に来てから、まともにお風呂に入っていない。
いや、軽く身支度はした。
水で手や顔を洗ったり、香りのする布で拭いたりはした。
でも、それは違う。
全然違う。
「……待って」
花凛は小さく呟いた。
「この世界、もしかして、お風呂ない?」
部屋の中で、返事はなかった。
重いカーテンだけが、朝の風にわずかに揺れている。
嫌な予感がした。
かなり、嫌な予感がした。




