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眠るたび異世界の少女と入れ替わる服飾学生は、滅びかけた都を繕う  作者: 魔法使いアリッサ
第五章 眠れば異世界、目覚めれば締切

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⑧帰ってきた花凛



 夕方近くになって、レイナは急に眠気を覚えた。


 身体の奥から、糸を引かれるような感覚。


 花凛の身体が、どこかへ戻ろうとしている。


「……来るわ」


 レイナは呟いた。


 蒼が顔を上げる。


「何が」


「たぶん、花凛が戻る」


 蒼の表情が変わった。


「本当に?」


「分からない。でも、身体がそう言っている」


「身体が……」


 蒼は立ち上がりかけて、すぐに止まった。


 近づきすぎないようにしている。

 さっきの件がよほど効いているらしい。


 レイナはそれを見て、少しだけ評価を上げた。


「蒼」


 名前を呼ぶと、彼は真剣な顔で返事をした。


「何」


「花凛に伝えなさい」


「うん」


「私は、彼女の現実を少し見た。締切という敵は厄介だけれど、逃げられない敵ではない」


「それ、そのまま伝える?」


「伝えなさい」


「分かった」


「それから」


 レイナは机の上のスケッチを見た。


 深緑の中心色。

 星のような刺繍。

 身体を閉じ込めない布。


「この線は、勝手に描いた。怒るなら、次に会った時に聞く」


「たぶん怒らない」


「それも伝えなさい」


「分かった」


「それから」


 レイナは蒼を見た。


「寝起き三件目未遂についても、あなたの口から謝罪しなさい」


 蒼は一瞬で項垂れた。


「はい……」


「私からも報告するけれど」


「二重報告……」


「当然よ」


「はい……」


 そこで、レイナは少しだけ笑ってしまった。


 自分でも驚いた。


 蒼も驚いた顔をした。


「今、笑った?」


「気のせいよ」


「絶対笑った」


「黙りなさい」


「はい」


 視界が少しずつ霞んでいく。


 現実の部屋。

 机。

 デザイン画。

 蒼の困った顔。


 全部が遠ざかる。


 最後に、レイナは机の上のノートに手を置いた。


「花凛」


 届くか分からない名前を呼ぶ。


「あなたの現実も、悪くないわ」


 その瞬間、意識が沈んだ。


   *


 花凛が目を開けた時、最初に見えたのは蒼の顔だった。


 なぜか、布団から少し離れた場所で正座している。


「……何してるの」


 花凛がかすれた声で聞くと、蒼は深く頭を下げた。


「ごめん」


「何が?」


「寝起き三件目未遂を起こしました」


「は?」


 花凛は一瞬で目が覚めた。


 蒼は顔を上げない。


「あと、一件目と二件目についても、改めて謝罪します」


「待って。何の話?」


「レイナさんから報告があると思うけど、俺から先に謝るべきだと思って」


 花凛は固まった。


「……レイナさん?」


 蒼が顔を上げる。


 その表情は真剣だった。


「うん。会った」


 花凛は、布団の中でしばらく動けなかった。


 レイナが、蒼に名乗った。

 蒼が、それを受け入れた。


 現実と異世界の境界が、またひとつ越えられている。


「え、待って。ちょっと待って」


「待つ」


「情報量が多い」


「俺も朝からずっとそうだった」


 蒼は静かに言った。


「でも、花凛」


「何」


「レイナさん、ちゃんと君のこと見てたよ」


 花凛は黙った。


 蒼は机の方を示す。


「あと、これ」


 花凛はゆっくり起き上がり、机を見た。


 そこには、描きかけだったデザイン画がある。


 でも、線が増えていた。


 自分では描いていない線。


 長い布。

 深緑の中心。

 星のような刺繍。

 締めつけないサッシュ。

 そして、ノートの端に書かれた文字。


『息ができる服』

『守るために閉じ込めない』


 花凛は、その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。


 これは、自分の字ではない。

 でも、自分が探していた言葉だった。


「……レイナ」


 花凛は小さく呟いた。


 涙が出そうになって、慌てて目をこすった。


 蒼はそれを見て、少しだけ笑った。


「泣くと思った」


「泣いてない」


「泣いてる」


「うるさい」


「ごめん」


「謝るの早いな」


「今日は謝ることが多すぎるから」


 花凛は思わず笑ってしまった。


 笑いながら、もう一度デザイン画を見る。


 異世界で見たものが、現実に流れ込んでいる。

 レイナが見たものが、自分の線に重なっている。


 それは、少し怖い。

 でも、嬉しい。


 ひとりで作っていると思っていた服が、いつの間にか誰かと一緒に縫い始めている。


 花凛はノートを開いた。


 レイナの線の横に、自分の文字で書き足す。


『深緑を中心にする』

『星の刺繍』

『一枚布のドレープ』

『帯っぽいサッシュ』

『息ができる服』

『守るために閉じ込めない』


 書きながら、花凛は思った。


 この服は、ただのコンテスト作品ではない。


 現実と異世界の間にかける布だ。


 レイナの痛みも。

 アリッサの静けさも。

 ルカの待つ目も。

 勇気くんが探している名前も。

 蒼の不器用なやさしさも。


 全部が、少しずつ線になっている。


「蒼くん」


「うん」


「私、作る」


 蒼は静かに頷いた。


「うん」


「たぶん、まだ全然間に合ってないし、分かんないことだらけだけど」


「うん」


「でも、作る」


「うん」


 花凛は、デザイン画を見つめた。


 その時、窓の外から風が入った。


 紙の端が揺れる。

 深緑の線が、ふっと息をしたように見えた。


 花凛は鉛筆を握った。


 現実の机の上で、異世界の布が動き始める。



5-9 眠る前の予感


 その夜、花凛は机に向かったまま、ぎりぎりまで作業を続けた。


 蒼はキッチンで温かい飲み物を作って、机の端に置いた。


「水分」


「ありがとう」


「あと、何か食べる?」


「今はいい」


「その『今はいい』って、あとで忘れるやつじゃない?」


「う……」


「じゃあ、小さいやつ置いとく」


 蒼は小皿に少しだけ食べ物をのせて、飲み物の隣に置いた。


 花凛は鉛筆を持ったまま、それをちらりと見る。


「なんか、介護されてる」


「見守りです」


「言い方」


「締切前の人間は、放っておくと水分と食事を忘れる」


「それはそう」


 蒼は少し笑って、ベッドの端ではなく、机から少し離れた床に座った。


 近すぎない距離。


 朝の件を、かなり気にしているのが分かる。


「……蒼くん、そんな離れなくても」


「今日は自粛します」


「寝起き事件?」


「はい」


 蒼は真顔で頷いた。


「三件目未遂までいった男なので」


「言い方が重い」


「実際重い」


 花凛は笑ってしまった。


 笑えることが、少しだけありがたかった。


 そのあと、作業は静かに進んだ。


 机の上には、広げた資料とデザイン画。


 インドの一枚布。

 館の記憶。

 図書館の鏡。

 アリッサの店。

 レイナの線。


 花凛は、ノートの最後に小さく書いた。


『次は、身体を休めること』


 書いてから、自分で首を傾げた。


 なぜそんなことを書いたのか分からない。


 でも、手が勝手に動いた。


 身体を休めること。


 清潔にすること。

 洗うこと。

 湯に浸かること。

 自分の身体に戻ること。


 花凛はふと、思った。


 そういえば、フローラミラージュで、ちゃんとお風呂に入っていない。


「……え」


 声が出た。


 今さらだった。


 いや、今さらすぎる。


「待って。私、向こうで風呂入ってなくない?」


 蒼が床から顔を上げた。


「風呂?」


「異世界の」


「異世界の風呂事情?」


「そう」


「急に生活感が強いな」


「いや大事でしょ!?」


「大事だな」


 蒼は真面目に頷いた。


「かなり大事」


 花凛はノートを見下ろした。


 身体を休めること。


 次に向こうへ行ったら、確認しなければならない。


 風呂はあるのか。


 それとも、ないのか。


 嫌な予感がした。


 かなり、嫌な予感がした。


「蒼くん」


「うん」


「もし私が向こうでお風呂ないって言われたら、現実に戻ってきた時めっちゃ長風呂するかもしれない」


「お湯ためとく?」


「まだ早い」


「でも、ありえるんだろ」


「ありえる」


「じゃあ、覚えとく」


 その自然さに、花凛は少しだけ泣きそうになった。


 変な話をしても、蒼は笑い飛ばさない。

 困りながらも、現実の側で準備をしようとしてくれる。


 それが、今はとてもありがたかった。


 花凛は鉛筆を置き、布団に入った。


 蒼は部屋の灯りを少し落としてから、いつもの場所に入る。

 けれど、今日は少し距離を取って横になった。


「遠くない?」


「自粛中なので」


「まだ言ってる」


「しばらく言う」


 花凛は小さく笑った。


「おやすみ」


「おやすみ。何かあったら起こして」


「寝てる間に何かあるんだけどね」


「それもそうだな……」


 蒼は困ったように笑った。


 眠気はすぐにやってきた。


 意識が沈む直前、どこか遠くで水の音がした気がした。


 湯気ではない。

 波でもない。


 まだ知らない、異世界の水音。


 花凛は、その音に引かれるように目を閉じた。


 次に目覚めたら、たぶん。


 とても大事で、とても現実的な問題にぶつかる。


 風呂がない。


 その予感だけが、妙にはっきりしていた。

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