5章 ⑤ 学校へは行かない日
結局、その日は学校へ行かないことになった。
蒼が連絡文を考え、レイナが横から必要以上に厳しい表現を加えようとして、何度か止められた。
「『本日は身体の境界が不安定なため欠席します』はだめ?」
「だめ。先生が心配する」
「事実なのに」
「事実をそのまま書けばいいってもんじゃない」
「現実の文章は不便ね」
「異世界の事情を学校に送る方が不便だと思う」
最終的には、体調不良のため自宅で作業を進める、という無難な連絡になった。
レイナは不満そうだったが、蒼は心底ほっとしていた。
午前中は、資料整理に使った。
花凛のノート。
インド衣装の資料。
大正ロマンの写真。
ロココの装飾。
和服の帯。
魔法用具店のスケッチ。
記憶の鏡の縁取り。
現実の机の上に、フローラミラージュが少しずつ広がっていく。
レイナは、花凛の身体で鉛筆を持った。
最初は力加減が分からず、線が濃くなりすぎた。
「この身体、手が軽い」
「そういう表現なんだ」
「私の身体と違う。少し頼りないけれど、細かい線は引きやすい」
レイナは試しに、布の端を描いた。
館のカーテンではなく、アリッサの店で見たリボンでもない。
一枚布の端が、風に揺れる線。
そこに、記憶の鏡の蔓草模様を少しだけ足す。
蒼は横で黙って見ていた。
「何」
「いや、上手いなって」
「花凛の手が覚えているのよ」
「でも、描いてるのは君だろ」
レイナは鉛筆を止めた。
その言葉は、妙に胸に残った。
花凛の身体。
花凛の手。
花凛の机。
けれど、今線を引いているのはレイナ。
これは、花凛のものなのか。
レイナのものなのか。
境界がまた揺れる。
「……勝手に描いて、花凛は怒らないかしら」
レイナが呟くと、蒼は少し考えた。
「怒らないと思う」
「なぜ」
「たぶん、花凛は君が見たものを知りたがる」
蒼は、レイナの描いた線を見る。
「君が何を感じたかも、知りたがると思う」
レイナは返事をしなかった。
花凛なら、そう言う気がした。
勝手に分かった気になりたくない。
話してほしい。
そう言っていた。
なら、自分も返さなければならない。
見たものを。
感じたことを。
レイナはノートの端に、小さく文字を書いた。
『息ができる服』
その下に、もう一つ。
『守るために閉じ込めない』
蒼がそれを見て、黙った。
しばらくしてから、小さく言う。
「それ、いいな」
「そう?」
「うん。花凛に必要な言葉だと思う」
レイナは、鉛筆を握り直した。
不思議だった。
現実世界は、うるさくて、奇妙で、よく分からないものだらけなのに。
花凛の机の前にいると、少しだけ居場所ができた気がした。
ここにも、息ができる場所はある。
そう思えた。




