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眠るたび異世界の少女と入れ替わる服飾学生は、滅びかけた都を繕う  作者: 魔法使いアリッサ
第4章 魔法の図書館と調律鏡

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⑧戻ってきたのね


図書館を出る頃には、空の色が変わっていた。


薄い紫。夕方のようで、夜明けのようでもある色。


花凛はしばらく無言で歩いた。ノエルは図書館の扉の前で見送るだけで、何も言わなかった。ルカだけが、店まで送ると言って隣にいる。


沈黙が続いた。いつもなら、ルカの沈黙は落ち着く。でも今は、少し息苦しかった。


「ルカさん」


花凛は立ち止まった。彼も止まる。


「はい」


「勇気くんのこと、知ってるんですよね」


ルカの表情は変わらなかった。けれど、空気が変わった。ほんの少し、温度が下がったように感じた。


「……なぜ、そう思われるのですか」


「さっき、反応したから」


花凛はまっすぐ言った。名前が漏れた瞬間のことを、ルカは否定しなかった。できなかった、のかもしれない。


「それに、勇気くんも愛菜さんを探していました。現実世界で」


ルカは黙った。その沈黙が、何よりの答えのようだった。


「ルカさんは、勇気くんと何か関係があるんですか」


ルカは、すぐには答えなかった。遠くで鐘が鳴った。図書館の時計かもしれない。館の鐘かもしれない。


やがて、彼は静かに言った。


「……探している人がいます」


「愛菜さんですか」


「はい」


「勇気くんと同じですね」


ルカの目が、少しだけ揺れた。


「そう、ですね」


その答え方が、あまりにも痛そうだった。花凛は息を呑む。


聞きたい。もっと聞きたい。ルカと勇気くんは何なのか。どうして同じ人を探しているのか。なぜ、アリッサの前で愛菜の名を出してはいけないのか。


けれど、ルカの横顔があまりにも遠くを見ていて、花凛は一度言葉を飲み込んだ。


「私、ちゃんと知ります」


花凛は言った。「レイナのことも、愛菜さんのことも。勇気くんのことも、ルカさんのことも」


ルカは花凛を見た。


「怖くはありませんか」


「怖いです」


花凛は正直に答えた。


「でも、怖いからって見ないふりしてたら、たぶん何も作れないので」


「作る?」


「服も、物語も、人との関係も」


口にしてから、花凛は自分で少し照れた。でも、ルカは笑わなかった。むしろ、ひどく静かな顔をした。


「あなたは、強い方ですね」


「強くないです。締切があるだけです」


ルカが今度こそ、かすかに笑った。花凛はそれを見て、少しだけ肩の力を抜いた。


魔法用具店に戻ると、店の灯りは少し落とされていた。棚の瓶も、布の束も、眠る前のように静かだった。


奥の部屋では、ユリウスが寝台のそばに立っていた。椅子はあるのに座っていない。剣を持たない騎士みたいに、ただ静かにそこにいる。


「何かありましたか」


ルカが尋ねると、ユリウスは首を横に振った。


「ない。アリッサ殿は一度目を覚ましたが、すぐに眠った」


「ありがとうございます」


「礼はいらない。頼まれたことをしただけだ」


ユリウスはそう言って、花凛を見る。


「そちらは」


「……いろいろ見ました」


「そうか」


ユリウスは、それ以上聞かなかった。彼のそういうところは、少し不器用で、少しやさしい。


ルカはすぐに寝台のそばへ行く。その足音が、扉口から寝台まで近づくにつれて、少しずつ小さくなっていった。踏み込む音を、抑えているようだった。起こしてしまわないように。驚かせてしまわないように。


「お加減は」


その声が、ほんの少しだけ低くなった。花凛に向ける時の丁寧さとは違う。もっと近くて、もっと抑えている声だった。


アリッサは薄く目を開けた。


「少し楽になった」


その言葉を聞いた瞬間、ルカの肩から何かが降りた。目には見えない。でも、花凛には分かった。彼はずっと、それを聞くために帰ってきたのだ。


「無理をなさいませんよう」


「そればかりね」


「あなたが聞いてくださらないので」


アリッサが、かすかに笑った。その笑みを見たルカの表情が、ほんの一瞬だけほどける。丁寧さの膜が薄くなって、その下にある何かが、少しだけ透けた。


安堵だった。それも、ただの安堵ではない。崩れそうなほどの安堵を、かろうじて形に保っているような、そういう顔だった。


花凛は、静かに視線を逸らした。やっぱり、見てはいけないものを見ている気がした。


アリッサは、花凛に目を向ける。


「見たのね」


「……はい」


「怖かった?」


「怖かったです」


花凛は正直に言った。「でも、見てよかったかは、まだ分かりません」


「それでいいと思う」


アリッサはそう言って、少しだけ目を細めた。「記憶って、すぐ意味くれないから」


その言葉に、花凛は少しだけ黙った。アリッサは、どこまで知っているのだろう。花凛は飲み込んだ。ルカに止められた言葉を。


「今日は休んで」


アリッサが言う。「あなたも揺れてるし」


「揺れてる?」


「うん。境界が」


当たり前のことみたいに、言われた。花凛には、何が揺れているのか分からない。でも、身体の奥に自分ではない誰かの気配があることだけは、分かった。


「分かりました」


花凛は頷いた。


ルカが出口まで送ろうとした時、アリッサが小さく声を漏らした。


「……戻ってきたのね」


寝ぼけたような声だった。


ルカの足が止まる。花凛も、ユリウスも、思わず振り返った。


アリッサは目を閉じたまま、薄く笑っている。夢と現実の境目にいるようだった。


ルカは、しばらく答えなかった。


店の中が、しんと静まっている。棚の瓶も。窓辺の薬草も。花凛も。ユリウスも。何もかもが、彼が答えるのを待っていた。


やがて、ルカはアリッサの方へ一歩だけ戻った。寝台のそばに立ち、その顔を見下ろす。


眠りかけているアリッサの顔。薄く笑ったまま、静かに呼吸している。


ルカは何も言わなかった。ただ、手を伸ばして、枕の端に乱れていた髪を、ひとすじだけ直した。触れるか触れないかの、ほとんど気配だけの手つきで。


その時。アリッサが、わずかに寝返りを打った。ほんの少し、こちらへ顔を向けて。


ルカはそのまま動けなくなった。


近い。


薄く開いた唇。落ちかけた睫毛。熱を帯びた頰の色。いつもは凛として、誰の前でも揺れない顔。それが今は、無防備なままそこにある。


ルカの視線が、止まった。止まってしまった。


意識する前に、身体が少しだけ傾いていた。引き寄せられるというより、重力が変わったみたいに。息が、かかりそうな距離。


アリッサの睫毛が、かすかに揺れる。


その瞬間、ルカの頭の奥で、別の顔が重なった。


短く切りそろえた黒髪。少し強がりな目元。笑うと少しだけ眉が下がる——愛菜の顔。


なぜ今、と思う間もなかった。


ただ、重なった。


アリッサの顔の上に。あちらとこちらが、一瞬だけ同じ場所に落ちた。


ルカは、自分の呼吸が止まっているのに気づいた。どちらを見ているのか、分からなくなっていた。目の前にいるのは、アリッサだ。分かっている。でも——


ルカは、目を閉じた。


そして、ゆっくりと身体を起こした。一度だけ、深く息を吐く。静かに。音を立てずに。


花凛は、息を止めたまま壁際に立っていた。見てしまった。完全に、見てしまった。


ユリウスは窓の外を向いていた。意図的に、向いていた。


「……はい」


ルカはようやく口を開いた。声は、驚くほど平静だった。でも、その平静さがかえって、どれだけ揺れていたかを教えていた。


「戻りました」


アリッサは、何も気づいていないように見えた。薄く笑ったまま、眠りの底へ沈んでいく。


ルカは一瞬だけ、その顔を見た。それから、静かに視線を外した。


花凛は、胸が痛くなった。


主従にしては近い。恋人にしては遠すぎる。でも今は、もうひとつ分かったことがある。


ルカの中には、アリッサとも違う誰かがいる。その誰かと、アリッサが重なる瞬間がある。そして彼は、その瞬間に——自分で、止まる。


なぜ止まるのか、花凛にはまだ分からなかった。でも、その止まり方が、とても痛そうだった。


絡まった糸が、ほどけるのではなく、もっと深く、もっと複雑に結ばれていく。


花凛はそう思いながら、うまく声が出なかった。

ここで3章完結です!

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