④記憶の鏡
ルカは迷わず奥へ進んでいく。
その背中を追いながら、花凛はふと尋ねた。
「ルカさんは、記憶の鏡を見たことあるんですか」
ルカの足が、ほんのわずかに遅くなった。
「ありません」
「ないんですか」
「ええ」
「意外です。詳しそうなのに」
「僕が知っているのは、鏡の扱い方ではなく、鏡が危ういということだけです」
「危うい……」
「見えたものを、そのまま信じすぎると、戻れなくなることがあるそうです」
戻れなくなる。
その言葉に、花凛は喉の奥が詰まるのを感じた。
「それって、現実に?」
「あるいは、自分自身に」
ルカの声は静かだった。
花凛は黙った。
その時、どこかの棚で本が一冊落ちた。
開いたページから、小さな光がこぼれて床を這う。光はすぐに消えた。
図書館そのものが、何かを思い出しているようだった。
ルカが足を止めたのは、図書館のさらに奥だった。
小さな扉がある。
扉には鍵穴が三つあった。
ノエルがいつの間にか後ろに立っていて、細い鍵を一つ差し出した。
音もなかった。
花凛はびくっと肩を跳ねさせる。
「い、いつから」
「先ほどから」
「気配がなさすぎる……」
ノエルは何も答えなかった。
ルカは鍵を受け取り、真ん中の鍵穴に差し込む。
かちり、と音がした。
扉が開く。
中は、丸い部屋だった。
壁一面に本棚がある。
けれど、本は一冊もタイトルを見せていない。すべて背表紙が白く、無地だった。
部屋の中心に、大きな鏡が立っている。
縁は黒に近い古びた金属。
蔓草のような装飾が絡み、ところどころに小さな宝石が埋め込まれている。
華やかというより、古い傷の上に飾りを施したような印象だった。
鏡面は暗い。
何も映っていない。
花凛は、その前に立った。
「これが……」
「記憶の鏡です」
ルカが言った。
鏡の横には、古い真鍮の札が掛かっていた。
そこには、細い文字でこう刻まれている。
『記憶の鏡。
顔を映すものにあらず。
残響を映すものなり。
長く覗くべからず。
呼ばれた名に、返事をしてはならない』
「呼ばれた名に、返事をしてはならない……?」
花凛が読み上げると、ルカの表情がわずかに曇った。
「お気をつけください」
「返事したら、どうなるんですか」
「分かりません」
「分からないのに怖いやつだ」
「はい」
そこは否定しないんだ、と花凛は思った。
鏡面を見つめる。
最初は何も映っていなかった。
けれど、花凛が近づくと、暗い面にうっすらと輪郭が浮かび上がった。
花凛の顔。
レイナの顔。
知らない少女の横顔。
水面のように重なり、ほどけ、また重なる。
花凛は息を止めた。
これは、ただの鏡じゃない。
見られている。
そんな気がした。
「無理をなさらないでください」
背後からルカの声がした。
花凛は振り返らずに答えた。
「大丈夫です」
「大丈夫に見えません」
「大丈夫じゃなくても、見ます」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
ルカは黙った。
ノエルは、扉のそばに立ったまま何も言わない。
花凛は、右手を上げる。
指先が冷たい。
怖い。
でも、退きたくなかった。
レイナ。
心の中で、その名前を呼ぶ。
あなたのことを、知りたい。
そう思った瞬間、鏡の奥で何かが動いた。
指先が、鏡面に触れる。
冷たいと思っていた。
けれど違った。
それは、人の体温に似ていた。
次の瞬間、世界が反転した。
日付変わってしまいました、、、。
毎日投稿ってことにしてください!!!!




