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眠るたび異世界の少女と入れ替わる服飾学生は、滅びかけた都を繕う  作者: 魔法使いアリッサ
第三章 眠りの先の魔法用具店

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間話C ユリウスの沈黙



レイナは、現実で起きたことをすべて話したわけではなかった。


蒼という男がいたこと。花凛の恋人らしいこと。距離が近すぎること。そして、キスというものが現実では朝の挨拶として運用されているらしいこと。


後半については、だいぶ怒りを込めて説明した。説明しながら、自分でも整理がついていないのが分かった。怒っているのか、困惑しているのか、それとも単純に疲れているのか。レイナは言葉を選ぶのが得意なほうだと思っていたが、あの朝のことを話そうとすると、うまく順番が組めなかった。


ユリウスは、黙って聞いていた。表情は動かない。怒りも、驚きも、同情も、見えない。ただそこにいて、聞いている。その静けさが、レイナには少し苛立たしかった。


「何か言ったらどうなの」

「言葉を選んでいる」

「あなたにも、そんなことがあるの」

「ある」


短い返事。でも嘘ではないと思った。ユリウスが軽く答えることはない。レイナはそれ以上言えなかった。


沈黙が落ちた。部屋の灯りは落ち着いていて、窓の外では何かの葉が揺れていた。レイナは自分の手を見た。現実の自分の手とは少し違う。指の細さも、爪の形も。それでも、震えているのは同じだった。


ユリウスはしばらく黙ったあと、低く言った。「君が困ったのなら、それは軽いことではない」

「困ったというか、意味が分からなかったのよ」

「意味が分からないまま触れられるのは、よくない」


その言葉は、あまりにも真っ直ぐだった。言い訳も、但し書きも、ない。レイナは顔を上げる。


「でも、あの人は悪くなかった」

「それと、君が困ったことは別だ」


静かな声。どちらも正しいと言っている。どちらも否定しない。責めてもいない。ただ、並べている。


レイナの胸の奥が、小さく震えた。誰かにそう言ってもらうのを、待っていたのかもしれないと思った。蒼が悪いわけじゃない。でも私が困ったのも本当だ。その両方を、同時に持っていていい。そんな当たり前のことを、誰かの口から聞くまで信じられなかった。


「次に同じことが起きないようにする」

「どうやって?」

「考える」

「答えになってない」

「今は、まだ」


不器用な答えだった。でも、逃げではなかった。ユリウスは「分からない」と言わない。分からないときは黙る。今は黙っていない。つまりこれは、約束の形をしているのだと、レイナは思った。


ユリウスは窓の外を見た。「少なくとも、君が戻ったときに一人で混乱しないようにする」


戻ったとき。現実へではなく、ここへ戻ったとき、という意味だとレイナは受け取った。間違っているかもしれない。でも訂正しなかった。


レイナは何も言えなかった。


ユリウスの横顔は、やはり何も変わっていないように見えた。けれど、その夜から。

彼は、レイナの眠る部屋の前を離れなかった。


レイナはそれに気づいていた。でも、気づいていないふりをした。気づいてしまったら、何かを言わなければならない気がして。何を言えばいいのか、まだ分からなかったから。



廊下の先で、ユリウスは一人で立っていた。


扉越しに、レイナの寝息が聞こえる。あるいは、聞こえると思っているだけかもしれない。それでも、耳を傾けていた。石の廊下は静かで、館全体が息を潜めているような夜だった。


待つことには慣れている。館の時間は現実とは違う流れ方をする。長い夜も、繰り返す朝も、ユリウスにとっては等しく静かだった。待つことを、苦とは思わない。思ったことがない。それが仕事だからではなく、性質としてそうだった。急いで動いて間違えるよりも、じっくり見て確かめるほうがいい。それだけのことだ。


けれど。


扉の向こうで誰かが安心して眠っていることが——こんなにも、重い。


重い、というのが正確かどうか、分からない。重さとは少し違う。胸の中心あたりに何かが置かれているような。それが邪魔なわけでも、痛いわけでもない。ただ、そこにあると分かる。意識すると少し、熱い。


ユリウスは言葉を探した。館の書架を隅々まで読んだが、この感覚に名前をつけた文章には、まだ出会っていなかった。感情を語る詩も、愛について書かれた古い文書も、読んだ。でも、どれも少しずつ違う。書いた者たちが感じたものと、今ここにある感覚は——おそらく同じ種類だが、輪郭が合わない。


まだ、名前のないままでいい。答えを急ぐと、間違えることがある。自分でそう言った。だからまだ、いい。


でも。


レイナが現実へ渡るたびに、胸の奥が少しだけ縮む。冷えるとは違う。何か小さなものが、きゅ、と——傷口が塞がりきらないまま、また空気に触れるような。そういう感覚が、渡るたびに重なっていた。一度目は気にならなかった。二度目も、偶然かと思った。三度目に、ユリウスはそれが偶然ではないと認めた。認めたからといって、何かが変わるわけではなかったが。


あちらの世界には、蒼という男がいる。

悪意のない、近い男が。


悪くない人間だと、レイナ自身が言った。


それが——なぜか、いちばん困った。


悪ければ、排除すればいい。危険なら、遠ざければいい。館の中でならそのための方法を、ユリウスはいくつか知っている。でも悪くない。ただ近い。ただ、当たり前のように温かい。朝の挨拶として、触れることができる。それが日常である場所に、レイナは渡っていく。


そういうものへの対処を、ユリウスは知らなかった。


排除できないものを、どう扱うか。

遠ざけられないものを、どう見るか。

館で学んだことは多い。でもその中に、これはなかった。おそらく、誰も教えてくれる立場になかったからだ。ユリウス自身、こういう問いを持つ日が来るとは思っていなかった。


廊下は静かだった。灯りは落ちている。石の床は冷たく、ユリウスの影だけが薄く伸びていた。


扉を、もう一度見た。


まだ、急ぐべきではない。

そう思いながら——それでも、朝になるまでそこを離れなかった。


夜が明けるとき、廊下の空気はわずかに変わる。温度でも光でもない、何か微細なものが。ユリウスにはそれが分かった。館に長くいると、そういうことが分かるようになる。


分かっても、動かなかった。


レイナが目を覚ます前に、ユリウスは廊下を離れた。気づかれないように。気づかれたくないからではなく——気づかれたとき、何を言えばいいかまだ分からなかったから。


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