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眠るたび異世界の少女と入れ替わる服飾学生は、滅びかけた都を繕う  作者: 魔法使いアリッサ
第三章 眠りの先の魔法用具店

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間話A 現実の朝 未遂編


レイナが目を覚ましたとき、最初に思ったのは、まただ、だった。


天井が違う。布団がやわらかい。空気が軽い。そして、隣に人がいる。


蒼。花凛の恋人。


前回の一件で、名前だけは覚えた。というより、忘れようとしても忘れられない。朝。寝起き。至近距離。そして、何の前触れもなく落ちてきたキス。

あれは事故だ。完全に事故だ。少なくとも、レイナの落ち度ではない。


レイナは布団の中で、そっと横を見た。


蒼はまだ眠っている。寝息は静かで、顔には警戒心の欠片もない。敵意も、悪意も、計算もない。ただ眠っている。その無防備さが、むしろ困った。


悪意があれば対処できる。敵意があれば距離を取れる。命令なら拒める。けれど、これは違う。ただ、近い。


花凛の世界は、朝から距離感がおかしい。


レイナは慎重に身体をずらした。逃げるのではない。作戦上の後退である。


そう自分に言い聞かせた瞬間、蒼が眠ったまま手を伸ばした。


腕が、花凛の腰に回る。


レイナは石になった。腰。腕。近い。


これは拘束か。いや違う。

たぶん違う。寝ぼけているだけだ。


館の訓練は、こういう状況を想定していなかった。接触戦の心得はある。

包囲からの脱出も学んだ。 

けれど「好意のある人間が眠りながら腕を回してくる」という状況への対処法は、 

誰も教えてくれなかった。 


横で蒼が少し身じろぎをした。

距離が、さらに詰まる。頬に、吐息がかかった。


レイナは目を閉じた。ここで動いてはいけない。 動けば蒼が起きる。

起きれば会話が発生する。

会話が発生すれば、

花凛のふりをしなければならない。 

危険が多すぎる。

やがて、蒼の寝息が浅くなった。

起きる。レイナは悟った。 


蒼がゆっくり目を開けた。

「……おはよ」 


低い、寝起きの声。  


「…………おはよ」


声がわずかに低くなった気がした。蒼は気づかない。眠そうに目を細め、少し笑う。


「今日、なんか大人しいね」 


まずい。


「寝起きだから」


「いつもじゃん」 


いつもを知らないのよ。

そう言いかけて、レイナは飲み込んだ。


蒼が少し距離を詰める。来る。レイナは直感した。この流れは知っている。おはよう。近づく顔。そして、キス。前回と同じだ。


けれど同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。レイナは瞬時に判断した。回避する。


蒼の顔が近づく。花凛なら、きっと受け入れる。でもレイナは花凛ではない。だから、ほんの少しだけ顔を逸らした。


ほんの少し。そのはずだった。

けれど、花凛の身体は思ったよりも柔らかく動いた。布団の中で逃げ場を探した肩が沈み、蒼の腕が腰に残ったまま、距離だけが妙にずれた。


結果。唇は避けた。避けた、のに。

レイナの顔は、蒼の首元に落ちた。 


「……え」 


蒼が止まる。レイナも止まる。

呼吸が、首筋にかかっている。


近い。近いどころではない。これは、さっきより状況が悪化しているのでは。 


レイナの思考が一瞬で沸騰した。何をしているの。私は今、何をしたの。避けたのではなかったの。なぜ避けた結果、もっと変なところに入ったの。 


「花凛……?」


蒼の声が、さっきより低い。 

その声で、レイナはさらに混乱した。


「待ちなさい」 


ようやく出た声は、自分でも驚くほど硬かった。

蒼が瞬きをする。「待つけど……その体勢で?」

その体勢。言われて初めて、レイナは自分がほとんど蒼の胸元に顔を埋めるような姿勢になっていることを理解した。


即座に離れようとする。しかし布団が絡む。蒼の腕がまだ腰にある。焦った花凛の身体が、さらに変な方向へ動く。 


結果、レイナは蒼の胸に手をついた。

手の下で、心臓が速く鳴っていた。

レイナは固まる。速い。なぜ。病か。いや、違う。これはたぶん、違う種類の異常だ。


「……蒼」 


「うん」 


「鼓動が速いわ」


「それを今言う?」


蒼の耳が赤い。レイナは真面目に考えた。この世界では、恋人の鼓動が速いとき、どう対処するのが正しいのか。分からない。分からないのに、花凛の身体は蒼の温度を知っている。それが、妙に腹立たしかった。 


「花凛、今日ほんとにどうした?」


蒼の声が少し心配そうになる。 

その優しさに、レイナはまた判断を誤った。


「異常がないか確認していただけよ」 


「確認」


「ええ」


「首元で?」


「……結果的に」


沈黙。蒼は数秒、何かを飲み込むような顔をした。


「それ、今日の花凛、けっこう攻めてるってことでいい?」


「攻めてない!」 


声が裏返った。その瞬間。内側から、ぐっと何かが押し上げられる。 


来た。レイナは悟った。入れ替わりだ。よりによって、この姿勢で。待って。今はまずい。非常にまずい。


そう思ったときには、もう遅かった。

「……ん」


花凛が目を開けた。最初に感じたのは、手の下の鼓動だった。次に、蒼の体温。その次に、自分の姿勢。


花凛は三秒固まった。

蒼の胸に手をついている。距離が近い。というか、近すぎる。そして、なぜか蒼の耳が赤い。


「……蒼くん?」 


「いや、それ俺が聞きたい」 


蒼の声が変に掠れている。 


だいたい分かった。レイナだ。またレイナがやらかした。しかも今回は、前回と違う方向にやらかしている。 


「えっと」


「うん」 


「寝ぼけてた」


「寝ぼけ方が独創的すぎる」 


「ごめん」 


蒼がじっと花凛を見る。

「今日、なんか……いつもと違った」 


「そ、そう?」 


「うん。キス避けたと思ったら首元に来た」 


「首元」 


「そのあと心拍確認された」


「心拍確認」 


花凛は布団に顔を沈めた。 

無理。笑う。

いや、 笑っている場合ではない。でも無理。


「笑ってる?」 


「笑ってない」 


「震えてるけど」


「反省してる」 


蒼が困ったように笑う。花凛は顔を上げた。


「ごめん、蒼くん。ほんとに寝ぼけてた」


「まあ、嫌ではなかったけど」


「そういうこと言わないで」


花凛の顔が熱くなる。蒼も少し目を逸らした。

気まずい。けれど、嫌な沈黙ではなかった。朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。


「コーヒー淹れる?」


蒼が言った。いつもの逃げ道みたいに。

「お願い」


蒼がキッチンへ行ったあと、

花凛はスマホを手に取った。


鏡の前に立ち、メモアプリを開く。

【レイナ、起きてる?】


しばらく反応はなかった。けれど数秒後、鏡の中の表情がわずかに変わる。目が細くなる。いる。しかも、怒っている。


【今朝、何があったの】


鏡の中の自分が、ものすごく不本意そうな顔をした。


【蒼くんが、首元って言ってた】


鏡の中の表情が固まった。花凛は口元を押さえた。笑ってはいけない。笑ってはいけないのに、無理。


【心拍確認もしたって】


鏡の中の目が、これ以上ないほど険しくなる。

花凛は布団に顔を突っ込んだ。限界だった。声を殺して笑う。肩が震える。


ひとしきり笑ってから、花凛は顔を上げた。鏡の中のレイナは、まだ消えていなかった。


怒っている。でも、本当に怒っているというより、どう処理していいか分からなくて怒っている顔だった。


花凛は少し反省して、もう一文打つ。

【からかってごめん。でも、助かった。ありがとう】


鏡の中の表情が、ほんの少しだけ緩む。


【蒼くん、悪い人じゃないでしょ】


鏡の中の目が、わずかに逸れた。否定しない。


【次から、困ったら離れていいからね】


そう打って見せると、鏡の中の表情が少しだけ変わった。驚いたような。ほっとしたような。

そして、すぐに消えた。


鏡には、寝起きの花凛だけが映っている。


「コーヒーできたよ」


蒼の声がした。 


花凛はスマホを伏せ、鏡から離れた。キッチンへ行くと、テーブルの上にマグカップが二つ並んでいた。蒼は向かい側に座って、まだ少しだけ耳を赤くしている。


花凛はコーヒーを一口飲んだ。温かい。いつもの味。でも、今日はいつもより少しだけ大切に思えた。


レイナが一晩、ここを守ってくれたから。それから。レイナが少しだけ、この朝を知ってくれたから。 


「なに」 


「なんでもない」


「……ほんとに?」


蒼が、少しだけ真顔で言った。 


花凛は顔を上げる。


「……最近さ、たまに、花凛が花凛じゃない感じがするんだよね」 


コーヒーカップが、少し揺れた気がした。


「気のせいだと思うけど」


蒼はそう言って、また視線を逸らした。


花凛は何も言えなかった。


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