伍:慈悲なき聖女
丘から神殿までは、ゆっくり歩いて三十分くらいかかる。
その間には、王都一の市場や商店街が立ち並ぶエリアがあり、その通りは常に賑わっている。
人混みの中でアルディラを見失わないように気をつけつつ、一定の距離を保ってついていくバロンは、アルディラに近寄る幼い子供に気がついた。
「おねえちゃん……」
物言いたげにアルディラの服を掴もうとした男の子の手を、彼女は容赦なく叩く。
「触らないで」
「っ!」
冷たく突き放された子供は泣きそうに顔を歪め、叩かれた手を押さえる。
「おい! 流石に今のは……!」
酷すぎるのでは、と諌めようと口を開いたバロンは、アルディラに鋭く睨まれて言葉を飲み込む。
彼女は子供を忌々しげに睨むと、そのまま踵を返して行ってしまった。
バロンも慌てて追いかける。
と、一際人の多い通りに差し掛かったところで、アルディラを見失ってしまった。
「あー、くそ。どこ行ったんだ……」
頭を掻きながら背伸びをして辺りを見渡すが、黒髪の少女は見当たらない。
それでも気配を辿りつつ追いかけると、街行く人々の話し声が耳に入ってきた。
「聖女様が、またやったそうよ」
「今度は誰だ?」
「ザンシア男爵夫人ですって。なんでも、急に聖女様が屋敷に乗り込んできて、目についた宝飾品類を好き勝手に奪って行ったらしいわ」
「そんなに宝飾品が好きなら、自分で買えばいいのにな」
呆れたような、軽蔑するような口調で話す者たち。
バロンは早足で歩きながら記憶を手繰った。
ザンシア男爵は、確か隣国との貿易を中心に手広く商売をしている人物だ。
夫人が毎回社交界に高価な宝飾品を身につけて登場するため、当主である男爵は相当稼いでいるのだろうと噂されていた。
そんなザンシア男爵の自宅を突然訪問し、宝飾品類を奪っていくなど、聖女どころか盗賊と変わらないではないか。
悪逆聖女の名前通りどころか、それより酷いのでは、とバロンは嘆息する。
と、足早に進んで角を曲がると、その先にアルディラの姿を見つけた。
狭く人通りの少ない道で、彼女は大柄な五人の男に囲まれていた。
「おいおい、こいつは驚いた。噂の悪逆聖女様じゃねぇか」
ガラの悪い男たちは、下卑た笑みを浮かべて、アルディラの顔を覗き込む。
「市民からとことん嫌われてる聖女様なんだ。俺たちが何をしても、きっと裁かれることはねぇさ」
言いながら、一人がアルディラの肩を掴もうと手を伸ばした。
その時、アルディラはその手を強く払いのけ、男の顔面に鋭いパンチをお見舞いした。
「がっ……!」
まさか聖女が殴ってくると思っていなかった男は、まともに喰らって後ろによろめく。
「汚い手で触るな」
鋭く睨んで吐き捨てるアルディラ。
殴られた男は一瞬何が起きたか分からなかった様子でぽかんとしたが、自分が殴られたと理解した瞬間、顔を真っ赤にして怒り出した。
「テメェ! 何しやがる!」
「触るなと言った。死にたくなければ失せろ」
口調が変わった瞬間から、彼女を取り巻く空気が変わった。
少し遠くから見ていたバロンにもわかるほど、不穏で剣呑に。
「……な、何だよ……」
一人が気圧されてたじろぐ。
しかし、リーダーと思われる男は、忌々し気に眉を顰めて右手を振りかぶった。
「そんな脅し……っ!」
男の言葉が途切れる。
刹那、男の右腕の手首から下が消えた。
数秒後、ぼとりと地面にその手首が落ちてきた。
「っ!」
何が起きたのかわからなかった。
瞬き一つの間に男の右手首が切断されたのだとわかったのは、男が悲鳴を上げてからだった。
「ぎゃああああ!」
アルディラは煩そうに顔を顰めると、そのまま男の横を素通りして行ってしまった。
「お、おい……!」
バロンは慌てて後を追いかける。
男たちは右手を失った同胞を囲んでおろおろするばかりで、アルディラを追いかける様子はない。
バロンは、今の光景を頭の中で再生するが、それでも、どのようにして彼の右手か落ちたのか、わからなかった。
あの瞬間、アルディラは呪文の詠唱をしていなかった。
この世界での魔法は、多くが呪文の詠唱をもって発動する。
詠唱なしで魔法を発動させることも可能だが、そんなことができるのは王室付き魔法使いくらいである。
聖女は特殊魔法に分類される聖なる祈りさえ使えればいいとされているので、必ずしも魔法が使える必要はない。
実際に過去の記録を見ると、聖なる祈り以外の魔法が使えない聖女も多くいる。
そもそも、この国において魔法使いは大きな街に一人いるかどうかの貴重な存在だ。
聖女アルディラが魔法使い、それも無詠唱で魔法が使えるほどの実力者だなんて噂は聞いたことがない。
バロンもある程度の魔法が使えるが、あの瞬間にアルディラが魔法を使ったのどうか、判別できなかった。
大通りに戻ったところで、バロンは再びアルディラを見失った。
護衛対象がまさかこれほど手強いとは思わず、思わず舌打ちし、それから再び気配を追って走り出す。
しかし、少し進んだ先で突然気配が途絶えて立ち止まった。
物陰に隠れてもう一度探知魔法を使ってみるが、全く視えない。
おかしい。
探知魔法は、たとえ対象が死んでいたとしてもその場所を探し出すことができる魔法だ。
これほど完璧に気配を絶っているのは、間違いなく存在を隠匿する魔法を使っているからだろう。
神殿から聖女の護衛として雇われている手前、見失った護衛対象がその間に何者かに襲われたりしたら、責任問題になる。
バロンは焦ってもう一度呪文を唱えようとした。
その時、何者かに肩を掴まれ、ぎょっとして振り返る。
「……あ」
その人物を見たバロンが目を瞬く。
そこにいたのは、よく知っている人物だった。
「クリスさん」
なを呼ばれたギブソン侯爵の護衛の青年は、剣呑な表情を浮かべている。
「お前、こんなところで魔法を使うなんて、何考えてんだ」
「う、すみません……」
素直に謝罪を口にしたバロンに、クリスは小さく頷く。
彼はクリス・スティンガー。ギブソン侯爵の元で、共に護衛をしていた人物だ。バロンの先輩にあたる。
「気をつけろよ。ただでさえ魔法使いは貴重なんだ。魔法を使えると知られたら、あっという間に捕まって搾取されることになるぞ」
「わかってますよ。上手くやりますって」
クリスの小言に嘆息して、バロンはふと気づく。
「クリスさんは、何でここに? 侯爵の護衛は?」
侯爵から聖女の素行調査のために神殿に紹介されたバロンと違い、彼はまだ侯爵の護衛として働いているはずだ。
と、問われたクリスはふっと表情を固くした。
「今日は別件だ」
意味ありげな口調でそう言うと、彼は一枚の紙をバロンに差し出したのだった。
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