壱:疑惑の聖女
轟々と燃え盛る炎。
木々が焼ける臭いと、爆ぜる音、阿鼻叫喚と悲鳴。
王都付近の村で落雷により火事が起きたと聞いて駆けつけた青年は、息を呑みながら、もしも地獄があるならこんな感じだろうか、そんなことを思った。
村の住人が火を消そうと、井戸から汲んだ水を木桶に移し、人から人へ渡して火にかけているが、到底追いつかない。
「……こんなに燃えていたら、とても間に合わない……」
青年が諦めの境地で呟いた時、少し遠くで燃える村を見つめている人影を見つけた。
違和感を覚えた。
その女は焦るでも怯えるでも呆然とするでもなく、ただ淡々とした表示でそこに佇んでいる。
「おい! そこにいたら危ないぞ!」
青年が声を掛けると、彼女は一瞥をくれたものの、何も言わずに身を翻した。
「……何なんだよ、アイツ……」
明らかに様子が変だった。まさか、彼女がこの村に火をつけたのでは、そう思って慌てて追いかけたが、彼女の姿を見つけることは叶わなかった。
「今のって、もしかして聖女様じゃ……?」
村人の一人が呟く。
確かに、彼女の髪の色は今代聖女と同じ、この国では珍しい黒色だった。
「まさか、聖女様がこの村に火を放ったんじゃ……!」
一人が言い出すと、悪逆聖女と呼ばれる彼女を擁護する声は上がらない。
「でも、雷が落ちたんだろう?」
青年が思わず口を挟むと、村人たちは顔を見合わせた。
「ああ、確かに、雷が村外れの木に落ちて、そこから火が上がった……でも、その雷だっておかしかったんだ!」
「そうさ! さっきまで晴れていたのに、急に空が黒くなって、雷が落ちたんだ!」
「魔法でもなきゃ、そんなこと起こりっこない!」
そう言われて空を見上げる。今はまだ日暮れ前のはずだが、分厚い雲に覆われて薄暗い。
確かに、青年がここから程近い王都を出た時は、青空が広がっていた。
「ところでアンタ、近衛兵か何かかい?」
一人の老人が青年に尋ねる。長身で淡い金髪にアメジストを思わせる瞳を有する青年は居住まいを正した。見た目は二十代前半ほどの美男子だ。
「俺はバロン・カーディナル。ギブソン侯爵から命じられて、火災の状況把握や避難誘導のために来た。被害状況の報告を」
ギブソン侯爵は、この村を含む広大な領地を有する重鎮貴族だ。
神殿と対立しがちな貴族院の橋渡し的な役割を担っている人物でもある。
「領主様の! それはありがたい!」
老人が村長だったらしく、情報を事細かに話し出した。
それらを聞き、バロンと名乗った青年は、消火活動や負傷者の手当、避難を手伝ってから王都へ引き上げていった。
そして、その仔細を、雇い主であるギブソン侯爵へ直接報告すると、彼は重々しく嘆息した。
「……これで今年に入って十件目か……」
六十歳にしては若々しいが、皺の刻まれた顔に苦渋が滲み、普段よりも老け込んで見えてしまう。
褐色の髪にグレーの瞳の御仁は、額を押さえて唸った。
「……やはり、聖女様が《聖なる祈り》を捧げないことが原因か……」
「……貴族院はなんと?」
「一刻も早く聖女を交代させろの一点張りだ」
貴族院には、聖女と女神を同一視する思想団体、サンクトスデウスの者が多い。
女神の力を崇拝する彼らは、その力を使おうとしないアルディラに対し強い嫌悪感を示している。
「当然でしょう」
低く、しかしはっきりとした声が横から差し挟まれる。
視線を向けると、侯爵の背後に控えていた護衛の青年が、腕を組んだまま冷ややかな眼差しをこちらへ向けていた。
金髪碧眼の体格の良い青年だ。
「先代聖女ソノラ様に選ばれた身でありながら、その務めを果たさぬなど……もはや聖女とは呼べません」
「クリス……」
ギブソン侯爵に窘めるように名を呼ばれ、彼は口を噤んだ。
「……しかし、聖女は先代からの指名制で、先代が死した瞬間に《聖なる祈り》を使えるようになるとされている。そして、今代の聖女はまだ次代を指名していない」
つまり、今の状態では、例え今代聖女が死んでも、次の聖女が現れるかわからない、ということだ。
どういう原理かは明らかになっていないが、指名しなければ《聖なる祈り》は継承されない、ということが伝承として残されており、指名方法は口頭または自筆による遺書と定められている。
「バロン」
「はい」
「お前を神殿へ派遣する。聖女の素行調査をして、本性を暴いてこい」
「え、は……?」
命令の意図が汲み取れず目を瞬くバロンに、侯爵は小さく肩を竦める。
「丁度、ベリーニ大神官から、聖女の護衛になりうる人材の派遣要請があったところだ」
「聖女様の護衛、ですか……?」
この国に一人しか存在しない聖女の護衛は、王立騎士団から選抜された親衛隊が担っている。
国王の身辺警護をする近衛隊と並び、精鋭中の精鋭で構成されているため、選抜されるのは大変名誉なこととされている。
爵位ももたず、王立騎士団に在籍した実績もないバロンが聖女の護衛に抜擢されるなど、本来ならば絶対にあり得ないことだ。
「……聖女様の護衛は、親衛隊の仕事では?」
率直な疑問をぶつけると、ギブソン侯爵は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「それが……全員辞退を申し出たそうだ」
「ええ? そんな……」
《聖なる祈り》が使える聖女の存在は大変貴重だ。それ故に歴代の聖女には全員、親衛隊がついていた。
ただ、聖女の日課であるはずの毎日の祈りさえ行わない彼女が、聖なる祈りを発動させているところを見た者はいない。
そのため、アルディラは《聖なる祈り》の力は極小なのに、先代の聖女を脅して今の聖女の地位に就いたのではないかと噂する者もいるのだ。
誇り高い親衛隊の者が、そんな聖女を護りたくないと言い出すのも、納得ではある。
しかしそれはあくまでも噂の域を出ない話だ。その真偽を確かめるのも、きっと己の仕事なのだろうと察するバロンだった。
そうして、バロンはギブソン侯爵から神殿に紹介される形で、聖女の護衛につくことになったのだった。彼女の本性を暴くという、裏の任務と共に。
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