第41話 はじめての涙
私はあの瞬間何をしていたのだろうか。
牛がずっとその問いかけを繰り返しているとだんだん意識が遠ざかっていたときの記憶がはっきりしてきた。空耳が聞こえたあと、牛の意識の深いところでオクールの声が反芻され、牛はそうしている自分をぼんやりと俯瞰して見ていた。まるで体を乗っ取られたかのような感覚で、目の前のナコに剣先を向けていた。俯瞰している自分がその状況に気づいていくら拒否しても、動きが止まることはなかった。
ナコはフーシに抱えられ、帝国騎士団の医療機関に運ばれた。今は牛の目の前の部屋で治療を受けている。牛は心配してついていこうとしたが、刺した本人とだけあって、縄で縛られたうえで通路に放置されていた。
「おい、牛っころ!!」
通路の奥のほうからアドラ、それにリサが走ってきた。どうやら事情を聞きつけたらしい。
「一体何があったんだ?」
「私は!!ナコを刺したりしません!!そんなことは断じて望みません!!」
「わかってるよ、でも現に」
「はい…オクールの術が…」
────許せない 殺せ
また始まっ…
頭痛とともに牛の意識は遠ざかった。それまで牛の意識があった場所に自分とは別の意識がうごめいているのが感じられる。
”それ”は壊れたおもちゃのようにひたすらに殺せと喚き散らしていた。
自分の体を動かすこともできないくらいにそこから遠ざかった意識には、自分の体がファイアを放ち縄を解いて、アドラに噛み付こうとしているのが見えた。
しかし、アドラの右手に掴まれ、床に押し付けられて体の動きが封じられた。牛は、自分が弱くて良かったと心のそこから思った。
「なるほど…こいつは厄介そうだ」
アドラがつぶやいた。
しばらくすると牛の意識が戻った。
「アドラさん!!、ごめんなさい!!私はこんなことをしたいわけではないのです」
「ああ、だがこのままにしとくわけにもいかない、鎖で縛るぞ」
「もちろんです。」
牛には恩ある彼らに牙を向けるくらいなら、そちらのほうがありがたいくらいだった。
「やはり、オクールの術でしょうか…」
リサが神妙な面持ちで牛を見つめた。
「そうだろうな、あの小さい人形も、そんな感じだった」
マーが歩いて近づいてきた。
「まずはうちの研究者に見せよう、何かわかかもしれない」
牛、アドラ、マー、リサは研究室に訪れた。
丸眼鏡の研究員ラウラ・バッシに、オクールによりかけられた術式の解読を頼んだが、牛の体を調べれば調べるほど彼女の困惑は深まるばかりのようだ。
「…すすすいいませ───」
「いや、よく見てくれたよ、ラウラにわからないなら、ステイン帝国のほかのどの研究者にもわからないさ」
マーは彼女がたどたどしい言葉で謝りきる前に遮るように言った。
「あの地下室に、術式に関する書類が少しでも残ってれば、まだ手はあったんだろうがな…」
アドラがつぶやくとドアが開いた。
フーシが息を切らして入る。
「フーシくんナコちゃんは?」
リサの問いかけに答えようとするフーシを、牛は祈るように見つめた。
「命の危険はないって、傷は浅く、臓器の損傷はほとんど今の治癒魔法で治せたらしい。数日間安静にしていれば治るってアリスが」
部屋中で安堵のため息が漏れた。
本当に良かった。決して自分のやったことが取り返しのつかないことであることは変わらないし、とても気分は晴れたものではないが、彼女が死ななかったことはほんの少し胸を軽くした。
しかし、それでももう自分は彼女のそばにはいられない。いてはいけない。
「それはそうと、これからどうするかだ。まだ牛にかかった術は解けてないわけだろ」
「ははい、時間で解除される可能性はまずないと思います。い意識を乗っ取られる周期がだんだん短くなっていき、おおそらく最後には、…その、言いにくいのですが」
「完全に意識がなくなる…」
「…はい」
一時は緩んでいたその場の空気も、またどんよりと重たくなった。
「あの…私の核を壊してはくれませんか?」
「待ってください、そんなことをしては、モーくんさんが」
「私はナコを…何よりも大切なあの子を傷つけてしまったのです。動いていればまたいつ同じことになるかわかりません。いっそのこと壊してください。」
牛にとっても苦肉の策ではあった。ナコの成長を見届けることは、彼にとって何よりの望みであるからだ。しかし、そのナコを傷つけてしまうことのほうが耐え難かった。
「そんなに気にすることではありませんよ、もともとナコからしてみれば動かないぬいぐるみだったのです。その頃に戻るだけの話ですから。」
本当に戻るだけの話だ。だが、どうせ戻るのならば動くことなどなければよかった。動いたり喋ったりしなければ、ナコを隣で見ていられなくなることをこんなに悲しまなくてもすんだというのに…
扉が叩かれた
「待てよ」
「ナコ!!」
ナコがドアに片手で寄りかかる様な形で立っていた。隣ではアリスが支えている。
「アリス、大丈夫なのか」
「いえ、本当は絶対に安静にしているべきです。しかし、本人がどうしてもというので」
「牛、てめぇ!!」
ナコがよろけながらも息を荒くして近寄ってくる。
ナコは私のことをどう思っているのだろう。正直、彼女を救出してからそれほど嫌われているという印象はなかった。ただのぬいぐるみから急に動き出すようになった直後は、それまでの接し方とのギャップに、お互いどこか落ち着かなかったような気がする。それが再開できた喜びから、二人の距離が縮まったような印象さえあった。さらには死への恐怖から術を使えなくなったナコを勇気づけられたことは、初めて彼女の役に立てたという誇りを私に感じさせた。
しかしその直後、私はナコに危害を加えたのだ。一歩間違えれば死んでいてもおかしくないような傷を。体が治ったとしても今度こそ心に大きな障害が残ってしまうかもしれない。そうだ、そもそも私はもうナコに会っていい権利など無いのだ。これからのナコを見守っていけないことを残念がっている場合ではなかった。今すぐにでも核を壊してこの世から消え去るべきだったのだ。
ナコがずかずかと近づいてきている。息はどんどん荒くなっていて、体調のせいか顔も青白い、しかし半開きの瞼の奥の瞳はしっかりと牛を見ていた。あと数歩で牛に届く。
ああ、そんなに真っ直ぐな目で私を見ないでくださいナコ。断じて、断じてあなたを傷つけることは私の意思ではなかった。しかし、やはり私は敵に作られた兵器であったのです。所詮あなたのそばにいていい存在ではなかった。許してほしいなどと都合のいいことを言うつもりはありません。今後もそばにいさせてほしいなんて分不相応な願いも持ちはしません。ただ私はあなたを何よりも大切に思っていたこと、あなたの幸せを心から願っていたこと。それだけはわかってほしいのです。
ナコがまた近づく、もう目の前まで来た。
私はもう、どうすればいいのでしょうか。あなたに優しくしてもらう気など毛頭ございません。私を痛めつけることであなたの気が少しでも収まるのならそうしてほしい。あなたの手ではたきあげてほしい。しかし、私の体はあなたの怒りを痛みとして感じることすらままならない。罪を償うことすら十分にこなせない私は…もうどうすれば
金属音が鳴り響く。ナコが鎖で巻かれた牛を蹴り上げたのだ。牛は天井にぶつかり、また落ちてきて激しく転がる。
「この馬鹿が!!」
ナコが転がっている牛を掴んだ。
「てめ、なんてことしやがんだ、おかげで死ぬとこだったじゃねーか」
牛を持った手を大きく振り上げては床に叩きつける。
「だからなあ!これで死ぬなんて絶対に許さねえぞ、あたしが死ぬまで永遠にこき使ってやるからな!!そうじゃなきゃ許さない」
ああ、ナコ、あなたはそうやって振る舞いこそは荒れていますが、その心根は本当に温かい。まだ私を見放さないでいてくれるのですね、しかし…
「私だって…できることなら、ずっとあなたのそばにいたいのです。そして、私のすべてをあなたの幸せのために捧げたい。しかし、こんな…人を傷つけてしまうような体では…」
ナコは牛を地面に投げ捨てた。
「ああ!?、てめさっきあたしになんつった?あたしは冒険者だぞ、術を解く方法くらいどこまででも探して見つけてやる!!」
「ナコ…」
牛は気持ちがあふれるばかりであったが、それを表現する方法を持ち合わせず、ただナコを見つめた。
アリスがナコの体を気遣って、肩を貸す
「少し無茶をしすぎですわ」
ナコは荒れた呼吸を整えようとした。
「あの、私に一つ提案があります。」
リサが手を上げた。
リサに連れられ帝国騎士団の地下室に一同は移動した。そこは普段誰も近寄らない場所だという。
「ナコちゃんがモーくんさんにかけられた術を解き方を見つけるまでの間、モーくんさんにはここにいてもらおうと思うのです。寂しいかもしれませんが、モーくんさんは人を傷つけることのほうが苦しそうですので」
「はい、ありがたいです。」
「しかし、その場合、牛っころはずっと人を恨むような意識に乗っ取られるんだろ?そんな状態じゃ精神もおかしくなるんじゃないか?」
「そこなんですが、以前、モーくんさんが気を失ったことを覚えていますか、あれはモーくんさんの中にあるマナが枯渇することで起こりました。だから今回も、ここでマナを使い切るまで魔法を使えばいいと思うのです。あとは人が近づくこともない地下室ですから、モーくんさんが次に気づくのは、ナコちゃんによって術を解かれて、マナを注入されたときというわけです。」
「なるほど…たしかにそれならどうにかなりそうか」
その提案にアドラが頷いた。
「ありがとうございます。どんなお礼をしたらいいのか」
「いいんですよ、モーくんさんはタンポッポの一員なんですから、あっ一回だけモフモフさせてもらっていいですか?」
リサはそう言うと鎖の上から牛を抱きしめた。
「それじゃあ、私達は、先に上で待ってましょうか、モーくんさん、また会いましょうね」
そういってリサたちは部屋をあとにした。
部屋にはナコと牛だけが残っている。
「みんな気を使ってくれたみたいだけど、すぐに迎えに来るから…」
「ええ、私はナコの力を信じていますから…こんな術、すぐに解けるようになってくれると信じていますよ」
「じゃあ…またな」
ナコの瞳はどこか潤んでいるように見えた。
「はい」
ナコが部屋を去っていき、ドアがしまった。鍵をつけられている音がした。
ふふふ、気が弱っていないときのあの子はいつも照れくさそうにして、でもあの子らしいですね。
さて、また頭痛が来る前に、やりましょうか。
「ウォーター」
牛はマナを使って、鎖で繋がれている右手から水をだした
しかしただ魔法を垂れ流すだけというのも、芸がありませんね、
牛は水を一度止め、体の内部のマナを意識した。
刀に雷をまとわせるよりかは、いくらか簡単なはずです…ん?ここですか?…いやもうちょっと上…少し左…そしてもう一つ…できた。ふふふ、一度やってみたかったのです。
牛は自分の両目から水を流した。まるで涙のように。
ああ本当にいろんなことがあった。
なかなか不思議なものですね、マナを使って目から水を出しているだけなのに、いつもよりも悲しいような、嬉しいような、
いや嬉しいに決まっています。
だってナコがあんなに立派にそだってくれたのですから。
これは嬉し涙ですよね。
最後の一滴が牛の瞳からこぼれ落ちた。




