第2話 初ダンジョン
窓から心地良い日差しが入りだした。どうやら今日はナコの初めてのダンジョン探索にはうってつけの日和のようだ。ナコは自分で古い布を継ぎ接ぎして作ったローブと、お金をためて買った木のロッドを身につけて家を出ていった。
「ああついに、ナコは行ってしまいましたか。ちゃんと無事に帰ってこれるのでしょうか。心配です 。ぜひともついていきたいですが、私は動けないですから、待っている他無いですね」
ん? なんです? この違和感は? 振動のような?
「耳から声が聞こえる……私の声?? なんと!? 話せる?!」
牛は声が出せるようになっていた。そして部屋の中が大きく揺れた────かのように見えたが、実際は驚きの反動で倒れ本棚から落ちたのだった。彼の視点は数年ぶりに動いた。
「ああびっくりした……あれ? 動けてませんか?! 私!」
驚いたことに、牛の体は動けるようになっていて、自らのニ本の足で立っていた。
「これは一体…」
牛はしばらく突然の変化に動揺し、その原因を考えた。しかし、いくら考えても何もわからなかった。
「考えていても、仕方ありませんね。これはきっと、神様が私にナコの旅路を見に行けと言っているのでしょう。こうしてはおれません!」
牛はドアノブに飛びつき、ぶら下がるようにして扉を開けると、ナコが出かけていった方向に勢いよく駆けていった。
「ふふふ、それにしても私が動いてるところをみたらびっくりするでしょうね、そうしたらきっとナコにとびついてあげるのです」
しばらく平原を走っていると牛は杖を構えて立っているナコの背中を見つけた。そのまま走って近づく。
近づくと、ナコの目の前にモンスターがいることに気づいた。あれは確かラビットーだ。白い毛が全身に生えた獣で、ナコのブーツと同じくらいの大きさだ。
ラビットーは丸まって眠っていた。モンスターと言えど、すやすやと寝息を立てている姿はなんとも愛くるしい。
「なんともかわいらしい獣ですね。あっそうだ! ナコは狩りをするのは初めてですから、困惑するに違いありません、そこで私が生き物を食べることの尊さを教えればナコの成長にもつながります。ナコのお役に立てます」
そもそも牛はこれまでものを食べたことなどなかったのだが、妙な自信とともにナコのすぐそばへたどり着いた。その瞬間、鈍い音が響いた。
牛は絶句した。ナコがラビットーの頭を躊躇なく木の杖の芯でとらえ、フルスイングしたのだ。
更には脳震盪をおこしているラビットーの長い両耳を掴んで、近くの岩に何度も叩きつける。ラビットーの頭蓋骨が砕ける生々しい音が聞こえ、辺りに血が飛び散った。
「んー、ラビットーも一応モンスターって聞いたから来てみたけど、これでいいのかな?」
牛はあまりにショッキングな映像に混乱した。ラビットーの頭は原型がわからないほどぐちゃぐちゃになり、辺りが生臭い香りに包まれた。恐怖でいっぱいになった牛は、思わずその場から逃げ出した。
しかし、ナコはそれに気づいた。
「お、もう一匹いるじゃん」
「ちが…わた…モンスタ…じゃ…ない」
走るぬいぐるみをナコは追いかけた。
牛は必死にモンスターではないことを伝えようとしたが、その言葉は恐怖で紡がれなかった。
ナコは片手にロット、片手にラビットーを握り腕を振って走るものだから、血があたり一体にばらまかれ、白い顔やピンク色の髪にかかった。
スラリと長い手足がついたナコの足は速い。ナコが一歩で進む距離を進むのに五歩必要な牛は、すぐに追いつかれた。ナコが片手で振りかぶったロットに牛は打たれ、宙に舞い、放物線を描いて地面に落ちた。
その音が肉のそれではないと気づいたナコは不思議そうな顔で、今打った対象を覗き見た。
「ぬいぐるみ? なんで動いているんだ? しかもなんか似てる?!」
ナコは動くぬいぐるみが自分の家にあるものと似ていることに気付いた。
「待ってください ナコ」
「喋った!! ていうかあたしの名前…」
ナコは困惑した。
「私です モーくんです」
「あたしの名前だけじゃなく、その名前まで…誰にも話したことないはずなのに、それにその姿」
ナコはしばらく考えてある答えに行き着いた。
「さてはあなた…幻術を使うモンスターね? 駆け出しだからって騙されないよ!」
「え…」
そして本来は術を唱える用途であるはずの棒で容赦なく牛を叩いた。
牛の体は痛みを感じなかったが、ぬいぐるみの体は徐々にほつれ、部分的に綿がはみ出してしまった。
「待ってくださいナコ! 私は、ナコをずっと見てきたモーくんです。モンスターではありません!!ずっと見てきたからこそ、こんな事も知っています」
「え? ハァ、ハァ」
フルスイングし続け、息がきれたナコは牛の話に耳を傾けた
「なっこちゃんは~♪つよいこ、可愛いこ♪なっこちゃ────」
歌い出した牛をナコは一際強く叩いた。
「だ…だまれええええ」
それは間違いなくナコが幼い頃歌っていた自作の歌であったのだが、この場では逆効果であった。ナコは顔を真っ赤にさせてまた殴り始めた。
そうして牛がさらにボロボロになった頃。
「もう日が暮れるのに全然倒せない。せっかくレアそうなモンスターだし……しょうがない、いったん持って帰ろう」
口を開くたびに叩かれるを繰り返した牛は、もう話すことを諦めぐったりとしていた。
ナコは持ってきていた袋に、ところどころ綿がはみ出た牛をいれて、その場を後にした
日が暮れて真っ暗となった部屋に明かりが灯ると、しばらくして少女の声が草原に響いた。
「ええ?!」
少女が毎日欠かさず目に入れていた場所にあるはずのものがなかった。牛のぬいぐるみがいなかった。ナコはしばらくスペースの空いた本棚の上を見て、唖然としていた。
「まさか、このモンスターは本当に…」
ナコは持っていた袋を逆さにして、牛を床に落とした。
「ねぇ! あなた! 本当にうちのモーくんなの?」
「だかあ…はいほから…ほういって…」
牛の口は少し裂けてしまっていたので、言葉をうまく話せなかった。しかし混乱した少女は続けざまに問いかけを続けた。
「なんで話してるの? いやまさか最初から話せたの?」
「ひはひまふ」
牛が何と言っているか分からない事に、じれったくなったナコは、針と糸を持ってきた。牛をつかむと裂けた口を縫い合わせ始めた。
「ひいいいい」
口元に針を刺されて牛は怖がった。
「黙って、動かないで!」
大きな声に驚いた牛はじっと止まった。
落ち着いてみると、昔はよくナコこうしてほつれた部分を直してもらっていた事を思い出した。当時はナコがおままごとなどで遊んでくれていたので、ほつれることがあったのだ。
ナコの手際はよく、あっという間に口周りの裂けていた部分は元通りになった。
「それで…あなたは本当にうちのモーくんなの?」
牛は縫いなおされた口に手を当てて確認した。
「はい…私は確かにモーくんです。」
「どうして動いているの?」
「わかりません、今朝から動けるようになっていたのです。」
ナコは困惑の表情を見せた後、ため息をついて目をつむり大きく呼吸した。それから目を開けてまた問いかけだした
「あたしがモーくんを拾ったのはいつ?」
「忘れもしません、9年前の春ですね」
「どこで拾った?」
「ついそこの原っぱです」
「あの鍋の焦げはどうしてついたか分かる?」
「まだナコが小さかった時のことですね、あの時はひやひやしましたよ、料理している途中で寝てしまったんですから、火事にならなくてよかったです。」
ナコはまじまじと牛の目を見た。
「本当にずっと見ていたのね」
「はい」
牛はゆっくりと頷いた
「……他のところも縫うから、こっち来て」
牛はナコの膝の上にちょこんと横になった。ナコは慣れた手つきで牛を縫う。
「ナコ覚えていますか?」
「何を?」
「昔、こうやってよく縫ってくれましたよね。ナコが小さい頃はよく一緒に遊びましたから、このほつれるところがたくさんあって、最近はそんなこともありませんでしたが」
「そうだね」
短い返事ではあったが、ナコとこうして会話できることが牛は嬉しかった。
「あーあ。モー君、もう少し早く動けるようになってくれたら良かったのに」
たしかに、ナコが誰かにそばにいてほしいと最も思っていた時期はとっくに過ぎてしまっているのだ。
「ごめんなさい、ナコ。私は何度もナコに話しかけたいと願っていたのですが、今までそれは叶わず、寂しい思いをさせました。その代わり、これからはずっと、たくさんお役に立てるように頑張ります。」
「フフ、ありがとう、モーくん」
ナコは少し笑いながら牛を撫でた。
ナコが縫い針をリズミカルに動かしているのを見つめながら、牛は勢いで『ずっとお役に立つ』と言ったことを冷静に思い返した。訳も分からず動けるようになった自分が、これからずっと動いていられる保証などあるのだろうか。そう考えると、今は腕を縫ってもらっているというのに、胸がチクりとした。




