逃走
「はい、こちらたしかにウミグモの糸ですな。こちら報酬の1000ゼニーです」
ナコは昨日手に入れたウミグモの糸を窓口に提出し、お金をもらった。付き添いで来てくれていたリサが口を挟む。
「待ってください。こちらが出した量に対して金額が足りないのでは?」
「いや、持ってきてもらったウミグモの糸。大半は問題ないが、2割くらいは変色してしまっていて商品にならん。これでは買い取りができんのです。」
「それなら、その変色している部分は持って帰っても構いませんよね?」
「ああ……そうですな」
換金所の店主は不機嫌そうに言った。リサは買い取りにならなかったウミグモの糸を袋に入れた。一緒に付いてきたアドラ、牛と一緒に外に向かって歩く。
「これで換金の手順は分かりましたかね。」
「はい、わざわざありがとうございます。」
「そんな、いいんですよ、今日は特に依頼もありませんでしたから。」
「ああ、それにここの店主はたまにちょろまかそうとしてくるからな」
アドラの言葉の意味が分からず、ナコは首を傾げた。リサが補足の説明をする。
「換金所はたまに安く取引を済ませようとしてくるので、最初はこうして一緒について行って、今後ナコちゃんを誤魔化したりしたら、ちゃんと分かる人が後ろについているからバレるぞって見せる必要があるんですよ。この買い取り対象にならないウミグモの糸も、商品にできないことは本当ですけど、自分たちで加工して使う分には問題無いので、換金しない分は持って帰っても良いと説明する義務があるんですよ。きっと、何も言わずに自分の物にしちゃうつもりだったんでしょうけど」
「ほお! それはついてきてくださって助かりました。」
「あ、それとこのウミグモの糸はどうしますか? お二人が欲しいのならあげますし、必要なければ私が防具の合成なんかに使いますけど」
「はい! 私が欲しいです!」
牛が手を挙げた。
「牛っころそんなの持っててどうするんだ?」
「ナコと初めて採集した思い出の素材ですから、これで何か防具でも作るのです。」
「あら、素敵です! ではモーくんさんどうぞ」
牛はウミグモの糸が入った巾着袋をリサから受け取り、腰に巻き付けた。
「懐かしいなぁ。私も昔、お姉ちゃんにこうして換金所についてきてもらったことがありました。」
リサはそう言いながら髪を耳にかけた、銀色のイヤリングが揺れている。
「リサ殿にはお姉さんがいらっしゃるのですな?」
ギルド内でナコはリサの姉を見たことはない。他のギルドにいるのだろうか。続けざまにナコが口を開く。
「私はモーくん以外に家族がいないので、お姉ちゃんがいるのって羨ましいです!」
「それなら、私がナコちゃんにとってのお姉ちゃんになりますね、ギルドって家族みたいなものですし」
リサはナコの手を取ってそう言った。ナコは満面の笑みを返しながら、扉を開けた。
扉が開くと、店の周りを大勢の武装した騎士団兵が取り囲んでいた。
「なんですか! これは!」
それまでの和やかな雰囲気から一転し、不穏な空気が訪れた。牛が驚きの声を上げ、ナコは困惑した。アドラとリサは険しい表情を浮かべる。
騎士たちの中から少女が前に出てきた。
「あなたは、この間の……アリスさん!」
「グランさん、彼らです」
アリスはナコの声を無視して、上官に向けて言った。上官が前に出てくる。
「まさか、アドラ達が関連しているとはな」
「マーくん!?」
「マー坊じゃねえか!?」
アドラとリサが驚いた。ナコと牛はひたすらに困惑するばかりだ。
「僕をそう呼ぶな!!」
立て続けに大声が響きわたった。マー・グランは鋭い目つきでアドラを睨んでいる。
アリスは普段大きな事件が絡んでいる時でも冷静沈着なマーを見てきた。それだけに、声を荒げる今の姿は異様なものに思えた。
「ここ数日、マナ量が多い魔道士ばかりを狙った誘拐事件が多発している。その容疑者としてそこの動くぬいぐるみを逮捕する。」
「!? 私ですか!?」
牛は驚きすぎてあいた口が塞がらなかった。
「おいちょっとまて、こいつはうちのギルドのメンバーだ、何の話か知らないが、その事件は最近のものなんだろ、こいつには依頼をこなしていたアリバイがある」
「そいつを見るまで僕も信じられなかったが、動くぬいぐるみが犯人という証言がいくつも上がっていてな。」
動くぬいぐるみなど牛以外に見たことも聞いたこともない一同に衝撃が走った。
「ほ、本当です! 私は誘拐なんてしていませんよ!」
牛が声を荒げて、リサやアドラに証言する。リサはうなづいた。
「本当にぬいぐるみが犯人だったとしても、それがモーくんとは限りません。ほかに犯人がいるはずです」
「リサ……分かっているだろうが、そもそもお前たちに選択肢なんてない。詳しいことは支部で聞く。もし本当にそいつが無罪だったとしても、多くの国民のため、犯人逮捕のために重要参考人として隅々まで調べさせてもらう。」
「ったく、これだから帝国騎士団は」
アドラはあきれた顔をして、リサのお腹を掴んで肩に背負い戦闘態勢に入った。リサはナコにアイコンタクトを送る。
「そんなふざけた構えで、武器も持たずにこの僕と戦う気か?」
マーのこめかみがピクリと動いた。
「ああ? 戦う気なんかねーよ。――走れ!!」
アドラはマーと反対方向に向かって走りだした。それに付いて行くように、ナコも牛を掴んで走る。
しかし、その先には鎧を着た完全武装の兵士達が立ちふさがっている。
「そいつらを止めろ!」
マーのその声を聞いて兵たちは刀を振りかぶった。あとはタイミングを合わせて、先頭を走るアドラに向かって振り下ろすだけ、というところでアドラは叫ぶ。
「強化!」
アドラの脚が光り、急激に加速した。リサは振り落とされぬようにアドラにしがみつく。一瞬にして兵の懐に入ったアドラは、両手を兵士の胸にあて、二人の兵士を腕力で吹き飛ばした。
横にならんで道を塞いでいた兵士たちも、その兵士に当たって尻もちをつく。
道が開けた一行は走り出した。
「くっ……追え! アドラのギルドにも兵を向かわせ、一人残らず確保しろ! 魔道士隊は馬に乗り、先回りして待ち構えろ。決して逃がすな!」
アリスにはいつもクールに仕事をこなしていたマーの焦り様がひどく恐ろしいもののように感じた。
ナコは走りが得意な方なのだが、アドラの脚力はそれをはるかに上回っていた。リサを担ぎ、追手や立ちはだかる敵を蹴散らして、それでもなお、走ることだけに集中するナコよりも速い。
先に使った脚力強化の魔法は、アドラのマナ量では長い時間持続させることはできない、つまりこの速度を可能にしているのは彼自身の純粋な足腰の強さだった。
しかし、双剣を装備したマーは更に速かった。両手で武器を構えるどこからの攻撃にも対処できる構えで、前から「ごめん、マーくん」と言いつつ氷魔法を放ってくるリサの攻撃をいなし、猛スピードで追いかけてくる。
「アドラ! その下賤な戦い方をやめろ! 不愉快だ」
「はっ、これでも、逃げるだけだったら帝国一だと思うぜ」
マーは前方を走るナコにも音が聞こえるほど歯ぎしりした。
もうすぐマーがナコに追いつくか、といったところでリサは高レベル魔法を放った。
「アイスシールド!」
マーの前方に巨大な氷の壁が現れる、しかし、マーは見事な剣さばきで、一瞬にして粉々に切り刻んだ。
そしてまた再加速しようとマーが前を見ると、必死で走るナコの後ろ姿しか見えなかった。困惑するマーは背後から声が聞こえた。
「お前は昔から昂ぶると視野が狭くなんだよ」
マーがアドラの行方に気づいたとき、すでにマーの体は蹴り飛ばされ、横の商店に並ぶ果物の山に突っ込んでいた。
遠ざかる彼らの背中を見て、果汁にまみれたマーは言葉もなく唇を噛んだ。
ナコはただひたすらに走っていた。魔法を使おうにも、走りながらの詠唱は非常に難しく、彼女には不可能だった。リサでさえ、高度な魔法はアドラに背負ってもらっているからこそ可能なのだ。
ここまでリサは素手による魔法で後ろから追いかけてくる兵へ攻撃していたが、杖があった方が詠唱はしやすく、技のクオリティは上がる。
アドラは馴染みの武器屋を見つけると、店先に並んでいる杖を一つとった。
「おっちゃん! つけといてくれ!」
「あいよ! がっつり利子払ってもらうから、ゆっくりでいいぞ」
店主は特段驚いた様子でもなく返事をした。
アドラは杖をリサに渡す。
「助かります」
「おう、もうひと踏ん張りだ。ナコちゃん、こっから抜けたとこに洞窟がある、その中は迷路みてぇに入り組んでる。うちのメンバーじゃないと道は分からない、まず間違いなく撒ける、そこまで頑張れ」
「はい!」
さすがにナコも息が切れてきた。牛は、自分のせいでこんなことになっているというのに、何もできない自分が情けなかった。ただ、それでも今はだまってナコにしがみついているしかない。
依然アドラを先頭に走る一行は、アリス率いる魔法部隊の待ち伏せ地点にかかった。
「そこまでですわ。目標確認!」
「え?」
ナコは先回りして待ち構えられていたことに絶望した。しかし、前を走るアドラはスピードを緩めたり、方向を変えたりしない。真っすぐに敵に向かって行く。
「ナコちゃん何も考えなくていい、リサに任せてそのまま走れ!」
アドラの言葉を聞いて、ナコは困惑しながらも頷いた。
「攻撃開始!」
アリスの一声で総勢十名の帝国騎士団魔道士が攻撃を始めた。
数秒間、魔法の騒音と光で何も見えない状況が終わると、アリス達魔道士部隊は半身氷漬けにされ、すでにアドラ達は通り過ぎていた。
騎士団員の多くが何が起こったのかわからない中、アリスだけはその状況を把握していた。
「化け物ですわ……我々が放つ魔法に風魔法を当て軌道を変えることで、最小限のマナで回避するなんて。そんなのこちら側の魔法の軌道を完璧に把握していなければできませんのに、それをあの不安定に揺れる足場でこなした。どんな演算処理能力をしていますの……!」
アリスは今まで見たことのない水準の技量に、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
アリスたちを抜けると、もうアドラ達についてくる兵士はいなかった。予定通り一行は洞窟にたどり着いた。




