アリス・ヴァルディア
「魔道士を狙った誘拐事件が多発しています。皆さんお気をつけください」
帝国騎士団の若手魔導士アリスは注意喚起のビラを配ってはため息をついた。名門魔法学校を首席で卒業した彼女は、自分の能力を発揮できない仕事に不満を感じていた。
「ああもう! 今や支部でもトップレベルの魔導士である私が、どうしてこんなビラ配りなんてしなくてはいけませんの! 誘拐事件の犯人なんて、見つけしだい私が氷漬けにしてあげますのに」
「その犯人の手がかりが見つからないから、今はこうしてできることをしているんだろう」
後ろから声が聞こえたアリスが振り向くと、上官のマー・グランが立っていた。
「た、隊長!」
「退屈な仕事かもしれないが、これも大切な仕事だ。頼んだぞ」
マーはそう言ってアリスの肩に手を置くと、振り返って自分の仕事に戻っていった。
「はい、頑張ります!」
マーは男性にしてはかなり小柄なので、アリスと身長は同じくらいだ。それでも、仕事における信頼感の大きさからか、アリスの目にはマーの背中が大きく見えていた。
それからアリスは気合を入れてビラを配っていたのだが、それでも、太陽が真上に上がる頃にはまた飽きてしまった。
ビラを配りながら、ぼんやりとした目で街行く人を眺める。杖を持った女の子が目についた。
「ナコ、海に行くなんてテンションが上がりますね」
「そうだね、モーくん。でも海水浴に行くわけじゃないからね」
女の子は隣を歩く小さい子に目を合わせて会話していた。女の子の顔に視点を合わせていると、隣を歩く子が視界に入らない。女の子の足元に視線を向けると、アリスは目を疑った。
小さい子と思っていた存在は、歩く小さなぬいぐるみに見えた。
なんですの、あれは!
その大きさからして、人間の子供が入っているには小さすぎる。しかし、言葉を話し、歩けるぬいぐるみなど、アリスの知識にはなかった。
「ほ……ほしい」
アリスは思わず呟いた。
名家に生まれたアリスは、幼い頃からぬいぐるみやおもちゃの類を禁止されていた。その反動からか、騎士団に入り一人暮らしが始まると、街でぬいぐるみを見かける度に買ってしまうようになった。そのアリスにとって、動き、お話ができるぬいぐるみは喉から手が出る程に欲しいものだった。
気づけばアリスは女の子とぬいぐるみの背中を追いかけ、歩き出していた。
海岸の岩陰に隠れ、アリスは様子を伺う。
ああ、気づけば仕事を放ったらかしてしまいましたが、隊長になんと言い訳しましょう。いえ、魔道士として、知らない魔術があっては帝国騎士団の損失です。これは未知の魔術の調査という、騎士団を思ってこその行動なのです。後ろめたいことなどない……はずです。
「それで、どうやってあのモンスターを倒すんですか?」
牛は海上に浮かぶウミグモというモンスターを指差して言った。
「うーん。今回は倒さなくてもいいってリサさんが言ってたよ。あのウミグモが出す糸を取ってくる依頼だから、それさえ取れればいいの」
ウミグモは海上に浮かぶモンスターだ。海中に向けて粘着性のある糸を吐き出すことで、餌となる魚や小さなモンスターを捕まえて食べる。水属性のモンスターを捕獲対象としているため、その糸には水属性への耐性があり、防具に編み込むなどの使い方で重宝されている。
「なるほど、では倒さずとも捕まえて、それから糸を回収する手順でもいいわけですな。それなら私に良い案がありますよ」
牛は自分の体に釣り糸を巻き付けると、ナコの持つ杖の先端に結び付けた。
「これで準備万端です! さあナコ、私をウミグモ目がけて投げるのです。」
「ええ? どういうこと?」
「私が上からウミグモを捕まえますから、ナコは引き上げてください。そうすればあとはどうとでもできます」
「そんな、危なくないの? ウミグモはキャタピラントよりも危険だってリサさんは言ってたよ」
今回の依頼は、ナコの冒険に憧れる心情を感じ取ったリサさんが、以前よりも少し難易度の高い依頼を選んでくれたらしい。
「大丈夫です。あんな私と同じ程度の大きさしかないモンスターに何もできませんよ」
「モーくんがそう言うなら……」
ナコの目から見てもウミグモがそれほど危険なモンスターには見えなかった。どうあっても攻撃されることのないキャタピラントよりは危険なのであろうが、ナコは杖を釣り竿の要領で振りかぶって投げた。牛は一直線にウミグモに向かって行き、ウミグモの頭をがっしりと両腕で掴んだ。
「捕まえました!」
牛の合図を聞いて、ナコが釣り竿を真上に振り上げる。牛とウミグモは空高く舞い上がった。驚いたウミグモが糸を撒き散らすと、真下にいたナコに降りかかった。ナコが悲鳴を上げる。
「ナコ! 大丈夫ですか!」
「うん、大丈夫だけど。糸がくっついて動けない」
「今助けます!」
地上に降り立った牛は果物ナイフを取り出して、ナコに絡まった糸を切ろうとした。しかし、強度のある糸はなかなか切ることができない。牛はマナを込めて、ナイフに電気をまとわせようとした。
「サン――おわあ!」
魔法を声に出した瞬間、背後からウミグモが糸を吐き出した。牛はナコを助けようと焦ってウミグモへの警戒を忘れていた。牛もナコも全身に糸を巻き付けられて、身動きが取れなくなってしまった。ウミグモが一歩ずつ二人に近づいていき、奇怪な口を開けた。海洋生物だからか、生臭い臭いが鼻をつく。瞬間、捕食される対象になったと理解した二人は、悲鳴を上げる。
「アイス!」
突然、ウミグモが氷漬けになった。二人が放心状態になっていると、岩陰から少女が姿を現した。
「まったく……もしわたくしがいなかったら、今頃あなたたちは見るも無残な姿になっていましたよ」
「あ、ありがとうございます! あなたは?」
ナコがお礼を言った。牛はまだ、ウミグモの口の中のグロテスクな光景が脳裏から焼き付いて離れず、放心状態のままだ。
「わたくしは、帝国騎士団グラン隊魔道士アリス・ヴァルディアですわ」
帝国騎士団といえば、各分野のエリートが集う組織だ。そこの魔道士ということは、よほどの実力者なのだろう。
アリスは一瞬で詠唱を終えると自分の杖の先端につららのような氷の刃を作った。それを使ってウミグモの糸を切っていく。ナコはその様子を見て、実力の違いを感じ取った。あれだけ素早く魔法が使えれば、こんな風に糸に絡まれることもなかっただろうと思った。
「ありがとうございます。」
牛とナコはウミグモの糸から解放された。
「まあ、それはそれとして……ゴホン!」
アリスはなにやらぎこちない仕草で咳払いした。
「これはあくまでも帝国騎士団の魔道士として、調査をするための質問であり、決して個人的な趣味などが絡んだものではありませんが……それは、どこで手に入れましたの?」
アリスは少し顔を赤らめ、あさっての方向を見ながら、牛を指さして言った。
「それって、モーくんのことですか?」
「名前は知りませんが、そこにいるぬいぐるみについて言っていますの」
「モーくんは、子供のころ近所で拾ったんです。」
「拾った? ということは、それと同じものを買う店をあなたは知らないということですの?」
「はい。店に売っているものなのかもわからないですし。」
「そうでしたか……それなら、仕方ありませんわね。」
アリスは露骨にがっかりした顔をすると、とぼとぼと帰っていった。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました。」
ナコは遠ざかる後ろ姿に向かってお礼を言ったが、なにやらショックを受けた様子のアリスには聞こえていないようだった。
「はっ! ここは天国ですか?」
牛はやっと放心状態から覚めたようで、飛び上がって周りを見渡した。
「ううん、さっき帝国騎士団の人が来て助けてくれたんだよ」
牛は自分とナコが無事なことを知ると、安心したらしく。その場にへたり込んだ。
「モーくん。あたしね、やっぱりもう少し魔法を練習してから、危険な依頼を受けようと思う。」
「いいのですか? 今回からリサ殿が少しずつ危険な依頼を手配してくれると喜んでいたのに」
「うん。さっき帝国騎士団の人の魔法を見たら、まだいろいろと足りてないんだなって分かったの。きっと私がもっと詠唱が早かったら今みたいなことにもならなかったし、モーくんに怖い思いをさせることもなかっただろうから」
「そうですか。ナコがそう思うなら私も大賛成です。でも、私の心配をする必要はないのですよ。私はナコのお役に立てるのなら、危険なことなんてなんでもありませんから。たとえバラバラに切り裂かれたとしても、またナコに縫ってもらえるのが楽しみになるくらいです。」
牛がそう言ってほほ笑むと、ナコも笑った。
帝国騎士団支部に戻ったアリスは、すぐにマー・グランに呼び出された。
「なんで呼ばれたか分かっているな。アリス」
「はい……」
アリスはマーの前で申し訳なさそうに縮こまった。
「まったく、どうして持ち場を抜け出したりしたんだ。大切な仕事だと言っただろう」
「実は……自分で歩き言葉を話すぬいぐるみを見つけましたの。帝国騎士団の魔道士として、知らない魔術があってはいけないと思い……」
「動いて話すぬいぐるみ? 何のことだか分からないが、それが自分の持ち場と役割をほったらかしていい理由には思えないな。」
「はい……すみません。」
アリスはさらに縮こまった時、他の団員が入ってきた。
「グラン隊長、例の魔道士誘拐事件に関する聞き込み調査結果なんですが、後にした方がいいですか?」
「いや今でいい。話せ」
「何人か、犯人を見たという証言がありまして、凄まじく移動が速くそのうえ戦闘が強いとか、複数人のグループでの犯行だと言っているのですが、その他に、にわかには信じられない証言がありまして。私も最初はいたずらで証言しているのかと思っていたのですが、複数人が同じ証言をしているもので……」
マーはなかなか話そうとしない部下の様子に首を傾げた。
「なんだ? 構わん、話せ」
「はい、私も最初はいたずらかと思ったのですが、犯人は人間では無く、動くぬいぐるみや人形だと」
マーは耳を疑う言葉を口にした部下を見た後、先ほどアリスが言っていたことを思い出し、アリスに視線を向けた。
「アリス、さっきの話を詳しく教えてくれ」




