1.ある記憶喪失の主人公に関する仮説
[仮説1] もしかしたら自分は今朝、ゴミ置き場で生まれたのではなかろうか?
不法投棄された何かの薬品とメタンガスとが科学反応を起こし、可燃ゴミに含まれたアミノ酸どうしが複雑に絡みあい。ひとりの成人男性が生まれた。幸いなことにゴミ置き場には男にとって必要なものが一通り揃っていた。着るものから、携帯電話、現金の入った財布。常識とモラルと人格。すべて誰かが捨てたものだ。
しかし、それでは説明できないことがひとつあった。妹のことだ。
彼女もまたゴミ置き場から生まれたにしては美し過ぎるし、妹であるなら俺より後に生まれなければならない。俺には彼女が生まれた時の記憶はない。 したがって[仮説1]は却下せざるをえない。
それにしてもこのパンケーキはひどい。ゴワゴワしたスポンジを食っているようだ。俺が食べたかったパンケーキというものはもっとシットリとしていて、そこにクリームと苺が添えられてたりしたらなおよい。しかし今それが出てきたところで、二日酔いの胃袋には重すぎるかもしれないが。
午前中のファミリーレストランはすいている。俺達以外にファミリーと呼べる客の姿は見当たらない。といっても、今の俺たちは傍からは痴話喧嘩をしているカップルに見えるかもしれないが……。それ以外の客は窓際の席で新聞を読んでいるおじいさんと、奥の席で若者がテーブルに突っ伏して眠っているだけだった。
「財布、ちゃんと持ってるわよね?ここはお兄ちゃんのおごりだからね」
妹はおごりの部分を強調して言った。
妹には黙っていたが、俺は大事なものをなくしていた。財布も携帯も持っていることは確認済みだが、普通なら持ち合わせていなければならないものの中で、どうしても見当たらないものがひとつあった。
それは、記憶だ。
「いつかみたいに携帯なくしたりしてなかったのが不幸中の幸いだわ。私のような純真無垢な美少女様がこんな右も左もわからない大都会で迷子になったら、あやしいおじさんが声をかけてくるに決まってるのよ。そして言葉巧みに騙された挙げ句外国に売り飛ばされたかもしれないのよ」
妹はフライドポテトが刺さったままのフォークをぴしゃりと俺の顔に突きつけ言った。 多少の飛躍的発想と多大なる自意識過剰の持ち主だが、確かにこの子はかわいい。美少女といっても過言ではないかもしれない。
そしてその純真無垢な美少女様とやらは俺のことをお兄ちゃんと呼ぶ。つまり俺の妹なのだろう。
飲み過ぎたわけではない(二日酔いであるのは間違いないが)。仮に飲み過ぎだとしても普通なら昨晩、誰とどこで飲んでいたかおぼえていない……その程度だろう。
俺は俺が誰なのかわからないのだ。
思い出そうとしてみるのだが、頭の中の大部分に濃い霧がかかっているようで、うまく記憶の置き場にたどり着けない。探せど探せどたどり着くのはゴミ置き場だ。それは今朝、最初に見た景色。それより前の記憶が見つからないのだ。
「まったく。私が何時間待ったかわかる?迎えに行くって言ったのはお兄ちゃんでしょ?」妹はチーズインハンバーグを不機嫌な顔で頬張りながら、上目遣いで俺を睨み付ける。
「いつもそうなんだから。またどこかで酔いつぶれて寝てたんでしょ?」
ご名答。さすが俺の妹だ。そう酔いつぶれていた。しかもゴミの中で。今朝俺を起こしてくれたのはごみ収集業者のオジサンだ。
そして「ここはどこ?わたしはだれ?」という古典的なセリフを言うべきか言わざるべきか迷っているうちにオジサンは収集車に乗って走り去ってしまった。
その姿を呆然と見送った後にあることに気づいた。先ほどからメロディが流れている。歪んだギターが奏でる、やけに陽気なロックが聞こえていた。ポケットの中のモノが規則的に振動している。携帯電話だ。電話の相手は待ち合わせ場所で一時間以上待ちぼうけをくらって最高に不機嫌な妹だった。
なぜ俺の妹だとわかったか。それは、通話ボタンを押して、聞こえてきた第一声が絶叫に近い「お兄ちゃん!」だったからだ。
「それじゃあ、そろそろいきましょうか」
伝票をテーブルの上でするすると俺の方へ滑らせながら妹は言った。
「えっと?どこ……行くんだっけ?」
[仮説2] 俺は記憶喪失。
今のところ反証は見つからない。




