神崎仁也の限界
神崎たちは、入口からかなり離れた場所まで進んでいた。
最初に集めた時は、入口付近での簡単な確認作業だと説明している。
ただ、神崎にとってはこの程度なら入口付近と言ってもいいだろうという認識だった。
何メートルまでが入口付近で、どこからが奥なのか。
そんな細かいことは考えていない。
参加者が怖がらずに入ればいい。
カメラに顔が映ればいい。
自分の足でゲートの中へ入った映像が残ればいい。
それだけでも十分だが、高槻からは奥で作業しているところまで撮れと言われている。
細かい理由までは知らない。
入口で立っているだけの映像より、奥で何かをやっている映像の方が炎上する。
たぶんそういうことだろう。
だったら奥まで連れていく。
神崎にとっては、それくらいの認識だった。
参加者たちは神崎の後ろを不安そうに歩いている。
作業服姿の男たちはその参加者たちを後ろから囲むようにして進んでいた。
一人はライトを持ち、一人は小型の機材を抱え、もう一人はカメラを構えている。
神崎は振り返り、いつもの柔らかい顔を作った。
「もう少しです。足元だけ気をつけてください」
こう言っておけばとりあえず大丈夫だ。
神崎はそう思っていた。
こういう連中はちゃんとした顔で、ちゃんとした声で、大丈夫ですと言えばだいたい黙る。
外でもそうだった。
高槻が議員の名前を出しただけで、あれだけ不安そうだった連中の顔が少し緩んだ。
神崎からすれば単純で扱いやすい連中だった。
覚醒者だ何だと言っても、所詮はただの人間。
少し高い報酬を見せて、偉そうな人間たちを横に立たせて、あとはそれっぽい言葉を並べる。
そんなもんでいいんだから、楽なもんだ。
そのついでに、あの付与術師が追ってきているならそれはそれで悪くない。
神崎は一度だけ来た道の方へ意識を向けた。
南区第三資材置き場跡。
外で隠れていた気配は覚えている。
第七会議室の時と同じ感じだった。
おそらくあのガキが来てる。
何が目的かは分かんねぇ。
参加者の中に知り合いがいるのかもしれねぇし、たまたま鉢合わせただけかもしんねぇ。
だが、あの場にいて黙って帰るような奴には見えなかった。
たぶん来る。
ゲートをくぐって、オレたちの後を追っている。
神崎はそう確信をしていた。
いや、そうであれと願っていたのだ。
神崎は強いやつと戦うのが好きだった。
弱いやつを殴ってもつまらない。
最初から勝負にならない相手を潰しても、それはそれで気分はいいが、腹の奥が熱くなるような感じはない。
簡単に倒せない相手を最後に崩す瞬間ってのが一番気持ちよく滾れる。
その感覚を味わいたい。
ただそれだけだった。
第七会議室で付与術師に一撃を入れられた時、神崎は腹の底から苛立った。
負けたとは思っていない。
終わったとも思っていない。
ただ、あの時の続きがしたい。
早くやりたい。
次は逃がさず捕まえて、あの細い体が動かなくなるまで何度でも殴ってやりたい。
そう考えるだけで、神崎の口元が少しだけ歪んだ。
だが今は仕事が先だ。
奥で作業している映像を撮る。
高槻に言われたことを済ませる。
それが終われば、あとはどうとでもなる。
「あの」
参加者の一人が声を上げた。
神崎は足を止める。
「はい。どうしました?」
面倒だと思ったが、顔には出さない。
声を出したのは大学生くらいの男だった。
男は作業服の男が持つカメラへ視線を向けている。
「ずっと気になってたんですけど、これ撮影してるんですか?」
その一言で、ほかの参加者たちもカメラを見た。
神崎は軽く頷く。
「はい。安全確認です」
「安全確認……ですか?」
「こういう場所ですからね。何かあった時のためですよ」
神崎はそれ以上の説明をしなかった。
というより、それ以上の考えに及ばなかった。
安全確認。
何かあった時のため。
こう言っておけば大丈夫だろうと思っていた。
実際、参加者の何人かはそれで黙った。
納得したわけではない。
ただ、反論する言葉がすぐに出てこなかっただけだ。
神崎にとっては、それで同じだった。
黙ればいい。
進めばいい。
細かい理由なんざどうでもいい。
カメラには顔が映っている。
声も入っている。
ここまで来た事実も残っている。
それだけで目的は成し遂げたも同然だと。
「でも……」
今度は他の参加者、瀬川が声を出した。
神崎の目がそちらへ向く。
「入口付近って聞いてたんですけど、もう結構歩いてませんか?」
その言葉に、参加者たちの空気が少し揺れた。
誰もが思っていたことなのだろう。
通路を曲がるたびに、入口から離れている感覚は強くなっていた。
それでも誰も言わなかった。
だから黙って進んでいた。
その沈黙を、瀬川が崩した。
神崎は一瞬だけ面倒そうに目を細めかけ、すぐに笑顔へ戻す。
「もう少しですよ」
「でも」
「大丈夫です。危ない場所には行きませんから」
神崎はそれだけ言った。
それ以上は出てこない。
入口付近と言ったのに、どこまで進むのか。
本当に危なくないのか。
安全確認とは何か。
そう聞かれても、神崎にはまともに説明する気がないし、説明できるほど考えてもいない。
「……すみません」
最初に撮影のことを聞いた男が、今度は少し硬い声で言った。
「やっぱり帰らせてもらっていいですか? 報酬はいらないので」
参加者たちの足が止まる。
神崎の頬が、ほんの少し動いた。
帰る?
このタイミングでか?
せっかくここまで連れてきて、カメラも回して、あとは適当な確認作業をさせて終わりでいいところまで来た。
高槻に言われた通り、顔も撮った。
自分の足でゲートの中を歩いている映像も撮った。
このあと奥で少し作業させれば、神崎の役目はそれで終わる。
なのに、今さら帰りたいと言い出した。
神崎は胸の奥で苛立ちが膨らむのを感じたが、それでもまだ外向きの顔は崩さない。
「もちろん構いません」
神崎はゆっくりと言った。
「ただ、もう少しで確認作業の場所です。そこまで終わればすぐ戻れますから」
「でも、今戻りたいんです」
男は引かなかった。
その言葉に、神崎の眉がわずかに動く。
面倒くさい。
神崎はそう思った。
今じゃなくていいだろ。
あと少し歩いて、適当に荷物でも持って、カメラの前でそれっぽい作業をすれば終わりだ。
それなのに、今戻りたい。
報酬はいらない。
怖いから帰りたい。
なら最初から来るなよ。
高い金に釣られて応募したのは自分たちで、議員の関係者がいると聞いて勝手に安心して、ここまでついてきたのも自分たちだ。
神崎の中ではそういう話だった。
「俺も……」
別の参加者が小さく言った。
「俺も帰れるなら帰りたいです」
その一言で、空気がさらに悪くなった。
「私も、ちょっと怖くなってきました」
「説明と違う気がします」
ぽつぽつと声が増えていく。
神崎は奥歯を噛んだ。
一人が言い出すと、こうなる。
怖いなら最初から来るな。
金が欲しくて来たくせに、少し不安になったら被害者みたいな顔をする。
その顔を見ていると神崎の苛立ちはさらに強くなっていった。
上手くやれと言われている。
この仕事をきちんと終わらせれば、黒門の上層部にも評価される。
そうすれば次はもっと大きな仕事に関われるかもしれない。
今みたいに、若い覚醒者を集めて歩かせるだけの役ではなくなるかもしれない。
だから神崎は丁寧にやっていた。
優しく話した。
不安そうな顔にも笑って返した。
それなのにこいつらは自分の邪魔をしている。
神崎からすれば、そうとしか見えなかった。
「分かりました。じゃあ一度落ち着きましょう」
神崎はまだ優しい声を出したが、その奥に混じった苛立ちはもう隠しきれていなかった。
参加者の何人かが一歩下がる。
その間に、最初に帰りたいと言った男が後ろの通路へ足を向けた。
「すみません。俺、帰らせてもらいます」
男はそう言って入口側へ歩き出す。
その瞬間、神崎の中で何かが切れた。
「おい、通すなよ」
声の温度が変わった。
作業服の男たちが入口側へ回る。
戻ろうとした男の足が止まった。
「え……?」
参加者の誰かが声を漏らす。
神崎は笑顔を消した。
さっきまでの柔らかい顔は、もう残っていない。
「あぁあ……めんどくせぇ。もういいわ」
神崎は肩を回しながら、参加者たちを見た。
不安も恐怖も困惑も、さっきまでより分かりやすく顔に出ている。
神崎はそれを見て少しだけ気分がよくなった。
「どうせここは国の管理外だ。外の連中は、この中で何が起きたかなんて分からねぇ」
参加者たちが固まる。
「顔は撮った。自分の足でここまで来た映像も撮った。当初の目的はもう十分果たしてる」
神崎は一番近くにいた参加者へ視線を向ける。
さっき帰りたいと言った男ではない。
何が起きているのか分からず固まっていた別の若い男だ。
その男は神崎に見られていることに気づき一歩下がろうとしたが、もう遅い。
「だったら、もう問題ねぇだろ」
次の瞬間、神崎の腕が振るわれた。
横から叩きつけるような一撃だった。
武器など使っていないし、大きく構えたわけでもない。
それでも闘士である神崎の腕は、初級の覚醒者が反応できる速度では動いていなかった。
男の体が声を上げるより先に横から殴り潰される。
胸から肩にかけて神崎の腕が入り、そのまま壁へ叩きつけられた。
鈍い音がダンジョンの中に響く。
壁にぶつかった体は跳ね返ることもできず、崩れるように床へ落ちた。
腕が変な方向へ曲がり、肩のあたりが潰れたように沈んでいる。
男は動かない。
誰もすぐには声を出せなかった。
何が起きたのか理解するより先に、目の前の光景だけが参加者たちの頭に焼きつく。
「覚醒者同士っつっても、レベル差がありゃあ所詮はこんなもんか」
そして神崎だけが床に潰れた男を見下ろして愉しげに笑っていた。




