個人実績、達成
ゲートをくぐった瞬間、足元の感覚が変わった。
外のアスファルトではない。
少し湿った石の床。
外の空気は消え、かわりに冷たい空気が喉に入ってきた。
土と鉄みたいな匂い。
それから、どこかで水が落ちる音。
俺は反射的に周囲を見渡す。
瀬川はいない。
相沢さんもいない。
神崎もいない。
作業服姿のスタッフも見えない。
「……あれ?」
普通に声が出た。
いや、待て。
これ同じ場所に出てるんだよな?
ゲートに入ったら全員同じ入口付近に出る。
少なくとも中央公園ダンジョンの時はそうだった。
なのに目の前には誰もいない。
洞窟みたいな通路が奥へ続いているだけで、壁には苔のようなものが張りついている。
天井はそこまで低くないが、左右の壁が近いせいで外とは比べものにならないくらい圧迫感があった。
人の声は聞こえない。
足音もない。
もしかして、俺だけ違う場所に出たとかないよな?
さすがにそれは困る。
ダンジョンの中で単独行動とか普通に一番やっちゃいけないやつだろ。
いや、まぁ初回は一人でやっちゃったんだけど。
若気の至りというやつだな、うん。
俺は後ろを振り返った。
そこにはゲートがある。
外へ戻る入口だ。
いや、出口か。
ひとまず帰り道が消えていないことだけは分かったが、それで安心できるかと言われると全然できない。
だって前に誰もいない。
瀬川たちはどこだ。
もう先に進んだのか。それともここに出たあとで別方向へ移動したのか。
俺は足元を見る。
石の床には薄い水気があり、その上にいくつかの足跡が残っていた。
泥でくっきり残っているわけではない。
ただ、靴底が湿った床を踏んだ跡がうっすら続いている。
それから端の方には、何かを引きずったような細い線もあった。
箱か台車か。
何かを運んだのかもしれない。
「先に行っただけか……?」
そう考えたい。
というかそうであってくれ。
そしてそれともう一つ、俺には別の問題があった。
【個人実績:達成者がダンジョン内に到達する】
【達成条件を満たしました】
【個人実績達成報酬を獲得しました】
【オブザーバーが解放されました】
「いや、今かよ」
思わず声が出た。
いや、今なのは分かる。
たしかに今、俺はダンジョン内に到達した。
条件だけ見ればこれ以上ないくらい達成している。
しているんだけど。
瀬川たちがいないんだよ。
実績の方にも事情があるのかもしれないが、こっちにも事情がある。
もちろん実績に空気を読めと言っても仕方ない。
それでも言いたくなるくらい表示されている文字が重かった。
個人実績。
達成報酬。
オブザーバー。
どう考えても普通の報酬ではない。
というかオブザーバーって何だ。
観察者?
見てる人?
それは今の俺みたいに、コソコソ後をつけてきた奴のことを言っているのか。
だとしたらだいぶ嫌味ったらしい名前の付け方だな?
そんなことを考えている間にも表示は続く。
【オブザーバー:干渉者】
既に発生している力、現象の流れに干渉する者。
【特性:干渉眼】
発生中の力、現象の流れを視認することができる。
【オブザーバースキル:滞流】
手で接触した力、現象の流れを滞らせる。
干渉者。
既に発生している力、現象の流れに干渉する者
言葉だけ見るとかなり物騒だ。
付与術師の次に出てくる単語かよ、これ。
俺は味方に付与をかける役割じゃなかったのか。
いや、役割が違うのは分かる。
付与術師はジョブ。干渉者はオブザーバー。
たぶん完全に別枠だ。
分かる。
分かるが、なんなんだこのスキルは。
滞流。
手で接触した力、現象の流れを一時的に滞らせる。
触れたものに何かしらができるらしい。
その程度は分かる。
でもそれが攻撃に使えるのか、防御に使えるのか、何にどこまで効くのかはさっぱりだ。
「……とりあえず、ちょっとだけ試すか」
というか、すでにさっきから視界が少しおかしい。
目の前に何かが見える。
光ではない。
煙でもない。
水でもない。
でも水の流れに近い。
空気の中を薄い何かがゆっくり動いているように見える。
場所によって濃さが違う。
「これが……干渉眼か?」
表示には発生中の力や現象の流れを視認すると書いてあった。
力の流れ。
エネルギー的なもの。
そう言われればそうなのかもしれない。
魔法とか魔力とか、そういう言葉を使えば分かりやすいのかもしれないが、この世界にそんなものが散らばっているかどうかも怪しい。
まぁでも壬生は魔導士だっていうし、あってもおかしくないんだが。
ひとまず、俺はその流れを追うように通路を進むことにした。
通路は曲がりくねっている。
洞窟というより迷路に近い。
まっすぐ進める場所が少なく、すぐに曲がり角が来る。
右へ曲がり、少し下るとまた道が複数に分かれる。
俺は一旦、目に見えるこれが濃い方へ進んでいっている。
それを信じていいのかは分からない。
瀬川たちが通った跡なのか。
ダンジョンそのものの流れなのか。
それとも別の何かなのか。
区別は全くつかない。
だが、何もない通路を勘で進むよりはいい。
そのまま進むと通路がさらに二つに分かれていた。
右と左。
干渉眼で見ると右は薄く、左は少し濃い。
それ以上のことは分からない。
「……じゃあ左か」
俺は相変わらず、このエネルギーの濃さというなんの根拠もない謎の視認体を手がかりに左の通路へ進んでいく。
通路はさらに細くなった。
足元には砕けた石が転がっている。
一歩踏むたびに小さな音が鳴りそうで、自然と歩幅が小さくなった。
奥へ進むにつれて見えている流れは少しずつ濃くなっていく。
瀬川たちに近づいている。
そう思いたかった。
だが、すぐに足が止まった。
ようやく道が拓けた先、前方の岩陰で何かが動いた。
人ではない。
低い姿勢の黒い影が壁を這うように横切る。
「……!?」
俺は無意識に息を殺した。
その影の周りにも、干渉眼で見えている流れがまとわりついている。
あれぇ?
おかしいなぁ?
この水流みたいなエネルギーの流れ。
完全に人が通った跡だと思い込んでいたが、全くの見当違いだったようだ。
黒い影が動いた。
トカゲだ。
人の膝くらいの高さがある黒いトカゲが、壁に張りつくようにしてこちらを見ていた。
体の表面は岩みたいにごつごつしている。
背中には小さな棘。
口の端から、細い舌がちろりと覗く。
そしてさらに、天井から爪が石を引っ掻く音。
もう一つの影が俺の目に入った。
黒い大トカゲがこの場に二体。
さっさと瀬川たちに追いついてやろうと思っていたが、どうやらそう単純な話ではなかったらしい。




