最悪の布陣
水曜日の放課後。
六限目のチャイムが鳴ると同時に、教室の空気がいつもの放課後に変わった。
部活へ向かう声があちこちで上がり、帰る準備をする音が重なる。
俺は鞄を持ち上げながら、スマホの画面を確認した。
時刻は十六時過ぎ。
集合時間まではまだ少しある。
南区第三資材置き場跡。
水曜十七時三十分。
作業時間は一、二時間。
詳細は現地担当者より説明。
月曜に見た求人の文字は結局今日まで頭の端に残り続けていた。
相沢さんと瀬川は一昨日、登録フォームを送らないと言っていた。
だから二人が行くことはない。
ないはずだ。
ただ、ネクストワークスという名前が高槻に繋がるかもしれない以上、場所だけは確認しておきたかった。
あの日付と場所まで分かっていて、そのまま家に帰るのも妙に気持ち悪い。
そんなわけで俺は学校を出て南区へ向かった。
駅前から少し離れると店の数が減り、住宅と倉庫が混ざったような道に通りになっていく。
古い工場のフェンス。
錆びた看板。
空き地に積まれた資材。
学校帰りに高校生がふらっと寄る場所ではない。
ふらっとどころか、目的がなければ普通に近づかない場所だ。
そろそろ目的地が近いよなぁ。
そう思っていた時だった。
前方の歩道で、二人の高校生が立ち止まっているのが見えた。
相沢さん。
それから瀬川。
「……いやいやいや」
思わず声が漏れた。
なんでいるんだよ。
こっちはネクストワークスの現場だけ確認するつもりで来ている。
相沢さんと瀬川はたしかにフォームを送らないと言っていた。
つまり、今日ここに来る理由はない。
ないはずなのに、目的地の近くで普通に二人が立っている。
どんな偶然だ。
いや、偶然で片づけるには場所が悪すぎる。
俺は近くの塀の陰に寄って、二人の様子を見る。
相沢さんはスマホを両手で握っていた。
瀬川は数歩先で振り返っている。
「瀬川くん」
「何?」
「やっぱ止めない?」
「なんだよ、ここまで来といて」
「でも、氷室くんも牧野くんも、やめた方がいいって……」
「だから、説明だけだって。現地で話聞いて、変だったら帰ればいいだろ」
「でも……」
「登録したら参加確定ってわけじゃないって書いてあっただろ。見学だけでも可って返信来たし」
おい。
やっぱり送ったのかよ。
月曜にあれだけ話して送らないって言って、それで結局送ったのか。
瀬川の中では約束を破ったつもりではないのかもしれない。
説明だけ。
見学だけ。
現地で決めればいい。
その言い方をされると、まだ引き返せる場所にいる気になるのだろう。
実際は、もうかなり前に出ている気がするけどな。
「大丈夫だって。変だったら帰るから」
瀬川はそう言ってまた歩き出した。
相沢さんはまだ迷っているようだったが、結局その後を追う。
そこでようやく声をかけるか迷った。
だが、今さら俺が出ていけばネクストワークス側にこちらの存在が知られる可能性がある。
誰がいるのか。
何を説明するのか。
本当にただのバイトなのか。
そこを見ないまま顔を出すのは早い。
俺は改めて少し距離を取って、二人を追いかける。
人通りは少ない。
車は時々通るが、歩いている人間はほとんどいない。
やがて二人は、古いフェンスに囲まれた敷地の前で足を止めた。
南区第三資材置き場跡。
入口付近には簡易的な照明が立てられている。
奥には使われていないプレハブ。
車が数台。
作業服姿の男が二人。
それから俺たちと同じくらいか、少し年上くらいの男女が何人か集まっていた。
俺は敷地の端に回り込み、プレハブの近くに積まれた資材の陰に身を寄せた。
だいぶ近い。
だが、ここならスタッフの動きも、集まっている覚醒者たちの様子も見える。
その奥にブルーシートが張られていた。
資材か何かを隠しているようにも見える。
だが、その奥に妙な揺らぎがあった。
見覚えがある。
ダンジョンの入口。
ゲートだ。
「……おいおい、マジかよ」
さすがに声が漏れた。
覚醒者向け高単価案件。
現地補助スタッフ。
詳細は現地担当者より説明。
その正体が、管理外らしきゲート前の集合。
バイトという言葉で包んでいるだけで、中身はかなりまずい。
いや、かなりまずいどころではない。
求人票に「現地補助」って書いて、実際の現地がゲートってのは反則だろ。
集まった覚醒者たちの間にも、少しずつざわめきが広がり始めた。
「え、あれってゲートじゃないですか?」
「入口ですよね?」
「本当に入るんですか?」
当然の反応だ。
求人には現地補助スタッフとしか書かれていなかった。
ゲートに入るなんて、はっきりとは一言も書かれていない。
瀬川も黙っている。
相沢さんは分かりやすく顔を強張らせていた。
作業服姿の男たちが、集まった覚醒者たちを軽くなだめる。
その時、プレハブの方から一人の男が出てきた。
見た瞬間、俺は思わず声が漏れそうになる。
あの時の男だ。
壬生と一緒に見た、あの会議室にいた男。
ガタイのいい闘士の覚醒者。
まさか本当にいるとは思わなかった。
だが目の前にいる男は、あの時とはまるで雰囲気が違う。
荒い感じはない。
声を張り上げるわけでもない。
むしろ穏やかで、参加者たちを安心させるような柔らかい表情を浮かべていた。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
男は丁寧に頭を下げた。
「本日、現地案内を担当させていただきます。ネクストワークスの神崎です」
神崎。
そういう名前なのか、あの男。
神崎は集まった覚醒者たちをゆっくり見回した。
「事前の案内だけでは分かりにくい部分もあったかと思います。まずは簡単に、本日の流れをご説明します」
優しそうな口調だった。
相手を不安にさせないよう、言葉を選んでいるのが分かる。
あの会議室で見た時とは別人みたいだ。
いや、別人みたいに見せているだけかもしれない。
「皆さんにはこれから、こちらのゲートに入っていただきます」
その一言で、場の空気が止まった。
何人かが顔を見合わせる。
相沢さんも隣の瀬川を見る。
瀬川は何か言いたそうに口を開きかけたが、すぐには言葉が出てこないようだった。
神崎はその反応を待っていたかのように、すぐに微笑む。
「もちろん、危険な戦闘をお願いするわけではありません。あくまで入口付近での簡単な確認作業と補助業務です。皆さんの安全を最優先に進めますので、ご安心ください」
ご安心ください。
綺麗な言葉だ。
ただ、こういう場面で聞くと逆に信用しづらい。
「詳しい作業内容は、中に入ってから改めて説明します」
いや、そこは外で説明しろよ。
入口付近の簡単な確認作業なら、なおさら外で説明してから入ればいいだろ。
明らかに順番がおかしい。
「でも、勝手にゲートへ入っちゃ駄目なんじゃ……」
「許可とか、大丈夫なんですか?」
「プログラムも止まってますし」
参加者たちの声が重なる。
作業服姿の男たちは黙っている。
神崎は困ったように眉を下げた。
その表情だけ見れば、参加者の不安に寄り添っているようにも見える。
そしてそんな空気を待っていたかのように、また別の声が響いた。
「ご安心ください」
奥のプレハブからもう一人の男が出てくる。
スーツ姿。
場違いなくらい整った服装。
穏やかな表情。
そして、見覚えのある顔。
「必要な調整は済んでおります」
その男は集まった覚醒者たちへ、ゆっくり視線を向ける。
「申し遅れました。私は壬生議員の政策秘書補佐を務めております、高槻と申します」
高槻だった。
隣に並び立つ神崎という男。
それからゲート、ってか。
いやいや。
これはさすがに、最悪の布陣すぎるだろ。




