とりあえずは
昼休みのあと、宗介はすぐに動いてくれた。
例の求人を見ていたクラスメイトに声をかけ、放課後に少しだけ話す時間を取ってくれたらしい。
場所は三階の空き教室。
普段は選択授業や委員会で使われる部屋だが、今日は何も予定が入っていないとのことだった。
放課後。
俺と宗介は、階段を上がりながら空き教室へ向かっていた。
「ごめんね、蓮くん」
隣を歩く宗介が小さく言う。
「何が?」
「急に巻き込んで」
「いや、俺が話を聞きたいって言ったんだろ」
「そうだけど……相沢さんも、ちょっと困ってたから」
相沢さん。
宗介と同じクラスの女子生徒で、覚醒者養成プログラムにも参加しているらしい。
昼休みに見せてもらった求人の話も、元はその相沢さんが宗介に相談したものだった。
「相沢さんは、バイトに行く気なのか?」
「迷ってる感じだった。怪しい気もするけど、覚醒者向けならそういうものなのかなって」
「まあ、そう思うよな」
普通の高校生向けの求人なら、日給三万円で仕事内容不明の時点で終わりだ。
でも覚醒者向けと言われると、少しだけ見え方が変わる。
普通の人間にはできない仕事。
だから報酬が高い。
そう言われれば納得できなくもないが。
そんな話をしているうちに、俺たちは空き教室の前まで来ていた。
扉は少し開いている。
中には二人いた。
一人は女子。
肩くらいまでの髪で、スマホを両手で持っている。
たぶん相沢さんだ。
もう一人は男子。
窓際の机に浅く腰をかけて、こちらを見ていた。
相沢さんとは違って、不安そうには見えない。
「あ、牧野くん」
相沢さんが宗介に気づいて、少しほっとしたような顔をした。
「急にごめんね、相沢さん」
「ううん。私も、ちょっと聞いてみたかったから」
相沢さんはそう言ってから、俺を見る。
「氷室くん……だよね?」
「ああ。氷室蓮」
「相沢です。相沢千夏」
相沢さんが小さく頭を下げる。
すると、隣にいた男子が口を開いた。
「瀬川拓真。俺もそのバイト行く予定だから、一応話聞いとこうと思って」
瀬川の声に敵意はない。
ただ、最初から少し構えている感じはあった。
自分が行こうとしているバイトに、横から口を出されるようなものだ。
面白くはないんだろう。
「宗介から少し聞いた。覚醒者向けのバイトに参加しようとしてるって」
「まだ登録したわけじゃないけどな」
瀬川がすぐに言った。
「今日中にフォーム送るかって話してただけ。水曜の夕方に現地集合で、その場で説明聞いて、問題なければ仕事って流れ」
「その日に仕事もするのか?」
「ああ。一、二時間くらいらしい」
「日給は?」
「三万」
高校生の日雇いで三万。
しかも二時間程度。
金額だけで言えばかなり異常だ。
ただ、そこを正面から言っても意味がない。
覚醒者向けだから。
その一言で、瀬川の中では説明がついている。
「求人、見せてもらっていいか?」
「別にいいけど」
瀬川はスマホの画面をこちらに向けた。
【ネクストワークス株式会社】
【覚醒者向け高単価案件】
【初回歓迎】
【レベル不問】
【現地補助スタッフ】
【日給三万円】
【水曜十七時三十分集合】
【作業時間:一〜二時間程度】
【詳細は現地担当者より説明】
【集合場所:南区第三資材置き場跡】
【登録フォーム送信後、参加案内を通知】
短い。
日給三万円という文字だけが妙に目立っている。
だが肝心の仕事内容はほとんど分からない。
現地補助スタッフ。
詳細は現地担当者より説明。
集合場所は会社でも会議室でもない。
資材置き場跡。
なんかもう怪しすぎるだろ。
「これ、具体的に何をする仕事かは聞いてるのか?」
「だから現地補助だろ」
「何の補助かは?」
「それを当日に聞くんじゃないの」
瀬川が少し面倒そうに答える。
相沢さんはスマホの画面を見たまま、視線を落としていた。
「相沢さんは?」
「私は……分からないのが怖いなって思ってた。でも覚醒者向けの仕事なら、普通のバイトとは違うのかなって」
「それは分かる」
俺は画面を見ながら答えた。
分かるから困る。
普通ではない世界になった。
なら普通ではない求人があってもおかしくない。
そう考えてしまう余地がある。
「瀬川。登録フォームには何を入れるんだ?」
「名前と連絡先。あと覚醒者登録してるかどうかと、レベルとジョブの有無とかだったと思う」
「仕事内容が分からないまま、その情報を先に送るのは少し怖くないか?」
「覚醒者向けなんだから、そこは確認するだろ」
「確認自体は分かる。でも順番が逆な気がする。何をする仕事か分かってからでも遅くないと思う」
「氷室、慎重すぎないか?」
「そうかもしれない」
俺はそこを否定しなかった。
「でも、軽く考えて困るよりはマシだろ。特にこういうのは」
「こういうのって?」
「仕事内容が曖昧で、報酬だけ高くて、いかにも怪しさ満々みたいな求人」
瀬川の表情が少し硬くなる。
言い方が難しい。
俺の中では、ネクストワークスという名前はほとんど黒に近い。
高槻が口にしていた名前だからだ。
でも、それは言えない。
第七会議室で盗み聞きした話をここで出すわけにはいかなかった。
壬生のことも壬生の父親のことも絡んでくる。
それに証拠もない。
俺がいきなり「その会社は危ない」と言ったところで、瀬川たちからすればよく分からない理由で決めつけているだけに見える。
だから求人の文面から話すしかない。
でも、そこが難しかった。
言葉を間違えれば、こいつらが何も考えていないと言っているように聞こえる。
「日給三万って、覚醒者なら別におかしくないだろ」
瀬川が言った。
「普通のバイトと違うんだから。俺らだって養成プログラム受けてるし、ステータスもある。何もできない一般人ってわけじゃない」
「それは分かる」
「分かるなら、なんでそんなに引っかかるんだよ」
俺は少し言葉を探した。
「養成プログラムが止まってる。いつ再開するかも分からない。覚醒者になったのに、何もさせてもらえない。そういう時に、覚醒者として役に立てる仕事がありますって言われたら、気になるのは分かる」
俺はスマホの画面を見る。
「しかも日給三万。初めてでもいい。レベルも問わない。詳しいことは当日説明。……なんか、今の覚醒者周りの不満に合わせすぎてる感じがするんだよな」
瀬川は黙った。
相沢さんが少し不安そうに瀬川を見る。
「瀬川くん、私も登録はちょっと待った方がいいと思う」
「相沢まで?」
「うん。仕事内容が分かってからでも遅くないと思うし」
相沢さんの声は小さかった。
でも、そこだけははっきりしていた。
宗介も少し安心したような顔をする。
瀬川は不満そうにスマホを見た。
「牧野が氷室呼ぶから、ややこしくなったぞ」
「ごめん」
「いや、宗介は悪くないだろ」
「牧野くんは、私が相談したから声をかけてくれただけだよ」
相沢さんがそう言うと、瀬川は少し言葉に詰まった。
「……別に責めてるわけじゃないんだ」
その声から、強さが少し抜けた。
瀬川も本気で宗介を責めたいわけではないのだろう。
「氷室はいいよな」
瀬川がスマホを机に置いた。
「遠征とか行ってるんだろ。壬生と一緒に見学に行ったとか、上の覚醒者と訓練してるとか、そういう噂あるし」
瀬川は少しだけ視線を逸らした。
「でも俺らは、結局学校で授業受けて帰るだけ。プログラムでも基礎練ばっかだ。ステータスがあっても使う場所がない。じゃあ何のために覚醒したんだよって思うだろ」
もちろん、それが怪しい求人に登録する理由にはならない。
でも瀬川が言いたいこと自体は分かる。
覚醒した。
訓練も受けた。
けれど、ダンジョンに入る前に止められた。
いつ再開するのかも分からない。
そんな状態で「覚醒者として役に立てる仕事」が目の前に出てきたら、一度くらい話を聞いてみたくなる。
その流れが見えるから、余計に引っかかった。
「瀬川の言いたいことは分かる」
「分かるとか言うなよ」
「でも、俺だって何もできないまま待てって言われたら嫌だと思う」
瀬川の顔が少しだけ揺れた。
「だからこそ、今日フォームを送るのはやめた方がいいと思う。焦ってる時に決めるには、情報が少なすぎる」
瀬川はしばらく黙っていた。
相沢さんも宗介も何も言わない。
「……分かったよ」
瀬川がようやく口を開いた。
「送らない」
宗介が小さく息を吐いた。
相沢さんも、少し肩の力が抜けたようだった。
「相沢もそれでいいんだろ?」
「うん。私もその方がいいと思う」
「じゃあ、この話はこれで終わり」
瀬川はスマホをポケットに入れた。
まだ納得しきった顔ではない。
でも、少なくとも登録フォームを送ることはなくなった。
そこは大きい。
「悪かったな。変に口出して」
俺が言うと、瀬川は少し意外そうな顔をした。
「いや……別に。氷室が言ってることも、全部間違ってるとは思わないし」
「それはどうも」
一通り話を終えたところで、俺たちは空き教室を後にした。
廊下には、放課後特有のざわめきが残っている。
いつも通りの学校って感じだ。
「蓮くん」
宗介が横から小さく声をかけてきた。
「ありがとう」
「いや、まぁ完全に納得してくれたかどうかは分からないけどな」
俺はそう答えながら、さっき見た求人の内容を思い出していた。
南区第三資材置き場跡。
水曜十七時三十分。
作業時間は一、二時間。
詳細は現地担当者より説明。
求人の気持ち悪さは残っている。
少なくとも、あの二人がそのバイトに行く流れは止まったはずだ。
とりあえずは一安心だな。
ただ、思いがけず日付と場所は分かってしまった。
高槻が口にしていた名前と繋がるかもしれない情報が、こっちから探す前に転がってきた。
……さて。
これは見なかったことにする方が難しいぞ。




