神崎仁也
これ、やっぱエグいよな?
そう思いながら俺はサンドイッチをもう一つ口に運んだ。
個人実績。
十種類の実績に届いたことで開いた、俺専用の実績。
正確には、限定報酬で解放された機能だ。
概要だけでも十分おかしい。
だが問題はその先だった。
【現在の個人実績を表示します】
【個人実績:達成者がダンジョン内に到達する】
最初に表示された条件は、もう分かっている。
ダンジョン内に到達すること。
条件だけ見れば単純だ。
ダンジョンに入ればいい。
たぶんそれだけでこの個人実績は達成できる。
ちなみに表示が俺ではなく達成者という表記になっているのは少し気になる。
達成者。
何を達成した者なのか。
実績を十種類取ったからなのか。
それとも、限定報酬を得た人間のことなのか。
考えれば考えるほど分からなくなる。
なのでそこは一旦置いておく。
今の問題はもっと分かりやすい。
ダンジョンに入る。
その入口が塞がっていることだ。
あの動画の件から、覚醒者養成プログラムは一旦中止になっている。
通常の訓練も制限されているし、第二段階なんて完全に止まったようなものだ。
だから当然、プログラム経由でダンジョンに入ることもできない。
だったら管理の甘いゲートを探して、軽く入ってしまえばいいんじゃないかと。
正直、ちょっと考えなかったわけではない。
個人実績の条件はダンジョン内に到達すること。
なら、ほんの少しだけ入ってすぐ出れば達成できるかもしれない。
いや、まあ。
さすがに駄目だろう。
無許可でゲートに入るのは普通に問題だし、今この状況で俺がそれをやれば、壬生にも七海さんにも余計な迷惑がかかる。
覚醒者養成プログラムの参加者が勝手にゲートへ入りました。
そんな話になれば、今燃えているものにガソリンを足すどころの話ではない。
普通に爆発である。
なので、その選択肢はなしだ。
なしなのだが、個人実績の条件が目の前にぶら下がっている状態でその入口だけ閉じられているのは、正直かなりきつい。
「七海さん」
「うん?」
「覚醒者養成プログラムって、これどうなったら再開されるんですかね?」
七海さんはすぐには答えなかった。
手元のケースを閉じ、少しだけ考えるように川の方へ目を向ける。
「私に決定権があるわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけど」
「はい」
「少なくとも今のままだと、すぐに再開するのは難しいと思うわ」
「やっぱりそうですか」
「うん。今は動画の印象が悪すぎるもの」
七海さんは静かにそう言った。
動画の印象。
そこは俺にも分かる。
壬生がいて、俺が前に出て、男と戦って、最後に俺の拳が入る。
流れているのはそこだけだ。
なぜあの場にいたのか。
相手が先に何をしたのか。
壬生が俺に何かを命じたわけではないこと。
そういう前後は全部切り落とされている。
「まず、蓮くんたちが一方的に問題を起こしたわけじゃないと分かる材料が必要だと思う」
「材料、ですか」
「それと、彩葉ちゃんが蓮くんを私的に使ったわけじゃないこと。そこが残ると、壬生議員の娘が制度を利用したみたいな話になるでしょう?」
「あーそれは最悪ですね」
「最悪ね」
七海さんは普通に頷いた。
「それに、外部から意図的にこの騒ぎを作った人間がいると分かれば、話の重心は変わると思う」
「プログラム自体の問題じゃなくなるからですか?」
「そう。もちろん、それで全部が元通りになるわけじゃないけど、少なくとも一方的にプログラム側が悪いという流れにはなりにくい」
なるほど。
分かりやすい。
つまり必要なのは三つ。
俺たちが一方的に問題を起こしたわけではないこと。
壬生が俺を使ったわけではないこと。
そして、今回の騒ぎを作った人間が別にいること。
そこまで出せればプログラム再開の可能性は出てくる。
逆に言えば、それがない限りただ待っていても状況は変わりにくい。
じゃあ今の俺に何ができるのか。
証拠を探す。
流された動画とは別の、何か示せるものを――。
「えっとまずは」
考え始めたところで、七海さんの声がした。
顔を上げると、彼女は優しく笑っていた。
優しく笑っていた。
ただし、目は笑っていなかった。
「あの動画の時のこと、私にも色々教えてくれる? 蓮くん、めちゃくちゃ前に出て戦ってたけど」
俺にはもう分かる。
七海さんがこの目をしている時は、俺が危ないことをした時だけだ。
心配してくれているのがすごく伝わる。
優しい。
ものすごく優しい。
でも、逃がしてくれる気配は一切ない。
俺はサンドイッチの最後の一口を飲み込んだ。
大人しく白状しよう。
先輩には逆らわない方がいいってもんだ。
* * *
神崎仁也は、黒門直営のラウンジでソファに深く腰を沈めていた。
一週間前、貸し会議室近くで壬生彩葉と氷室蓮の前に現れた男。
そして、蓮と真正面から殴り合った覚醒者である。
年齢は二十代後半。
短く刈った髪。
厚い肩幅。
スーツを着ているが、まともな会社員には見えない。
実際、神崎はまともな会社員ではなかった。
黒門。
覚醒者養成プログラムに呼ばれなかった者たちが集まり、国の管理が行き届いていないゲートを中心に活動している組織。
表向きには存在しない。
だが、最近増えている覚醒者関連の事件や管理外ゲートでの違法な素材取引の裏に、その名前がちらつくことは少なくなかった。
神崎はその黒門の中でも現場で使える武闘派として扱われていた。
力はある。
荒事にも慣れている。
その分だけ自分より下だと思った相手を乱雑に扱うところがあった。
「おい、酒」
神崎が空になったグラスを軽く持ち上げる。
すぐ近くにいたスタッフが、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。すぐにお持ちします」
「遅ぇんだよ。何回同じこと言わせんだ」
声を荒げるほどではない。
だが言葉の端には、相手を踏みつけるような強い圧があった。
スタッフは顔を強張らせたまま下がる。
隣に座っていた嬢は、笑顔を作って神崎の機嫌を取ろうとしていた。
「神崎さん、今日は随分ご機嫌ですね」
「そう見えるか?」
「はい。いいことでもありました?」
嬢がそう言うと、神崎は鼻で笑った。
「まあな。オレはこれから上に行く男だからよ」
そう言って、神崎はテーブルに置かれた別のグラスを乱暴に引き寄せる。
中の氷が音を立てた。
「この店もそうだ。黒門の直営店だからって、あんまオレに舐めた態度取れると思うなよ」
「そんなことは……」
「オレが上に上がったら、いつでもこんなとこ潰せんだぞ」
嬢の笑顔が一瞬だけ固まった。
スタッフも少し離れた位置で息を呑む。
それを見て、神崎は満足そうに口角を上げた。
怖がられる。
逆らわれない。
自分の言葉で相手の表情がガラリと変わる。
神崎にとって、それは分かりやすく気分のいいことだった。
「神崎さん」
向かいのソファに座っていた男が、端末を見ながら声をかける。
「ネクストワークスの件、参加予定者が増えました」
「何人だ」
「今のところ五人です。全員養成プログラムの参加者で、しかも初級の覚醒者。レベルもそれほど高くありません」
ネクストワークス株式会社。
表向きは、覚醒者向けの高単価案件を扱う人材派遣会社だ。
求人文面だけ見れば、違法性はない。
覚醒者向けの簡単作業。
未経験歓迎。
危険は少なめ。
普通のアルバイトよりも高い報酬。
覚醒者になったばかりの人間が、自分の力や価値を試せるように見える内容だった。
だが実態は違う。
黒門が覚醒者を管理外ゲートへ引き込むための窓口の一つ。
プログラムに参加していても、自分の力を試したいと思っている者。
ダンジョンに入れず思ったように強くなれないことに焦りを抱いている者。
そういう連中に金と承認欲求をちらつかせ、危ない場所へ連れていく。
今回の目的は、集めた覚醒者をゲートに関わらせることだった。
そこで何かが起きればいい。
怪我でも。
逃走でも。
泣きながら助けを求める動画でも。
覚醒者養成プログラムの参加者が、外部の怪しい案件に関わった。
その事実が一つ残れば、それだけで十分な火種になるというわけだ。
「ちょうどいい」
神崎はグラスを傾ける。
「泣いて逃げる覚醒者。怪しい案件に参加したプログラム生。管理外ゲートに入った覚醒者。見出しにするなら十分だろ」
「怪我人が出た場合は?」
「……そんなもん、オレの知ったこっちゃねぇ」
周囲の空気がわずかに冷えた。
だが神崎は気にしない。
隣の嬢が作り笑いを浮かべたまま視線を落とし、スタッフが黙って新しいグラスを置く。
神崎は礼も言わず、それを受け取った。
「バイトで来る覚醒者なんざ、火種になりゃいいんだよ。使えれば使う。駄目ならダンジョンで始末する。ただそれだけだ」
神崎にとって、覚醒者は駒だった。
その結果、覚醒者養成プログラムがまた叩かれればいい。
壬生議員が動きづらくなればいい。
第二段階が遠のけばいい。
それが黒門の望みであり、自分の手柄になる。
神崎の中ではその流れがもう出来上がっていた。
「ただ、神崎さん」
「あ?」
「高槻さんからは、前より慎重にって話も来てます。例の付与術師の件もあるんで」
その言葉で、神崎の指が止まった。
付与術師。
一週間前、自分の前に立った高校生。
神崎は、グラスを持ったまま小さく笑った。
「あいつはただもんじゃなかったな」
「そんなにですか?」
「普通じゃねぇよ」
神崎は腹の奥に残っている感触を思い出す。
自分の攻撃を受けても倒れなかった。
付与術師のくせに、真正面から踏みとどまった。
しかも最後には、自分の腹に一発入れてきた。
ただの覚醒者ならありえない。
付与術師なら、なおさらだ。
「あいつ、うちの組織でも相当上の方じゃねぇか?」
「高校生ですよね?」
「歳の話じゃねぇ。戦えるかどうかの話だ」
神崎は言った。
「少なくとも、ただ後ろで味方に強化入れてるだけの付与術師じゃなかった」
認めている。
神崎は、あの少年の力を確かに認めていた。
だがそれは好意ではない。
尊敬でもない。
神崎にとって強い相手とは、潰した時に自分の価値を証明できる相手だった。
「あの時は電話が来たから引いただけだ。負けたわけじゃねぇ」
向かいの男は何も言わなかった。
隣の嬢もスタッフも、黙っている。
神崎はその沈黙を当然のものとして受け取った。
「また会いてぇな」
神崎は笑う。
「今度会ったら、あの時の続きだ」
スタッフが慌ててグラスを下げに来る。
嬢は笑顔を浮かべたまま、神崎の横で小さく頷いている。
「付与術師だろうが何だろうが、次は潰す」
そしてその全てを見下ろしながら、神崎仁也は満足げに笑った。
黒門の中で上に行く。
そのために使えるものは使う。
邪魔するものは潰す。
初級覚醒者も。
壬生議員の娘も。
そして、あの付与術師も。
全部、自分の踏み台にするつもりだった。




