付与術師のセンパイ
あれから一週間、壬生は一度も学校に来ていない。
もちろん、すぐに来られるとは思っていなかった。
あの動画が広がって、学校でも壬生の名前が出て、覚醒者養成プログラムのことまで変に結びつけられている。
そんな状態で、何もなかったみたいに登校できる方がおかしい。
それくらいは俺にも分かっていた。
ただ、分かっていることと、実際に一週間も姿を見ないことは少し違う。
俺と壬生はクラスが違う。
だから壬生の席が空いているところを、毎日直接見ているわけではない。
それでも来ていないことくらいは耳に入る。
家庭の事情。
しばらく休むらしい。
先生も詳しくは言わないらしい。
そんな断片だけが、本人のいない学校の中を勝手に歩いていた。
メッセージは送っていない。
送ろうと思ったことはある。
大丈夫か。
学校来ないのか。
何かできることはあるか。
いくつか文面を考えて、そのたびに全部違う気がしてやめた。
大丈夫なわけがない。
学校に来ない理由も大体分かっている。
それで結局、何も送れないまま一週間が過ぎた。
「蓮くん。集中できてないよ?」
七海さんの声で、俺は少し遅れて顔を上げた。
目の前には七海さんがいる。
場所は駅から少し離れた河川敷のベンチ。
土曜の昼だからか、川沿いにはそれなりに人がいた。
ただ、俺たちが座っている場所は遊歩道から少し外れていて、近くを通る人はほとんどいない。
川の音。
遠くを走る車の音。
少し離れた場所で遊ぶ子どもの声。
ベンチに座る俺と七海さん。
これだけ並べると、訓練というより普通に休日の散歩に見える。
いや、下手したらちょっとしたデートにも見えなくもない。
まあ実際にやっていることは、七海さんに付与を入れたまま維持しつつ、支援職としての判断を問われ続けるという地味にしんどいやつだった。
「すみません」
「ううん、気にしないで。それより大丈夫? 少し考え込んでるみたいだったから」
「……分かります?」
「もちろん。私は蓮くんの先輩なんだから」
「それはそうですね」
とは言いつつも「おお、先輩……。なんといい響きなんだ」と思ったのはここだけの話。
俺は軽く息を吐き、七海さんへ向けていた耐久付与の感覚を整え直す。
本来なら、覚醒者養成プログラム関係の訓練でやってもおかしくない内容だった。
だが、あの動画の件からプログラムは一旦中止ということになっている。
こうして七海さんが個別に時間を取ってくれているのも、正式なプログラムというより、同じ付与術師として彼女なりの厚意みたいなものだった。
外の音がある場所。
人の気配がある場所。
視界が広くなりすぎる場所。
今日は、そういう場所でも集中して付与を維持する練習。
だから河川敷だった。
訓練としての理屈は分かる。
分かるんだが、七海さんと二人で土曜の昼に河川敷のベンチへ座っている時点で、どうしても訓練感が少し薄くなる。
まあ、やっていることは普通にきついんだけど。
「彩葉ちゃんのこと?」
七海さんがそう聞いてきた。
俺は一瞬だけ黙る。
別に隠すようなことでもない。
むしろ、この状態で壬生のことを考えていないと言う方が不自然だろう。
「はい」
「学校にはまだ?」
「来てないです」
「そう。早く、来られるといいわね」
七海さんはそれ以上、踏み込んでこなかった。
ありがたいような。
でも逆に少し気まずいような沈黙が落ちる。
七海さんはこういう時、無理に聞いてこない。
でも放っておくわけでもなくて、彼女が必要だと思えば、必要な時だけ声をかけてくれる。
その距離感がやたら上手い。
俺にとって七海さんは、そんな空気の読める超絶癒しお姉さんという印象なのだ。
七海さんは膝の上に置いていたノートを開いた。
「じゃあ蓮くん、ここで質問」
七海さんがペン先でノートを軽く叩く。
「前衛は押されている。後衛は距離を取りたい。敵はもう一歩で後衛まで届く。蓮くんなら、今どの付与を選ぶ?」
突然、クイズ付与術師が始まった。
七海さんに耐久をバフりながら頭を使う。
これって、まあまあ鬼の所業だよな。
とか思いながら、俺は思考を巡らせる。
まず、耐久を入れれば前衛は支えられる。
前衛が崩れなければ、後衛まで敵が届く可能性は下がる。
だが、その間に後衛が距離を取れるとは限らない。
逆に敏捷を入れれば、後衛は下がりやすくなる。
ただし前衛の守りは甘くなる。
付与は味方を助けることが前提だ。
でも使い方を間違えれば、パーティを崩壊させることにも繋がる。
そのあたりが本当に厄介だった。
「敏捷、ですかね」
「理由は?」
「前衛に耐えさせるより、後衛を下げる方を優先します。後衛まで届くところまで来ているなら、そこで耐久しても、次に崩れる場所が後ろになる気がするので」
七海さんは少しだけ目を細めてから、頷いた。
「うん。今の状況ならそれでいいと思う。支援職は、今一番危ない人だけを見るんじゃなくて、次に崩れそうなポイントを見るの」
「次に崩れそうなポイント?」
「そう。目の前で押されている前衛だけを見ていると、耐久を入れたくなるでしょう。でも本当にまずいのが後衛の退避なら、全体に敏捷を入れて一度下げる方が安定することもある」
「支援職って、やること多すぎません?」
「多いわよ」
七海さんはハッキリそう言った。
「でも、それをやるのが支援職」
「ですよね」
ちなみに俺たち付与術師は、仲間や自分に付与を入れるわけだが、それだけで経験値が入る仕組みではないらしい。
じゃあどうやってレベルを上げるのか。
七海さんによると、付与した味方が敵を倒した時、その経験値の一部が入るようだ。
つまり支援職は、直接敵を倒さなくても経験値を得られる。
ただしそれは、あくまで戦闘や討伐に関わった場合の話だ。
今みたいに河川敷で七海さんに耐久付与を維持しているだけでは経験値は増えないらしい。
少し前なら、たぶん感覚だけでそう思っていた。
でも今は違う。
今なら数字で分かる。
それが分かるようになったのは、一昨日の午前0時のことだった。
日付が変わる瞬間、俺はステータスを開いて待っていた。
理由は一つ。
【C:90日連続で、自身のステータスを確認する】
この実績のためだ。
ステータスを90日連続で確認する。
条件だけ見れば単純。
だが単純だからこそ、狙っている人間は他にもいるはずだった。
だから俺は当日、日付が変わる瞬間にステータスを開いた。
【世界初達成報酬を付与します】
【報酬:精密ステータス】
【経験値とジョブ熟練度の詳細表示が解放されました】
普通に声が出そうになった。
正直、不安はあった。
世界初というなら、海外の時差はどう処理されるのか分からなかったからだ。
日本より早く日付が変わる地域もある。
逆に遅い地域もある。
そもそもステータスの一日が、どの時間を基準に切り替わっているのかも分からない。
午前0時に更新したところで、本当に世界初扱いになるのかは半信半疑だった。
だが表示は出た。
しかも、それだけでは終わらなかった。
【同一時刻に複数名が条件を満たしました】
……やっぱり、考えていたのは俺だけじゃなかったらしい。
というか、複数人がこのタイミングで取れたってことは、競っていた相手もほとんど日本人なんじゃないか?
世界初。
そう表示されている。
けれど、この世界初が本当に地球全体を指しているのかは、少し怪しくなってきた。
少なくとも、この実績は日本時間の午前0時で処理されたように見える。
それが偶然なのか。
それとも、ステータスそのものが日本を基準に動いているのか。
そこまでは分からない。
ただ一つ言えるのは、俺と同じことを考えて同じ瞬間を待っていた奴が他にもいたということだ。
実績を狙っている人間はもう俺だけじゃない。
それが分かっただけでも、情報としては十分だった。
そして今。
精密ステータスが解放されたことで、これまで見えなかった数字が表示されるようになっている。
【レベル:10】
【経験値:848/1200】
【ジョブ:付与術師】
【ジョブ熟練度:3】
【次の熟練度まで:28/100】
そしてこの表示があることで、能力付与を使う度に熟練度が上がることが分かった。
これはかなりデカい。
前まではなんとなく感覚でそんな感じがしてただけだったため、めちゃくちゃありがたい。
「はい、そこまで」
七海さんの声で、俺は付与を切って一息ついた。
思っていた以上に疲れていた。
体を大きく動かしたわけではないのに、付与を維持しながら考え続けるというのは、じわじわと頭の奥を削られる感じがある。
七海さんはそんな俺の様子を見てから、足元に置いていた小さめのバッグを開けた。
中から出てきたのは、透明なケースに入ったサンドイッチだった。
しかも一つや二つではない。
卵。
ハム。
レタス。
ツナらしきものまである。
きれいに切られて並んでいるそれは、どう見てもコンビニで買ったものではなかった。
「お昼まだでしょう? 蓮くん、食べ盛りだと思って多めに作ってきたから、遠慮しないで食べてね」
「え、これもしかして七海さんの手作りですか?」
「そうよ。簡単なものだけど」
おいおい、なんのご褒美だよ。
土曜の昼。
河川敷。
人気の少ないベンチ。
七海さんの手作りサンドイッチ。
これだけ並べると、いよいよ訓練感がどこかへ消えていく。
さっきまで付与を維持しながら嫌な質問を浴び続けていたはずなのに、今だけ切り取れば、完全に面倒見のいい年上のお姉さんが後輩のために昼食を作ってきてくれた場面である。
「じゃあ、ありがたくいただきます」
「うん。ちゃんと食べて。この後の訓練も一緒に頑張ろうね?」
「はい!」
俺はこの後の訓練とやらを完全に忘れ、幸せな気持ちでサンドイッチを一つ手に取って口に運んだ。
普通に美味い。
卵の味がちゃんとしていて、パンも妙にしっとりしている。
ハムとレタスの感じもよくて、これを簡単なものと言えるあたり、七海さんは普段からちゃんと料理をする人なのだろう。
「美味しいです」
「それならよかった」
七海さんは少しだけ笑った。
その顔を見て、俺はなぜか少しだけ負けた気分になる。
いや、何に負けたのかは分からない。
ただ、河川敷で年上のお姉さんから手作りサンドイッチをもらっているこの状況は、冷静に考えるとなかなかすごい。
これで訓練じゃなかったら完全にイベントである。
まあ、訓練なんだけど。
サンドイッチを食べ終える頃には、さっきまで削られていた集中力も少し戻っていた。
MPも少し回復してる。
昼食後はたぶん付与の訓練再開だ。
そうやって少しずつ付与術師としての熟練度を積み上げていく。
地味な訓練だが、それが一番の正攻法なんだろう。
そして積み上げる意味では、俺にはもう一つ大きな変化があった。
少し前、跳躍一万回の実績を達成したことで、俺の実績は十種類に届いていた。
【B:10種類以上の実績を獲得する】
【達成済み】
その時に出た報酬が、これである。
【限定報酬】
【取得枠:7/11】
【報酬:個人実績機能の解放】
【個人実績は本人にのみ表示されます】
【個人実績は他者の達成状況に影響されません】
【個人実績の内容は達成者ごとに異なります】
【個人実績は一つずつ開示されます】
何度見ても、やっぱりおかしい。
世界初達成報酬とは違う。
あれは早い者勝ちだ。
誰かに先を越されれば、基本的にはそこで終わる。
でもこれは違う。
十一ある枠のうち、俺は七番目だった。
一番乗りではない。
それなのに通常報酬でもない。
限定報酬。
つまり世界初とは別に、限られた人数だけに用意された枠があるということだ。
しかも個人実績は、本人にしか表示されない。
他人に先を越されても消えない。
内容も達成者ごとに違う。
俺だけに表示される。
俺だけが達成できるかもしれない実績。
通常実績とも、世界初達成報酬とも違う。
完全に別の成長ルートが開いたことになる。
いや。
改めて考えても、これやっぱりエグいよな?




