↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/52

彩葉の選択


 朝。


 学校へ行く時間が近づいても、私、壬生彩葉は制服に着替えていなかった。


 ハンガーにかかった制服は、昨日と同じ場所にある。


 鞄も机の横に置いたまま。


 行かないといけない。


 たぶんそうなのだと思う。


 今日休めば、昨日の動画が原因だと誰にでも分かる。


 でも、学校に行けばきっと見られる。


 教室に入る時。


 廊下を歩く時。


 下駄箱で靴を履き替える時。


 誰かが何かを言うとは限らない。


 むしろ何も言われないかもしれない。


 だけど、その方が怖かった。


 壬生議員の娘。


 動画の子。


 覚醒者。


 そんな言葉が自分の名前より先に周りを歩いている気がした。


 私は制服を見た。


 手を伸ばせば取れる。


 着替えて、いつも通り家を出ればいい。


 そうすれば学校には行ける。


 屋上にも行ける。


 あそこは私にとって一番落ち着く場所だった。


 家よりも、そしてこの部屋よりも。


 人が少なくて、風が通っていて、余計な視線も少ない。


 ただそこにいるだけで少しだけ息がしやすくなる場所だった。


 それに最近は昼休みも嫌いではなかった。


 氷室くんが少し楽しそうに話して、牧野くんがそれを興味津々に聞いて、時々笑う。


 私はその横でお弁当を食べながら二人を見ている。


 ただそれだけの時間が思っていたよりも居心地が良かった。


 なのに今日はその場所にすら行きたくなかった。


 落ち着くはずの場所へ行くのが怖い。


 楽しみだった時間を思い出すのも怖い。


 そう感じている自分に少しだけ嫌気が差した。


 ふと机の上のスマホに目がいく。


 通知音は切っている。


 それでも画面は何度も光っていた。


 中にどんな情報が流れているのかは、見なくても分かる。


【壬生議員の娘】


【未成年覚醒者が貸し会議室でトラブル】


【覚醒者養成プログラム第二段階に疑問】


【壬生議員、説明責任を問われる】


 自分の名前はまだ大きく出ていない。


 でも、もうほとんど意味はなかった。


 壬生議員の娘。


 昨日の動画。


 未成年覚醒者の暴力。


 それだけ並べば分かる人には分かる。


 たぶん学校でも話題になっている。


 私のクラスでも。


 廊下でも。


 そう思うと胸の奥が苦しくなった。


 ちょうどその時、部屋の外から控えめなノックが聞こえた。


「彩葉様」


 家の人の声だった。


「旦那様がお呼びです」


「分かったわ」


 私は短く返事をした。


 制服ではなく、部屋着のまま立ち上がる。


 鏡を見る。


 顔色は悪くない。


 たぶんいつも通りに見える。


 それでいい。


 泣いたような顔をしていたらそれだけでまた何かを言われる。


 父さんは書斎にいた。


 扉を開けると机の上にはいくつもの資料が並んでいた。


 父さんは机の向こうに座っている。


 疲れているようには見えない。


 怒っているようにも見えない。


 いつも通り。


 少なくとも私にはそう見えた。


「彩葉」


「はい」


「しばらく学校には行かなくていい」


 父さんはそう言う。


 最初から結論だった。


「外出も控えなさい。今は君が動けば、状況が悪くなる」


「……はい」


「学校側にはこちらから連絡している。必要なものがあれば、家の者に用意させる」


「分かりました」


「連絡も、必要最低限にしなさい。今は誰と繋がっているかも見られる可能性がある」


「分かりました」


 そう返すしかなかった。


 父さんの言っていることは正しい。


 私が外に出れば誰かに見られるかもしれない。


 学校へ行けば周りにも迷惑がかかる。


 動画に映っていた氷室くんのことまで、余計に探られるかもしれない。


 だから家にいるべき。


 その判断は正しい。


 でも、父さんの言葉は私には別の意味で届いた。


 君は動くな。


 君が外に出れば状況が悪くなる。


 そう言われているような気がした。


 父さんは責めていない。


 それは分かっている。


 けれど、責められない方が苦しいことだってある。


「君の不用意な行動だけが原因ではない。だが、誰かに利用されたのは事実だ」


「はい」


 利用された。


 その言葉も正しい。


 私は覚醒者養成プログラムを止めようとしている人間がいるなら見過ごせないと思った。


 疑わしい人が身近なところにいて、それを確かめたかった。


 でも結果として私は利用された。


 そしてさらには氷室くんまで巻き込んでしまった。


 何を言ってもそこは変わらない。


「こちらで対応する」


 父さんはそう言った。


「しばらく家で大人しくしていなさい」


 その言葉を聞いた時、喉の奥から出かけた名前があった。


 高槻さん。


 そうだ。


 言ってしまえばいい。


 昨日聞いたことを、全部話せばいい。


 あの人が父さんに内密で動いていたこと。


 覚醒者養成プログラムを止めようとしていたこと。


 父さんの味方ではなかったこと。


 でも、声は出なかった。


 昨夜のことを思い出したからだ。


 

 * * *

 


 昨日、氷室くんと解散した後。


 家に着く少し前の道で、私は高槻さんを見かけた。


 覚醒者養成プログラムを止めようとしている人物。


 政策秘書補佐として働きながら、裏で怪しい人たちと関わっていた人物。


 父さんに内密で何かを進めていた人物。


 その一部始終を、私は聞いた。


 この件は父さんに伝える。


 どう話せばいいかは分からないけど、この人の思惑通りにしてはいけない。


 そう思った。


「お怪我がなくて何よりです。彩葉さん」


 丁寧な声。

 いつものように落ち着いていて、父さんの前で見る補佐の顔と変わらない。


 私は返事をしなかった。


 そしてそのまま通り過ぎようとした。


 そんな瞬間。


 高槻さんの声が静かに落ちる。


「今日のことを、お父上にお話しするのは自由です」


 思わず足が止まる。


「ただし、その場合はこちらも映像を出しますので」


 映像。


 どの言葉に、なんとなく嫌な予感を覚えた。


「第七会議室」


 高槻さんは口を開く。


「あなたが隣の部屋を盗聴していた映像を、必要ならSNSに流します」


 息が詰まった。


 どうして。


 どうして、それを知っているの。


 私たちは第七会議室にいた。


 隣の部屋の話を聞いていた。


 集音器も使った。


 それをこの人は知っている。


 しかも映像と言った。


 つまり、見られていた。


 あの部屋に隠れていたことも。


 収納スペースから出たことも。


 高槻さんは全てを知っていたのだ。


「壬生議員の娘が、男子生徒を連れて政治関係者を尾行した。そして貸し会議室に入り、集音器まで使って盗み聞きをしていた」


 高槻さんは淡々と続ける。


「そう見出しがつけば、今よりもお父上の立場は悪くなるでしょうね」


 何も言えなかった。


 たしかにそこだけを見せられれば、言い訳はほとんどできない。


「お父上に話すなとは言いません」


 高槻さんはほんの少しだけ声を落とした。


「ただ、その結果どうなるかは考えた方がいい」


 私は振り返ることもできなかった。


 悔しいのに。


 目の前の人が何をしたのか分かっているのに。


 言い返せないことが何より悔しかった。


 

 * * *



 その記憶が今も喉を塞いでいる。


 そして今朝、本当に映像は流れた。


 しかし流されていたのは、盗聴していたものじゃない。


 私が何かを言って、氷室くんが前に出て、男と戦う映像。


 それだけでも世間は勝手に意味をつけ、騒いだ。


 壬生議員の娘が覚醒者の男子生徒を使った。


 未成年覚醒者が外で暴れた。


 覚醒者養成プログラムの第二段階は危険だ。


 本当に言いたい放題。


 何も知らない人たちが、分かったような顔で言葉を重ねていく。


 画面の向こうにいるだけで、どうしてあんなに簡単に人のことを決めつけられるのだろう。


 腹立たしかった。

 でもその怒りをどこに向ければいいのかも分からなかった。


 でもこれでよくわかった。


 高槻さんは本当に映像を持っている。


 今これだけ炎上している中、ここに盗聴していた映像まで流されたら。


 父さんはさらに動きにくくなって、下手をすれば第二段階どころかプログラムそのものの見直しにまで話が広がりかねない。


 氷室くんにも、もっと大きな被害を与えることになる。


 だから言えなかった。


「分かりました」


 私はそう答えた。


 父さんは少しだけ私を見た。


 何かを言いかけたようにも見えたけれど、その言葉は結局出てこなかった。


「今日はもう部屋で休みなさい」


「……はい」


 言うべきことはもう言った。


 父さんの言葉はそういう風にも聞こえた。


 学校へ行くな。


 外へ出るな。


 誰とも必要以上に繋がるな。


 父さんにとって今の私は、そうしておくべきものなのだ。


 知っていた。


 父さんが私を娘として見ていないことくらい。


 それでもこうしてはっきり目に見えると、思っていたより胸が痛かった。


 私は頭を下げて書斎を出た。

 

 部屋に戻って、私はベッドの端に座る。


 しばらく動けなかった。


 制服はまだハンガーにかかっている。


 鞄も机の横に置いたまま。


 机の上には昨日使ったままのノートがある。


 昨日までは今日も学校へ行くつもりだった。


 それが、たった一日で変わった。


 私はスマホを手に取る。


 メッセージアプリを開き、


 そしてなんとなく氷室くんの名前を探す。


 最後のやり取りは、昨日のままだった。


 新しいメッセージは来ていない。


 来ていないことに少しだけ安心した。


 同時に少しだけ胸が痛くなった。


 私は返信欄を開く。


 何かを打とうとして、指が止まる。


 ごめんなさい。


 そう打ちかけて、消す。


 それを送れば氷室くんはきっと気にする。


 大丈夫。


 そう打ちかけて、消す。


 大丈夫ではない。


 ありがとう。


 そう打ちかけて、また消した。


 それも今は違う気がした。


 昨日、氷室くんは私を助けるために前へ出た。


 本当なら巻き込まれるはずのなかった人だった。


 私が誘わなければ。


 私が尾行なんて言い出さなければ。


 私があの場で止めていれば。


 全部終わったあとに考えても意味はない。


 そんなことは分かっている。


 それでも、どうしても思ってしまう。


(……ごめんなさい)


 心の中でそう呟いて、私は返信欄を閉じ、スマホを伏せた。


 家にいれば安全。


 父さんの言うことは正しい。


 外に出なければ、これ以上炎上することもない。


 分かっている。


 全部分かっている。


 私が学校へ行かなければ、クラスに迷惑はかからない。


 私が誰にも連絡しなければ、氷室くんをこれ以上巻き込まずに済む。


 私が余計なことを言わなければ、父さんの立場も今より悪くならない。


 なら、ここに閉じこもるのが一番いい。


 この部屋にいて、何も言わず、何もしない。


 それが今の私にできる一番正しいことなのだと思った。


 そう思ったのに、私の心はちっとも楽にはならなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。