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……帰るかぁ

 気づけば、日曜の昼をとっくに回っていた。


 スマホを見ると十三時二十七分。


「……うわ」


 思わず声が出た。


 いや、やったわ。


 ダンジョンが楽しすぎて普通に日またいじゃってるじゃん。


 土曜の昼に家を出たはずなのに、もう日曜の昼過ぎだ。


 普通なら一回帰るだろ。


 というか帰らないとまずい。


 寝てないんだから判断も鈍るだろうし、身体だってもっと重くなってるはずだ。


 実際、足はかなりだるいし腹も減っている。


 水とカロリーメイトだけでここまで来るのは、さすがに無理があった。


 ただ、一つだけ妙なことがある。


「……思ったよりまだ動ける」


 さすがに元気とは言えない。


 それでも頭はまだ回るし、視界がぼやける感じもない。


 歩こうと思えば普通に歩ける。


「これも覚醒者になった影響か?」


 気になってステータスを開いてみる。


 レベルは五まで上がっていた。


 筋力や耐久、敏捷なんかも最初と比べればかなり伸びている。


 そのおかげなのか、寝てないわりには身体も動いてくれていた。


「……いや、でもさすがに一回帰るか?」


 たぶんそれが正しい。


 というか絶対その方がいい。


 いいんだけど……。


 俺は実績欄を開いて少し下へ送った。


 あれから左手で百回殴る実績に続いて、さらに二つ達成している。


【D:一歩も動かずに、敵の攻撃を5回連続で凌ぐ】


【C:ダンジョン内でスクワット1万回を達成する】


 マジで両方クソほどしんどかった。


 特にスクワット一万回は途中で何度やめようと思ったか分からない。


 もう二度とやるかと思った。


 その二つで手に入ったスキルが【姿勢制御】。


 そしてもう一つも【姿勢制御】だった。


 なんで同じなんだよ。


 最初はそう思ったけど、どうやら同じスキルを取ると重複するらしい。


 表示も【姿勢制御+】に変わっていた。


 実際に動いてみると足の踏ん張りやバランスはかなり良くなっている。


 ものすごく地味だけど、使ってみれば便利なスキルだった。


「……まだ変なのが残ってんだよな」


 実績欄の中ほどに、最初からずっと気になっているものがある。


【C:同一モンスターと12時間以上、互いに死なずに行動を共にする】


 他の実績とは明らかに毛色が違う。


 倒せばいいわけでもないし、殴り続ければいいわけでもない。


 むしろ殺したら失敗だ。


 同じモンスターと十二時間も一緒にいろということらしい。


「……これ取ったらもう夜中だよな」


 今から十二時間なら帰る頃には完全に深夜だ。


 さすがに一度帰った方がいい。


 そう思ったところで、もう一つの実績が目に入った。


【C:ダンジョン内で36時間以上睡眠を取らずに行動する】


「……あ」


 待てよ。


 今からさらに十二時間いれば、こっちも一緒に狙えるんじゃないか?


 もちろん帰る時間はとんでもないことになる。


 でも今帰ったら、三十六時間の方はまた最初からだ。


 十二時間の実績も今から始めればちょうど重なる。


 時間も条件もかなり揃ってるんだよな。


「……帰った後どうするかは帰った後の俺に任せよう。うん、そうしよう」


 我ながら最低の問題先送りである。


 でも今帰っても絶対怒られる。


 だったらもう、取りたい実績を全部取ってから帰った方がよくない?


 ……よくはないな。


 分かってはいる。


 分かってはいるけど、もう少しだけ。


 そう決めたところで通路の奥から聞き慣れた音がした。


 石壁の向こうからグレハンが顔を出す。


 もう何匹目かは数えていない。


 見慣れたはずなのに、相変わらず顔は気持ち悪かった。


 でかい目も変な鼻も、灰色のぬるっとした肌も全部嫌だ。


 口元から垂れているヨダレに至っては何回見ても慣れない。


「……よし、君に決めた!」


 当然だが返事はない。


 グレハンはいつも通りナイフを構えて突っ込んできた。


「いやちょ、待て待て待て」


 俺が横へずれると、ナイフがすぐ横を通り過ぎた。


 今回は反撃しない。


 こいつを倒したら十二時間の実績が始まる前に終わってしまう。


 だからひたすら避けるしかない。


 やってみると、これが思っていたより面倒だった。


 倒すつもりなら隙ができたところで殴ればいい。


 今回はそれができないので、攻撃されるたびに距離を取り直す必要がある。


 何度か避けていると、グレハンの動きが急に止まった。


「ん?」


 少し離れたところから見ていると肩で息をしている。


 どうやら疲れたらしい。


「お前もちゃんと疲れるのか」


 そりゃそうか。


 こいつだって生き物だもんな。


 今のうちに俺も壁際まで下がり、リュックから水を取り出した。


「ちょっと休憩な」


 グレハンを正面に置いたままペットボトルを開ける。


 向こうもこっちを見ているが襲ってはこない。


 まだ息が整っていないらしい。


 水を一口飲む。


「うまっ」


 なんでダンジョンで飲む水ってこんなにうまいんだ。


「……お前も飲む?」


 グレハンは何も答えない。


 当たり前だ。


 って、俺はモンスター相手に何を聞いてるんだ。


 しばらく休んでいるとグレハンがまた動き始めた。


 ただ、さっきみたいにいきなり襲ってはこない。


 こっちを見ながら少しずつ近づいてくる。


「……ん?」


 俺も動かずに様子を見る。


 三メートルくらいまで来たところでグレハンは止まった。


 そこからもう少し近づくとナイフを構える。


 なるほど。


 攻撃してくる距離が決まってるのか?


 試しに俺から後ろへ下がってみる。


 四メートル。


 まだ動かない。


 さらに下がって五メートルほど離れると、グレハンは追ってこなくなった。


「……あれ、こいつ追わないのか」


 俺はもう少し距離を取る。


 やっぱり来ない。


 その場からこっちを見ているだけだ。


 じゃあ視線はどうだ?


 今度はわざとグレハンから顔を背けてみた。


 数秒待ってから横目で確認する。


 動いてない。


 もう一度正面から見ると少し近づいてくる。


 また視線を外せば止まった。


「これ、戦わずにいけるんじゃないか?」


 十二時間ずっと攻撃を避け続けるのかと思ってたけど、それならさすがに無理がある。


 でも一定の距離を取れば追ってこないなら話は違う。


「ちゃんと法則あるんだな」


 そこからは完全に観察になった。


 どこまで近づけば襲ってくるのか。


 どれくらい離れれば追ってこなくなるのか。


 何に反応するのか。


 せっかく十二時間も一緒にいるなら、この辺も調べておきたい。


 グレハンはナイフを落としても近くの石を拾ったりはしなかった。


 基本的には手に持っているものだけを使うらしい。


 俺がリュックを下ろした時には一瞬だけそっちを見た。


 新しく動いたものには反応するのかもしれない。


 試しにカロリーメイトを一本投げてみる。


 足元へ転がるとグレハンがそっちを見た。


 食べる様子はない。


 ただ、その間は俺から完全に意識が外れている。


「お前、これで気を逸らせるのか」


 餌ではないな。


 食わないし。


 でも何か投げれば一瞬だけ隙は作れそうだ。


 こういうのも知っておけば使えるかもしれない。


 ……いや。


「俺、何やってんだろうな」


 日曜の昼間からダンジョンに籠もって、グレイ半魚人の生態観察をしている高校生。


 たぶん地球で俺くらいじゃないか?


 そこからも時間だけはどんどん過ぎていった。


 一時間くらいならまだ余裕だった。


 三時間を超えた頃から普通に退屈になり、五時間も経つ頃にはグレハンの動きもかなり分かっていた。


 それでも実績はまだ達成されない。


「十二時間って長すぎるだろ……」


 改めて見ると相当えげつない条件だ。


 途中で何度かグレハンが攻撃してきたものの、近づかれたら離れるだけで何とかなった。


 一定の距離さえ保っていれば、向こうも延々追いかけてくるわけじゃない。


 やること自体は単純だった。


 ただ、それを十二時間続けるのがひたすら面倒くさい。


 でも、こういう実績ほど誰もやらなさそうなんだよな。


 誰もやらないなら世界初も残ってるかもしれない。


 そう思えば、もう少しくらい頑張れる。


 九時間を過ぎたあたりだった。


「……え」


 グレハンが床に座った。


 普通に座った。


 脚まで適当に組んでこっちを見ている。


「お前も休憩するんかい」


 そりゃ九時間も一緒にいれば疲れるか。


「……いいよな、休んで」


 俺も壁にもたれて最後のカロリーメイトを齧る。


 なんだこれ。


 戦ってるわけでもない。


 逃げてるわけでもない。


 ただグレハンと少し離れた場所で一緒に休んでいる。


 最初に会った時なら絶対にありえなかった光景だ。


 見た目は今でも気持ち悪い。


 ヨダレも嫌だし犬歯も黄ばんでいるし、肌のぬめりも普通に嫌だった。


 でも長いこと観察していると、こいつなりの動き方があることは分かってくる。


 近づけば警戒する。


 疲れれば休む。


 気になるものがあればそっちを見る。


 そう考えると、最初みたいな得体の知れない怪物には見えなくなっていた。


 いや、ペットにしたいとかは絶対にないけど。


 ただの敵として見るには、ちょっと長く一緒にいすぎたな。


 それくらいではある。


 そしてようやく十二時間が経った。


 視界の端に待っていた表示が出る。


【実績達成】


【C:同一モンスターと12時間以上、互いに死なずに行動を共にする】


「……っ、来た」


 長かった。


 マジで長かった。


【世界初達成報酬を付与します】


 よし。


 世界初も残ってた。


【パッシブスキル:敵性観測を獲得しました】


「敵性観測?」


 その表示が出たあと、目の前のグレハンを見て少し変な感じがした。


 見た目は何も変わっていない。


 なのに、さっきまでより動きが分かりやすい。


 身体の向きや視線を見るだけで、次に何をしそうなのか何となく予想できる。


 十二時間も観察したせいかと思ったけど、それだけじゃなさそうだ。


 俺はすぐにスキルの説明を開いた。


【敵性観測】


【対象の行動傾向、習性、警戒反応を把握しやすくなる】


「おお……」


 これ普通に便利じゃない?


 相手の攻撃だけじゃなくて習性まで分かりやすくなるなら、初めて会うモンスターにも使えるかもしれない。


 なんというか、攻略情報が頭に入りやすくなる感じだ。


 十二時間かけた甲斐はあったな。


 俺は改めてグレハンを見る。


 向こうも相変わらずこっちを見ていた。


 十二時間も付き合った相手だ。


 さすがに少しくらい思うところはある。


 でも実績はもう終わった。


「……お疲れさん」


 俺は左手を前へ出す。


 【不馴手の一撃】のクールタイムなんて、とっくに終わっている。


 グレハンも俺が近づいたことで立ち上がり、いつものようにこっちへ踏み込んできた。


 でも今ならさっきまで以上に分かる。


 どのタイミングで来るのかも、ナイフをどこへ振るのかも何となく読めた。


 俺は半歩だけ外へずれ、そのまま左拳を叩き込んだ。


 鈍い音が響く。


 グレハンの身体が大きく揺れ、そのまま光の粒になって消えていった。


「……ふぅ」


 長かったな。


 壁にもたれながらステータスを確認する。


 レベルは六。


 スキル欄には【不馴手の一撃】と【姿勢制御+】。


 そこへ新しく【敵性観測】も加わっていた。


 悪くない。


 というか、かなりいいんじゃないか?


 まだ最初のダンジョンなのにスキルが三つもある。


【実績達成】


【C:ダンジョン内で36時間以上睡眠を取らずに行動する】


「……あ」


 そうだった。


 こっちも狙ってたんだった。


 十二時間の方が長すぎて途中からほとんど忘れてたわ。


【報酬を付与します】


【パッシブスキル:不眠順応を獲得しました】


「不眠順応?」


 スキルを獲得した直後、頭の重さが少しだけ引いた。


 眠気が完全に消えたわけではない。


 寝ようと思えば普通に寝られそうだ。


 ただ、さっきまでずっと頭の奥にあったぼんやりした感じが薄くなっている。


「おぉ……便利だな」


 いや。


 便利だけどさ。


 俺はスマホの時間を見る。


「……潜りすぎたな。うん」


 今さらながら、ちょっと我に返った。


 もう十分だろ。


 というか、これ以上いたら本当に帰りづらくなる。


 俺はようやく入口へ向かって歩き始めた。


 帰り道は思ったより簡単だった。


 長いことここにいたせいで、どの道を通れば戻れるのか大体覚えている。


 行き止まりになっている場所も分かるし、グレハンが出やすい辺りにもだいぶ見覚えがあった。


 我ながらよくこんなに潜ったな。


 途中で何匹かグレハンを見かけたものの、敵性観測を手に入れた直後ということもあって避けるのはかなり楽だった。


 戦う必要がない相手はそのまま無視して進む。


 そうしてようやくゲートの外へ出たところで、ポケットの中が一気に震え始めた。


「うわ」


 スマホだ。


 嫌な予感しかしない。


 取り出して画面を確認する。


 家族グループ。


 凛。


 母さん。


 大量の不在着信。


 学校関係の連絡。


 他にも色々。


 ゲートの中ではずっと圏外だったらしく、外へ出た瞬間に溜まっていた通知がまとめて入ってきたようだ。


「…………」


 見ただけで胃が痛い。


 実績を取れた喜びが一瞬でどこかへ行った。


「……帰るかぁ」


 めちゃくちゃ気が重い。


 でも今度こそ本当に帰らないとまずい。


 ダンジョンのモンスターも怖いけど、今から帰ったあとの家の空気も相当怖そうだ。


 一日以上グレハンと過ごした直後だと、むしろあいつの方が可愛く思えてくる。


「あぁ〜、一匹くらい連れて帰ればよかったか?」


 ……いや。


 さすがにそれはないな。


 そんなくだらないことを考えながら、俺はようやく家へ向かって歩き出した。

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