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盗み聞き


 西口オフィスプラザ。


 俺と壬生は、高槻亮介が入っていった後を少し遅れて追った。


 高槻はエレベーターを使わず、階段を上がっていく。


 俺たちも距離を空けて階段を上がる。


 それにしても、である。


 壬生に選ばれたこの地味な格好。


 尾行には向いているのかもしれない。


 実際、ここまで誰にも声をかけられていない。


 それはいい。


 いいんだけど。


 本当に目立つの、俺か?


 議員の娘でしかも普通に人目を引く壬生の方では?


 なんで俺だけこんな地味方向に全振りされてるんだ。


 まあ結局ここまでバレずに来られたからいいんだけどさ。


 いや、いいのか?


 そしてなんだかんだ四階。


 貸し会議室フロア。


 廊下にはいくつかの扉が並んでいる。


 高槻は迷うことなく奥へ進んだ。


 そして【第六会議室】と書かれた部屋の前で足を止める。


 周囲を軽く確認してから扉を開けた。


 中へ入る。


 扉が閉まった。


「どうするんだ?」


 俺が小声で聞くと、壬生は廊下の奥へ視線を向けた。


 第六会議室の隣には、別の部屋がある。


 プレートには【第七会議室】と書かれていた。


 扉の横にある使用状況の札は、空室。


 壬生は周囲を一度だけ確認する。


 人通りは少ない。


 廊下の奥に自販機がある。


 その向こうに階段。


 受付らしきカウンターは見えるが、人はいなかった。


「隣に入るわ」


「え、入るのか?」


「ここで立っている方が怪しいでしょう」


「それはそうだけど」


 いや、そうだけど。


 高校生二人が貸し会議室フロアで隣の空き部屋に入るのも、それはそれで怪しい気がする。


 だが壬生は迷わず第七会議室の扉を開けた。


 俺も仕方なく後に続く。


 第七会議室は、思いの外広かった。


 長机。


 パイプ椅子。


 壁際のホワイトボード。


 奥には備品を入れるための小さな収納スペースがある。


 普通の貸し会議室だ。


 怪しいところはない。


 怪しいのは、そこに忍び込んでいる俺たちの方である。


 いや、忍び込んでいると言うと聞こえが悪いな。


 まあ、実際あまり良くはない。


「こっから、隣の声聞こえるのか?」


 俺は壁を見ながら聞いた。


 会議室同士の壁はそこまで薄くなさそう。


 試しに耳を当ててみたが、やはり声が全部聞こえるみたいな都合のいい感じではないようだ。


「普通には無理ね」


「じゃあどうするんだよ」


 そう聞いた瞬間、壬生は鞄を開けた。


 そして中から黒い小さな機械を取り出す。


 手のひらに収まるくらいのサイズ。


 コードの先には小さなイヤホンがついていた。


 俺はそれを見て、思わず固まる。


「……なんだそれ」


「集音器」


「なんでそんな犯罪チックなもの持ってるんだよ」


「尾行するから」


「尾行って、そこまで準備するものなのか?」


「いるでしょう。もちろん録音機能付きだから」


「もちろんって、別にそんな心配してないけど!?」


 だがそれはそれとして、女子高生が休日のデートに集音器を持ってくる世界線は普通に怖い。


 俺の知っているデートとだいぶ違う。


 まあ、俺は普通のデートを知らないんだけど。


 壬生は俺の反応を気にした様子もなく、集音器を壁に当てた。


 片耳にイヤホンを入れ、目を細める。


 その横顔は真剣だった。


 さっきまでカフェで紅茶を飲んでいた人間と同じとは思えない。


「で、聞こえるのか?」


「静かに」


「はい」


 即座に黙る。


 当然俺には何も聞こえない。


 廊下の空調音。


 遠くの足音。


 それくらいだ。


 それから数秒。


 十秒。


 壬生の眉がわずかに動いた。


「……聞こえる」


「マジか」


「複数人いる」


「複数人?」


「ええ」


 高槻は、誰か数人と会っている。


 壬生が昨日聞いたという学校側の誰かもいるのかもしれない。


 でも、俺には分からない。


 少なくとも、今この場で壁の向こうの顔が見えるわけではない。


 こんな怪しげな会議室で、一体何の話をしているんだろうか。


 そう思った直後だった。


 壬生の表情が変わる。


「壬生?」


「まずい」


「何が?」


「こっちに来る」


「へ?」


 間抜けな声が出た。


 その直後、壁の向こうから声が聞こえた。


 今度は集音器越しではない。


 廊下側から近づいてくる足音と一緒に、くぐもった声が届く。


「こっちの部屋が空いてるみたいですね」


「第七会議室ですか」


 いや。


 第七会議室って、ここじゃないか。


「やばいな」


 廊下側から足音が近づいている。


 ここで扉を開ければ鉢合わせる。


 逃げ場はない。


 俺が一瞬だけ固まったその時、壬生が俺の袖を引いた。


「こっち」


「こっちって――」


 壬生が向かったのは、部屋の奥にある収納スペースだった。


 折りたたみ椅子。


 予備の長机。


 掃除道具。


 段ボール。


 どう見ても二人で入る場所ではない。


 だが、考えている時間はなかった。


 俺が先に押し込まれる。


 ほとんど反射で中へ入った。


 続けて壬生が滑り込む。


 扉が閉まった。


 暗い。


 狭い。


 そして、近い。


 いや、近いどころじゃない。


 俺は収納スペースの奥を向く形になっていた。


 目の前には折りたたみ椅子と壁。


 横に体をずらす余裕もない。


 その真後ろから、壬生が身を寄せている。


 背中に体温が伝わった。


 服越しなのに、やけにはっきり分かる。


 肩の近くで、小さな息遣いが聞こえた。


 髪が首筋に触れて、ふわりと石鹸みたいな匂いがする。


 近い。


 近すぎる。


 少しでも動けば、後ろの壬生にぶつかる。


 というか、もう柔らかい感触が背中をバウンドしてる。


 なんのラブコメだよ。


 さっきまで政治家の秘書補佐を尾行してたよな?


 なんで今、貸し会議室の物入れで女子と密着してるんだ?


「静かにね」


 耳元で壬生が囁いた。


 声が近い。


 近すぎる。


 俺は反射的に息を止め、何度か首を縦に振った。


 その直後、第七会議室の扉が開く音がした。


 複数の足音が部屋に入ってくる。


 一人ではない。


 二人でもない。


 少なくとも三人。


 いや、四人いるかもしれない。


 椅子を引く音。


 書類を机に置く音。


 誰かが小さく咳払いをする音。


 収納スペースの扉一枚向こうで、それらが聞こえる。


 やばい。


 普通にやばい。


 見つかったら、言い訳のしようがない。


 壬生は後ろで微動だにしなかった。


 その冷静さが逆にすごい。


 俺だけが内心でずっと暴れている。


「いや、こっちが空いていて助かりましたね」


 最初に聞こえたのは、落ち着いた男の声だった。


 誰の声かは分からない。


「第六会議室が空調の修理中で、まさか部屋自体が使えないことになっているとは思いませんでした」


 別の声が答える。


 こちらは柔らかい声だった。


「急な話でしたからね」


「まあ、隣が空いてたんだからいいだろ」


 今度は荒っぽい男の声。


 なんというか、声だけで性格が雑そうだった。


「では改めて始めましょうか」


 柔らかい声が言った。


「それで今日のこと、壬生議員には?」


 落ち着いた声が聞く。


「もちろん内密です」


 柔らかい声は淡々と答えた。


 壬生議員。


 つまり壬生彩葉の父親。


 しかも内密。


 この時点でもうかなり黒い。


「高槻さん。あなたが流した壬生議員の情報、かなり広まりましたね」


「はい。思ったより世論は騒いでくれました」


 落ち着いた声がそう答えた。


 高槻さん。


 その名前が出た瞬間、俺の中で声と名前が繋がった。


 呼びかけられた相手。


 つまり、さっきから淡々と話していた柔らかい声の男。


 あれが高槻亮介だ。


「これで覚醒者養成プログラムそのものに、傷はつけられたわけだ」


 荒っぽい声が楽しそうに言った。


「壬生議員は焦るだろうな」


「あくまで目的は壬生議員個人ではありません」


 高槻の声は冷静だった。


「あの人は象徴として使いやすかっただけです」


「ひでえ言い方だな」


「事実です。覚醒者養成プログラムの発案者。第二段階、ダンジョンへの実地同行の推進者。その名前が燃えれば、制度そのものにも疑いが向く」


「未成年を守れ。子どもを戦力化するな。覚醒者ばかり優遇するな。そういう声が増えれば、学校も動きにくくなる」


「保護者も騒ぐでしょうね」


「それでいいんです」


 高槻は淡々と続けた。


「覚醒者養成プログラムは、国が覚醒者を管理するための入口です。国に従う覚醒者だけが正しい。国の管理下にいる覚醒者だけが安全。そういう空気ができる前に止める必要があります」


 俺は息を殺したまま聞いていた。


 なんだこれ。


 覚醒者が嫌いなのか。


 国が嫌いなのか。


 国に管理される覚醒者が嫌なのか。


 そこまでは分からない。


 でも、一つだけ分かる。


 こいつらは覚醒者養成プログラムを止めようとしている。


 しかもそのために、壬生の父親をSNSでわざと燃やした。


「しかし、炎上だけで国が止まるとは思えません」


 落ち着いた声が言う。


「でしょうね」


 高槻はあっさり認めた。


「この程度で止まるなら、そもそも覚醒者養成プログラムなど始まっていません」


「なら、これは足止めですか?」


「いいえ。これはあくまで前段階。新たな火種はすでに撒いております」


「ふっ、こちらも二段階目に入ったと?」


「はい。その通りです」


 SNSの炎上は序章に過ぎない。


 高槻はそう言っているのだ。


 そして火種という言葉。


 何か企んでるってのは確からしい。


「次の火種は?」


 荒っぽい声が聞いた。


「予定通り進んでいます」


 高槻が答える。


「会社名は?」


「ネクストワークス株式会社」


「はっ。いかにも普通の会社っぽいな」


「普通に見えなければ意味がありませんから」


「応募は?」


「覚醒者養成プログラムの参加者から、すでに数名」


 紙をめくる音がした。


「こちらが、照合済みの候補者です」


「持ってきたのか」


「データで残すわけにはいきませんから」


「未成年も?」


「います。むしろその方が都合がいい」


「炎上するからか」


「はい。国のプログラムに参加していた未成年覚醒者が、民間の高額求人に関わって問題を起こした。そう見えれば十分です」


 高槻の声は冷静だった。


「ですが炎上は前段階です。本命は、制度そのものへの不信を作ることですから」


「いいねぇ」


 荒っぽい声が楽しそうに笑う。


 ネクストワークス株式会社。


 なんだそれ。


 会社の名前、だよな。


 会話の流れからして、普通の会社ではなさそうだ。


 それから、場に少しだけ沈黙が落ちる。


 俺は息を殺す。


 今聞いた話、情報漏洩どころの騒ぎじゃないな。


 こいつらは情報を漏らして壬生議員を炎上させ、覚醒者養成プログラムを止めようとしていた。


 しかも、それだけで終わるつもりもないらしい。


 会話はそこで一区切りついた。


 椅子が動く音がする。


 書類をまとめる音。


 誰かが立ち上がる。


「長居はやめましょう」


「そうですね」


 足音が扉へ向かう。


 一人。


 また一人。


 第七会議室の扉が開く音。


 閉まる音。


 少しして、廊下の足音が遠ざかっていく。


 俺はまだ動かなかった。


 壬生も動かない。


 しばらく待つ。


 一分。


 二分。


 いや、実際にはもっと短かったかもしれない。


 ただ、狭い収納スペースの中で黙っている時間はやたら長く感じた。


「……出ましょうか」


 背後の壬生がようやくそう言った。


 俺たちは収納スペースから外に出る。


 会議室内に人はいない。


 壬生はいつも通りの落ち着いた顔をしている。


 ようには見えたけど。


 なんか声はかけづらかった。


 が、ずっとここにいるのもまずい。


「……そうだな」


 とりあえず見つからずに済んだ。


 後はここから立ち去るだけだ。


 そう思った、次の瞬間。


「……やっぱり誰かいたんだな」


 会議室の入口。


 いや、俺たちからすれば出口にあたるその場所に、


 一人の男が立っていた。


 さっき会議室で聞いた荒っぽい声の男。


 男は俺たちを見て、楽しそうに口元を歪める。


「何者か知らねえけど」


 その視線が、俺と壬生をゆっくりと見た。


「盗み聞きとは、いい趣味してんな」

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