デート
翌日。
俺は駅前の時計台の下にいた。
時刻は午前十時五十分。
待ち合わせの十分前である。
早く来すぎた気もする。
だが、遅れて行く勇気はなかった。
何しろ相手は壬生彩葉だ。
学校で何度か話すようになったとはいえ、休日に二人で出かけるのは初めてである。
しかも、本人曰くデート。
デート。
昨日からその単語が微妙に頭に残っている。
いや、分かっている。
たぶん壬生に深い意味はない。
男女が休日に二人で出かける。
それは分類上デート。
たぶん壬生の中ではそういう処理なのだろう。
だからこそ面倒くさい。
こっちだけ意識しているみたいになるからだ。
何なら、意識している時点で負けな気すらする。
いや、誰との勝負だよ。
俺は小さく息を吐き、スマホで時間を確認した。
十時五十二分。
待ち合わせまであと八分。
駅前はそれなりに人が多い。
日曜日の午前。
学生らしき集団。
買い物へ向かう家族連れ。
スマホを見ながら歩く会社員風の人。
少し前までなら何の変哲もない休日の光景だったのだろう。
ただ、今はその中にも以前とは違うものが混ざっている。
駅の柱や壁、改札の上にある横長の看板には、以前なら旅行会社や新作映画の広告が並んでいた。
だが今は、その中に覚醒者関連のものが普通に混ざっている。
『覚醒者による被害に備える新保険』
『突然の事故、暴行、物損にも対応。覚醒者関連被害補償プラン』
『覚醒後の力を仕事に活かしませんか? 倉庫作業、建設補助、重量物搬送スタッフ募集』
『高筋力覚醒者歓迎。資格取得支援あり』
こっちはこっちで逞しい。
世の中の変化に対する企業の適応速度、普通にすごいな。
国が制度を整えている間に、民間はもう現実の生活に落とし込み始めている。
覚醒者に襲われた時の保険。
覚醒者になった人間向けの求人。
少し前なら冗談みたいな広告だ。
だが、今はそれが駅の中に普通に貼られている。
「氷室くん」
そんな時、聞き慣れた声がした。
振り向く。
そこに壬生彩葉が立っていた。
私服だった。
白系のブラウスに薄い色のカーディガン。
下は落ち着いた色のスカート。
全体的に派手ではない。
ないのだが、普通に目立つ。
本人の雰囲気の問題だ。
教室にいてもそうだが、壬生は変に周囲から浮く。
一般生徒に混じって女優とかモデルがいる感じ。
顔立ちは整っているし姿勢もいい。
表情も落ち着いていて余計な動きが少ない。
だからなのか、ただそこに立っているだけで自然と視線を集める。
そのうち覚醒者関連の民間企業CMにでも抜擢されるんじゃないかと思う。
覚醒者向け保険とか。
いや、壬生が笑顔で保険の宣伝をしているところはあまり想像できないな。
無表情でパンフレット持ってそう。
それはそれで妙に説得力があるかもしれない。
「おはよう」
「あ、ああ。おはよう」
「早いのね」
「まあ、遅れるのもどうかと思って」
「そう」
壬生はそれだけ言うと、俺の服装を軽く見た。
今日は一応、変に気合いを入れすぎない程度の服にしている。
動きやすくて、かつ休日に出歩いていてもおかしくない服。
要するに無難なやつだ。
特別おしゃれではない。
というか、こういう時の正解が分からない。
デートなんて一回もしたことがないんだし。
いや、だから意識をするな。
「行きましょう」
「どこに?」
「まずは服を見に行くわ」
「壬生の?」
「いいえ、氷室くんの」
「……俺の!?」
思わず声が出た。
壬生は不思議そうに首を傾ける。
「昨日そう言ったでしょう」
「服を見るとは聞いたけど、俺の服を見にいくとは聞いてない」
「言っていなかったかしら」
「言ってないな」
「そう。なら今言ったわ」
そういう問題なのだろうか。
俺が返事に困っている間に、壬生は駅前の商業施設へ歩き出した。
迷いがない。
俺は少し遅れて、その横に並ぶ。
それから壬生が入ったのは、商業施設の四階にある服屋だった。
若者向けの店。
店内には明るい音楽が流れていて、壁には秋物の服が並んでいる。
そこそこおしゃれ。
俺一人ならまず入らない店だ。
というか、入り口で一回引き返す自信がある。
壬生は特に気にした様子もなく、店内を歩いていく。
俺は完全に付き添いの顔で後ろを歩いた。
「氷室くん」
「何だ」
「これ」
壬生が手に取ったのは、かなり地味な色の上着だった。
黒に近いグレー。
装飾は少ない。
ロゴも小さい。
フード付きで、遠目にはかなり普通に見える。
「これを俺に?」
「ええ」
「地味じゃないか?」
「そうね」
「そうねって」
「地味な方がいいと思うわ」
壬生は当然のように言った。
俺は上着を受け取り、軽く広げてみる。
別に悪くはない。
悪くはないのだが、かなり目立たない服だった。
おしゃれというより、周囲に溶け込む感じ。
いや、もしかしてこういうのが今の女子の好みだったりするのか?
シンプルで落ち着いた感じがいいとか、そういうやつなのか?
「こっちも」
次に出されたのは、これまた地味なパンツだった。
色は濃いめ。
動きやすそうではある。
それからシンプルなキャップ。
薄手のインナー。
派手さが一切ない。
すごい。
徹底して目立たない。
ここまでくると逆にコンセプトを感じる。
「……壬生」
「何かしら」
「こういうのがいいのか?」
「いいと思うわ。地味で」
「そうか」
「少なくとも、今日の目的には合っている」
「今日の目的? デートのことか?」
「ええ、そうよ」
壬生は当然のように頷いた。
そう言われるとそれ以上突っ込みづらい。
というか、デートの服装として地味な方がいいと言われた場合どう受け取るのが正解なんだろうか。
いや、分からん。
分からんけど、壬生が選んでいる以上たぶん変ではないのだろう。
まぁ考えても仕方ない。
とりあえず俺は試着室に入る。
着替えてみると、思ったより悪くなかった。
鏡の中の自分は、普段より少しだけ落ち着いて見える。
ただ、やっぱり地味だ。
悪い意味ではない。
完全に背景に馴染むタイプの服装である。
俺は試着室のカーテンを少し開けた。
「どうだ?」
壬生は俺を上から下まで見た。
その視線がやけに真剣で、少しだけ落ち着かない。
何だこれ。
服を見てもらっているだけなのに、普通に緊張する。
「悪くないわ」
「悪くないのか」
「ええ。自然ね」
「自然」
「目立たない」
「褒め言葉として受け取っていいのか、それ」
「もちろん」
もちろんらしい。
俺は鏡の中の自分をもう一度見た。
目立たない。
自然。
つまり、壬生的には合格。
……まあ、壬生に選んでもらった服を買うというのも、なかなかない経験だ。
これもデートの一種なのだろうか。
デートで女子に服を選んでもらう。
言葉だけならかなりそれっぽい。
選ばれた服があまりにも潜伏向きなことを除けば。
「じゃあ、これにする」
「そう」
壬生は満足そうに頷いた。
表情はいつもとほとんど変わらない。
ただ、どこか納得している感じはあった。
俺はそのまま会計を済ませた。
地味に財布が痛い。
高校生にとって服代は重い。
だが、壬生に選ばれた以上、戻す選択肢はなかった。
いや、別に圧をかけられたわけではない。
ないのだが、壬生が「これでいい」と言った時点で、なんとなく買う流れになっていた。
怖いな、壬生彩葉。
支配が静かだ。
「次は?」
店を出てから俺が聞くと、壬生は少し考える素振りを見せた。
「カフェに行くわ」
「本当に行くんだな」
「昨日言ったでしょう」
「まあ、言ってたけど」
壬生はそのまま歩き出した。
俺は新しい服に着替え、さっきまで着ていた服を買い物袋に入れて、手に提げて歩いた。
これじゃ本当にデートだな。
そんなことを思った。
待ち合わせをして。
服を選んでもらって。
カフェに向かう。
完全に休日の外出である。
俺が第三者なら、普通にそういう二人だと思う。
いや、実際に周りからそう見られているかもしれない。
さっきから微妙に視線を感じる。
あの男子誰だよ。
そんな声がどこかから聞こえてきそうだった。
いや、実際には聞こえていない。
聞こえていないが、そう思われていてもおかしくない。
学校でも、壬生はよく話題になっている。
ちょっと変わってるけどめちゃくちゃ可愛いよな、壬生彩葉。
そんなふうに言われているのを聞いたこともある。
その壬生と休日に二人で歩いている。
普通に考えれば、なかなか羨ましがられる状況だ。
普通に考えれば。
でも今のところは、本当に普通のデートにしか見えなかった。
見えなかったからこそ、逆に落ち着かない。
「氷室くん」
「ん?」
「さっきから静かね」
「いや、まあ」
「緊張している?」
「してないと言えば嘘になる」
「そう」
壬生は短く返した。
それで終わりだった。
普通ならここで少しはからかうとか、笑うとか、そういう反応があってもよさそうなものだ。
でも壬生はそういうことをしない。
ただ事実を確認して、それで納得する。
こっちだけが勝手に意識しているみたいで、なんとも言えない気持ちになる。
それから数分ほど歩いて、俺たちは目的のカフェの前に着いた。
駅ビルの三階。
窓の大きい、少し落ち着いた雰囲気の店だ。
入口の前には数組の客が並んでいる。
壬生はその列を見て、軽く周囲に視線を向けた。
「壬生?」
「ここに入りましょう」
「ああ」
俺が頷くと、壬生は入口へ向かって一歩進んだ。
「あ、それと氷室くん」
「何だ?」
「今日は尾行だからバレないようにね。よろしく」
そう言って、壬生は何事もなかったように列の最後尾に並んだ。
俺はその背中を見送ったまま、数秒固まる。
尾行。
今、尾行と言ったか。
これだけ普通に服を選んで、普通に歩いて、普通にカフェに入ろうとして。
最後に出てくる単語が、尾行。
やっぱり。
……このデート、普通じゃなかったわ。




