遠征から1ヶ月
中央公園ゲートでの遠征から、一ヶ月が経った。
その間にも世の中は少しずつ変わっていた。
いや、少しずつという言い方が正しいのかは分からない。
学校は普通にある。
コンビニも開いている。
電車も動いている。
朝のニュースでは芸能人の結婚も流れるし、昼のワイドショーでは新しくできたスイーツ店が紹介されている。
そういう意味では日常は続いていた。
ただ、その日常の中に混ざる言葉が明らかに三ヶ月前とは違っている。
『政府は本日、覚醒者養成プログラムの追加実施地域を発表しました』
『未登録覚醒者によるゲート侵入が相次いでおり、警察庁は注意を呼びかけています』
『ダンジョン由来と見られる物資の違法取引について、専門家は――』
『覚醒者関連事件の増加を受け、自治体ごとの対応格差が問題となっています』
テレビから流れてくる単語が、いちいち現実離れしている。
ゲート。
覚醒者。
ダンジョン。
レベル。
ジョブ。
スキル。
ほんの三ヶ月前なら、ゲームか漫画の話で済んでいた言葉だ。
それが今では普通にニュースで使われている。
慣れというのは怖い。
最初に聞いた時は世界がバグったと思った単語でも、毎日聞いていると少しずつ耳が慣れてくる。
でもさすがに天気予報と同じ温度で受け止めるのは無理だ。
無理だけど、ニュースでゲートという単語が出てきたくらいではもう驚かなくなっている。
人間、わりと適応する生き物である。
その適応力をもう少し勉強方面に使えなかったのかとは思うが。
土曜の朝、俺はリビングのテーブルに肘をつきながらテレビを眺めていた。
画面にはどこかのゲート周辺区域が映っている。
簡易フェンス。
警備員。
警察車両。
立入禁止の看板。
そして、その少し離れたところでスマホを向けている人たち。
野次馬だ。
気持ちは分からなくもない。
突然、街の中に異世界への入口みたいなものができたのだ。
見に行きたくなる人間はいるだろう。
俺だって最初は入ったし。
……入ったな。
普通に入った。
『政府はゲート周辺での無許可接近や撮影についても、今後規制を強める方針です』
アナウンサーが淡々と告げる。
その横で専門家らしき大学教授が難しい顔で頷いていた。
『現在の問題は、ゲートそのものだけではありません。ゲートによって生まれた新しい価値に、人が集まり始めていることです。覚醒者、ダンジョン素材、経験値、スキル。これらが社会制度の整備より早くに広がってしまっている』
なるほど。
言っていることは分かる。
ゲートそのものも危険だが、そこに集まる人間も危険。
実際、覚醒者関連の事件は増えているらしい。
傷害、恐喝、強盗。
ダンジョン素材の横流し。
ゲート周辺区域への無断侵入。
覚醒者同士の襲撃。
ニュースでは細かい手口までは伏せられている。
だが、俺は知っている。
少なくとも覚醒者同士の襲撃については身近にあった。
坂上たちの件だ。
経験値を得るために、同じ学校の覚醒者を狙う。
あれは学校内の話だった。
だが、似たようなことが全国で起きているのだとしたら普通に笑えない。
「……まあ、そうなるよな」
俺は小さく呟いた。
ゲートができた。
覚醒者が現れた。
レベルがあり、スキルがあり、ジョブがある。
そこまで揃っていて、全員が法律と良識だけで大人しくしているわけがない。
残念ながら人間社会はそこまで綺麗にできていない。
強くなれると分かれば強くなろうとする人間は出る。
金になると分かれば金にしようとする人間も出る。
そのために他人を踏みつける人間も、たぶん普通に出る。
そう考えると、国が覚醒者養成プログラムを広げている理由も分からなくはない。
最低限の知識を教え、訓練させる。
危ない連中が犯罪組織や怪しい大人に囲われる前に、できるだけ表側に置いておく。
表向きは保護と教育。
実際には管理と統計と監視も含まれている。
たぶん、そういうことなのだろう。
綺麗な話ではない。
ダンジョンが現れてからまだ三ヶ月。
たった三ヶ月で世の中はここまで変わった。
というか、変わらされていた。
俺はテレビを消して、スマホを手に取った。
今日は覚醒者養成プログラムのない日だ。
全国展開の影響で、先行実施されていた俺たちのプログラムも少し日程が調整されている。
人手が足りないらしい。
そりゃそうだ。
ゲートも覚醒者も増えているのに、教える側の人間が急に増えるわけがない。
佐伯さんたちも最近はやたら忙しそうにしている。
九条雅臣も別地域への応援に回っているらしく、顔を見る回数が少し減った。
その代わりというわけではないが、俺は空いた時間に自主練を増やしていた。
もちろん、ただ真面目に訓練しているだけではない。
そんな健全な高校生みたいなことを俺がするわけがない。
いや、訓練自体は健全か。
目的がだいぶ実績寄りなだけで。
俺は部屋に戻ると、ベッドに腰を下ろしてステータス画面を開いた。
見慣れた半透明の表示が視界に浮かぶ。
名前。
レベル。
ジョブ。
スキル。
そして実績。
最近の俺は、この実績欄を見る時間が明らかに増えていた。
もともと多かっただろと言われると否定はできない。
だが、ジョブ専用実績が解放されてからはさらにひどい。
暇があれば見ている。
授業中にも見たい。
さすがにそこは我慢している。
高校生として最低限の理性は残っていた。
俺は実績欄の中から、ジョブ専用実績の項目を開いた。
【ジョブ専用実績:付与術師】
【B:自身への能力付与を三分以上維持する】
【達成済】
中央公園ゲートで最初のジョブ専用実績を達成してから、俺は付与術師としての能力を色々試していた。
その中で取れたのがこれだ。
自身への能力付与を三分以上維持する。
条件だけ見ればかなり地味だと思う。
派手な一撃を決めるわけでもない。
強敵を倒すわけでもない。
誰かに褒められるわけでもない。
ただ自分に能力付与をかけて、三分以上維持する。
それだけ。
それだけなのだが、実際にやると普通にきつかった。
最初は正直、三分くらいならいけるだろうと思っていた。
だが、甘かった。
一回目は一分もたなかった。
筋力付与を自分にかけたまま軽く体を動かしているだけで、頭の奥がじわじわ重くなる。
MPが減っていく感覚がある。
というか、抜けていく。
水筒の底に小さな穴が空いているみたいに、じわじわ、じわじわ減っていく。
それを無理に維持しようとすると、途中で視界が少し暗くなった。
普通に意識が飛びそうになった。
いや、怖いなこれ。
スキルって便利だけど使い方を間違えると普通に危ない。
俺はその時、床に座り込んでしばらく動けなかった。
そこから少しずつ試した。
三十秒。
四十秒。
一分。
一分半。
二分。
最初は時間を延ばすだけでもきつかった。
ただ、何度も繰り返すうちに少しずつ感覚が変わっていった。
MPの最大値が急に増えたわけではなかった。
でも、減り方が変わった。
同じ能力付与を維持しているはずなのに、最初ほど無駄に漏れていかない。
力の入れ方が分かってきたというか。
蛇口を全開にしていたのが、少しずつ必要な分だけ流せるようになったというか。
効率が良くなった。
たぶん、そういうことなのだろう。
いや。
こういう場合、ゲーム的には熟練度と言うべきなのか?
スキルに熟練度が表示されているわけではない。
でも、使えば使うほど扱いがうまくなる感覚はある。
スキルを覚えたらそれで終わりではない。
覚えたスキルをどう使うか。
どれだけ無駄なく扱えるか。
そこにも差が出る。
当たり前と言えば当たり前だ。
剣を持っただけで剣士になれるわけではないのと同じで、スキルを得ただけで使いこなせるわけではない。
その辺りは妙に現実的だった。
そして何十……いや何百度目かの挑戦で、ようやく三分を超えた。
その瞬間、表示が出た。
【実績達成】
【B:自身への能力付与を三分以上維持する】
【達成報酬】
【専用パッシブスキル:付与安定】
【自身を対象にした能力付与の維持時、消費MPがわずかに軽減され、効果のブレが抑制される】
地味。
ものすごく地味。
だが、俺はもう知っている。
こういう地味なやつほど後から効いてくる。
不馴手の一撃。
姿勢制御。
敵性観測。
接触感知。
どれも最初の印象より、実際に使った時の方が強かった。
付与安定も同じだ。
自己付与の維持が楽になる。
しかも、付与残響と相性がいい。
自己付与を維持する。
切り替える。
前の付与が維持される。
その上で次の付与を安定させる。
つまり、自分にバフを入れて前に出る戦い方がまた少し現実的になった。
付与術師。
どう考えても支援職のはずなのに、俺の中ではどんどん自己強化職みたいになっている。
職業詐欺では?
いや、システム側が実績で前に出ろと言っているので、たぶん俺は悪くない。
悪くないはずだ。
七海センパイに話したら、また頭を抱えられる気はするけど。
俺はそのまま、ユニークジョブ進化条件の項目を開いた。
【ユニークジョブ進化条件達成状況】
【現在達成数:2/3】
【固定条件】
【B:能力付与を累計六千回行う】
【ジョブ専用実績をあと一つ達成することで、ユニークジョブへの進化条件を満たします】
「……固定なんだよな、これ」
思わず声が漏れた。
まぁでもジョブ専用実績は、これで二つ達成した。
あと一つ。
あと一つ達成すれば、ユニークジョブへの進化条件を満たす。
そう思っていた。
簡単そうな専用実績を見つけて、それをさっさと取る。
そしてユニークジョブに進化する。
そのつもりだった。
だが、どうやらそう甘くはないらしい。
最後の一つはまさかの固定。
【B:能力付与を累計六千回行う】
これを達成しないと、ユニークジョブには進めない。
六千回。
普通に数字が重い。
筋トレでも六千回は嫌だぞ。
いや、実績システム。
お前、節目で急に作業量を要求してくるタイプか?
でも分かる。
悔しいが少し分かる。
付与術師として本当に進化するなら、付与そのものを使い込めということなのだろう。
知らんけど。
派手な一回ではなく、地味な積み重ね。
六千回。
数だけ見れば面倒だ。
だが、逆に言えば条件は明確だ。
能力付与を使えばいい。
使い続ければいい。
訓練でも、日常でも、戦闘でも。
付与を使うたびに、少しずつ近づいていく。
そう考えると、まだマシかもしれない。
それから俺は一度、ため息をついてから通常の実績欄に視線を移した。
そしてさらに、気になっているものがある。
【C:跳躍を累計一万回行う】
【達成済み】
【通常報酬:敏捷値上昇】
通常報酬。
……通常報酬ってなんだ。
今まで実績を取った時は、そんな表示は出ていなかった。
いつも手に入る報酬はパッシブスキルだった。
けど今回は違う。
しかも世界初達成報酬じゃない。
通常報酬。
つまり、この実績は俺より先に誰かが取っていたということになる。
まあ、三ヶ月だ。
覚醒者も増えている。
一万回くらいさっさと跳べよと言われれば、それまでなんだけど。
いや、まじでさっさとやればよかった。
完全に気を抜いてたわ。
そして、この実績を取ったことでもう一つの項目も達成済みになっていた。
【B:10種類以上の実績を獲得する】
【達成済み】
こっちは通常報酬ではなかった。
だからといって、世界初達成報酬でもない。
表示されていたのは、今まで見たことのない文字だった。
【限定報酬】
【取得枠:7/11】
……限定報酬。
取得枠、11分の7。
何それ。
いや、文字の意味だけなら分かる。
十一個ある枠のうち、七番目を取った。
たぶん、そういうことなのだろう。
でも何の枠だ。
誰が決めた枠だ。
というか、俺の前に六人もいるのか。
その時点で、世界初達成報酬とは明らかに違う。
早い者勝ちの一番乗りではない。
俺は七番目。
つまり俺より先に同じ種類の何かを手に入れた人間が、少なくとも六人いる。
それなのに、報酬の扱いは通常報酬ではなかった。
限定報酬。
名前からして、いかにもやばそうである。
というか普通にやばい。
今までの世界初達成報酬だって十分におかしかった。
だってパッシブスキルだ。
取得した瞬間から、俺が何かをしていようがしていまいが勝手に仕事をしてくれるやつである。
こんなの取れて嬉しくないわけがない。
というか普通に考えれば、この時点でかなりずるい。
けど今回のこれは、そういう分かりやすい強化とは少し違った。
強い弱いというより、そもそもの前提が変わる。
そんな感じの報酬だった。
だってこれを見た瞬間、俺は一瞬だけ思った。
もう世界初達成報酬、これからいらないんじゃないかと。
いや、嘘である。
さすがに他も欲しい。
欲しいに決まっている。
だが俺の中で、そのくらいには大きかった。
んで、その報酬がなんだったかというと――。
ブーッブーッ!
そんな寂しい一人脳内会議中に、俺のスマホが震えた。
画面を見る。
表示された名前は、壬生彩葉。
俺はウィンドウから目を離した。
壬生から連絡が来ることなんて、それはもう珍しいのなんの。
坂上の一件以降、壬生とはなんだかんだ話す機会が増えたものの、こうやってスマホを通してくるなんて数えるほどしかない。
俺はメッセージを開いた。
『明日、時間ある?』
短い。
相変わらず無駄がない。
用件だけを投げてくる感じが壬生っぽい。
俺は少し考えてから返信した。
『内容による』
傍からみたら嬉しい状況なのかもしれない。
ちょっと変わってるけどめちゃくちゃ可愛いよな、壬生彩葉、とか騒がれてるくらいの彼女から予定を聞かれてるんだから。
すぐに既読がついた。
早い。
待っていたのか、たまたま見ていたのかは分からない。
数秒後、返事が来る。
『私と出かけるだけ』
出かけるだけ。
それは内容の説明になっているのだろうか。
なっていない気がする。
大丈夫かな。
なんか嫌な予感がするんだけど。
特に理由はないが、
壬生彩葉という人間の考えが分からない以上、嫌な予感はせざるを得ない。
『訓練とか?』
『違うわ』
『もしかしてダンジョンに?』
『それも違う』
『じゃあ結局何をするんだ?』
少し間が空いた。
『服を見たり、カフェに入ったり』
そしてさらに返事は続く。
『つまりはその、デートってこと』
俺はスマホの画面を見たまま固まった。
デート。
デートと来たか。
いや、待て。
壬生のことだ。
たぶん深い意味はない。
男女が休日に二人で出かけて、カフェに入り、服を見る。
分類上はデート。
そういう辞書的な判断をしている可能性が高い。
高いのだが。
だからといって受け取る側の脳がすぐに納得できるどうかは、
完全に別問題だった。




