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世界初達成報酬を付与します


 黒い球体は、近づくほど気持ち悪かった。


 遠くから見た時は、空に浮いてる変なオブジェクトくらいの感想だったんだけど、実際に住宅街の角を曲がって公園の前まで来ると、さすがにそんな軽いものには見えない。


 まず、思っていたよりずっとでかい。


 それ以上に嫌なのが、妙に静かなことだった。


 公園の真ん中にぽっかり穴が空いている、とでも言えばいいんだろうか。


 球体なのに穴ってどういうことだよ、と自分でも思うけど、そうとしか見えないのだから仕方ない。


 そこだけ空間が丸ごと抜け落ちているように見える。


 黒いのに、ただ黒く塗り潰されている感じとも違って、見ていると妙に視線を持っていかれる。


「……気持ち悪っ」


 思わず呟きながら、周囲へ目を向ける。


 さすがに何の規制もされていないわけではなく、公園の周りには黄色い規制線が張られていた。


 近づくな、危険、立入禁止。


 そんな文字も見える。


 ただ、厳重かと言われれば全然そんなことはない。


 野次馬は普通にいるし、スマホを向けてるやつもいる。少し離れたところでは、何人かがゲートを見ながら好き勝手しゃべっていた。


 制服警官も一人いるが、やっていることといえば拡声器で「近づかないでください」と繰り返しているくらいだ。


 その声にも、どこか手探り感がある。


 そりゃそうだよな。


 向こうだって、いきなりこんなものが現れて、どう扱えばいいのかなんて分かるわけがない。


「……マジで入るのか、俺」


 いざ目の前まで来ると、さすがに足が止まった。


 返事はない。


 当たり前だ。


 こういう時に相棒の妖精とか、システムの案内役とかが出てきて「大丈夫です!」くらい言ってくれれば楽なんだけど、残念ながらこの世界はそこまで親切ではないらしい。


 仕方なくスマホを開く。


 SNSには相変わらず帰還報告だの探索報告だのが流れていた。


 もちろん「入るな」とか「死ぬぞ」とか、そういう投稿も多い。


 でも、実際に入って帰ってきてるやつもいるんだよな。


「……よし」


 一度息を吐いて、バットを握り直す。


 公園の正面から堂々と入るのはさすがに目立つので、俺はそのまま外周を回り込んだ。


 植え込みの裏手まで来ると、ちょうどフェンスが途切れている場所がある。その辺りは規制線の張り方も甘く、正面に比べれば人目もかなり少ない。


「まぁ、入るやつがいると思われてないんだろうな」


 普通は入らない。


 そりゃそうだ。


 俺だって、今からやることがまともだとは思ってない。


 それでもここまで来た以上、引き返す気にもなれなかった。


 規制線を越え、そのまま黒い球体へ手を伸ばす。


 触れた感触はなかった。


 ぬるりとも、びりっとも来ない。


 ただ手を伸ばした、その次の瞬間には景色が全部変わっていた。


「……うわ」


 思わず声が漏れる。


 ゲートの中へ入って最初に思ったのは、思ってたよりちゃんとしてる、だった。


 もっとこう、訳の分からない色をした空間とか、ぐちゃっとした異界みたいなのを想像していたんだけど、目の前にあるのは普通に石造りの通路だ。


 灰色の石でできた壁と床が奥まで続き、天井も思っていたより高い。壁にはところどころ光源みたいなものまで埋め込まれていて、周囲を見るのに困るほど暗くもなかった。


 ゲームで何度も見たことがある。


 まさしくダンジョンってやつだ。


「ちゃんと現実なんだよな……」


 改めてそう考えると、やっぱり気味が悪い。


 見た目だけならゲームそのものなのに、当然ゲームではない。


 空気には少し湿った匂いがあるし、歩けば靴の音が石壁に反響する。手に持っているバットの重さだって、さっきまでと何も変わらない。


 ここで転べば普通に痛いし、何かに殴られればもっと痛い。


 下手すれば死ぬ。


 入ってみると、そういう当たり前のことが急に現実味を持ってきた。


「マジで来ちゃったな……」


 通路の奥を見ても、今のところ何かいる様子はない。


 俺は周囲を確認しながら少しずつ進んでいった。


 歩くたびに足音が響くせいで、自分が出している音なのにいちいち気になる。


 途中で壁にも触れてみた。


 普通に冷たい。


 表面はざらついていて、押しても当然びくともしない。


 夢でもないし、ゲームでもない。


 本当に知らない場所へ来てしまったらしい。


 そこで視界の端にステータスウィンドウを出してみる。


 レベル1。


 スキルなし。


 アイテムなし。


 そして、実績欄はちゃんと残っている。


 今こんなところで見ると、改めて頭のおかしい条件ばっかりだな。


 普通ならまずモンスターを倒してレベルを上げるとか、武器やアイテムを探すとか、そういうことを考えるんだと思う。


 俺も理屈では分かってる。


 分かってるんだけど。


 やっぱり目が行くのは実績なんだよな。


 その時だった。


 通路の奥から、何か硬いものを引きずるような音が聞こえた。


「……っ」


 すぐに顔を上げる。


 石壁の向こうから、小さな影がぬっと姿を現した。


 人型だった。


 人型ではある。


 あるんだけど、どう見ても人間ではない。


 宇宙人っぽいと言えば宇宙人っぽいけど、いかにもSFに出てくるような見た目とも少し違う。


 人間と宇宙人を雑に混ぜて、そのまま気持ち悪い方へ寄せたような顔をしていた。


 目は人間より妙に大きく、鼻の位置も少し変だ。灰色っぽい肌はぬめっとして見えるし、横に裂けた口からは濁った息みたいなものまで漏れている。


 そして、そんな見た目のくせに手にはしっかりナイフみたいなものを持っていた。


「うわ……怖っ」


 普通に口から出た。


 いや、怖いだろこんなの。


 ゲーム画面の向こうにいる敵じゃない。


 こっちを見てるし、どう考えても友好的な顔じゃない。


「えーと……なんだお前」


 当然、名前なんて分からない。


 ステータスを見ても敵の名前が勝手に表示されるような親切機能はないらしい。


 ならもう見た目でいいか。


「……グレイ半魚人?」


 いや、なんか違うな。


 でも今さらもっと良い名前も思いつかない。


 よし。


 今日からお前はグレハンだ。


 俺の中で勝手に命名が終わった直後、グレハンが変な喉音を鳴らした。


 そして一気に距離を詰めてくる。


「速っ!」


 思っていたよりずっと速い。


 反射的にバットを構え、そのまま横へ振った。


 フォームも何もない。


 ほとんど本能だ。


 ガンッ、と通路に金属音が響いた。


「うおっ!?」


 グレハンのナイフとバットがぶつかり、その衝撃が両手まで伝わってくる。


 手首が痺れた。


 でも、こっちの方が武器は重かったらしい。


 相手の手からナイフが飛び、石の床をカランと滑っていった。


「よし!」


 武器を落とした。


 これだけでもだいぶマシだ。


 ……と思ったのに、グレハンは全然止まらなかった。


「まだ来るのかよ!」


 そのまま距離を詰めて、拳とも爪とも言いづらい嫌な形の手を振ってくる。


 避けようとしたが間に合わず、脇腹にまともに入った。


「っ……!」


 鈍い衝撃が走る。


 普通に痛い。


 当たり前なんだけど、本当に痛い。


 ただ、思っていたほどではなかった。


 殴られた瞬間はかなりビビったのに、呼吸が止まるわけでもなく、肋骨が折れたような感じもしない。


「……あれ?」


 一歩下がりながら、自分の脇腹を見る。


 これ、もしかして覚醒者になった影響か?


 普通の高校生の身体で今のを食らってたら、もう少しひどいことになっていた気がする。


 もちろん痛いし、何発も受けたいとは思わない。


 でも、一発食らっただけで終わるほどでもない。


 そう分かっただけで、さっきまでよりはかなり気が楽になった。


 グレハンがまた距離を詰めてくる。


 今度は少し落ち着いて、その動きを見ることができた。


 踏み込む時、先に足が出る。


 そのあと肩が開き、殴る直前には視線までわずかに動く。


「……あ」


 これ、読めるかもしれない。


 全部じゃない。


 でも最初よりは明らかに見える。


 二撃目が飛んできたところで半歩だけ後ろへ下がると、グレハンの腕が俺の目の前を通り過ぎた。


 そこへバットを振り込む。


 ガッ、と鈍い手応えが返ってきた。


 入った。


 今のはかなり綺麗に入った気がする。


「やれるぞ、これ」


 さっきまで本気でビビっていたくせに、一発うまくいっただけで急に口が軽くなる。


 人間って現金だな。


 なんなら、ちょっと楽しくなってきたまである。


 そこで俺は、一瞬だけ視界の端に実績欄を開いた。


【同一モンスターを非利き手だけで連続100回殴る】


 目の前にいるグレハンはもう武器を持っていない。


 動きも少しずつ分かってきた。


 慎重にやれば、これ……いけるんじゃないか?


 めちゃくちゃ面倒くさそうだけど。


「……やるか」


 俺は持っていたバットを床へ落とした。


 ガラン、と音が響く。


「まぁ、ここは素手だろうな」


 実績の条件は、非利き手だけで百回殴ること。


 バットを左手で持って殴っても判定される可能性はあるけど、今はそんなことを試して失敗したくない。


 だったら普通に拳でいい。


 グレハンが少しだけ身構えた。


 そりゃそうだよな。


 さっきまで武器持ってた相手が、急にそれを捨てたんだから。


 お前も意味分かんないだろうな。


 こっちもだよ。


 俺は左手を前へ出した。


 当然、右手で構える時とは全然感覚が違う。


「うわ、やりづらっ」


 普段から殴り合いなんてしないうえに、さらに非利き手だ。


 そりゃやりづらいに決まってる。


 それでも、やると決めたからにはやる。


 グレハンがまた突っ込んできたので、その攻撃を避けながら左拳を身体へ当てた。


 軽い。


 全然力が乗っていない。


 でも当たった。


「一発」


 グレハンが振り返り、また向かってくる。


 今度も攻撃をかわしてから、空いた脇腹へ左を入れる。


「二発」


 ……これ、正気か?


 たぶん正気ではない。


 でも、二回まで来たならもう続けたい。


 最初の何発かは、とにかく攻撃を避けて、空いたところへ左拳を当てるだけで精一杯だった。


 頭は的が小さいし、下手に殴ってこっちの手を痛めるのも怖い。


 だから狙うのは肩や腕、脇腹、太腿みたいな広いところ。


 倒すための攻撃じゃない。


 とにかく条件を満たすために、一発ずつ積み重ねる。


「七発」


 グレハンが苛立ったような声を上げた。


 俺もすでに左腕が少しだるい。


「十三発」


 相手の攻撃を全部避けられるわけではない。


 何発か身体に入れられながら、それでも俺は隙を見つけるたびに左拳を返した。


「二十六発」


 怖いし、疲れるし、殴られれば普通に痛い。


 それでも、その全部の上に少しずつ変な面白さが乗ってきていた。


 ゲームで、明らかに面倒くさい隠し条件を見つけた時の感じに近い。


 普通はやらない。


 たぶん、誰もやりたがらない。


 だからこそ、取れるかもしれないと思ったらやりたくなる。


「四十二発」


 グレハンの息もかなり荒くなっていた。


 もちろん俺も余裕なんてない。


 左腕はもうパンパンで、そのうち普通に右手を使いたくなってくる。


 右で殴れば楽だろうな。


 たぶん、すぐ終わる。


 ……いや。


 ここまで来てそれはない。


 右手を使った瞬間、もし最初からやり直しになったら絶対後悔する。


「六十一発!」


 やばい。


 これ、ちょっと楽しいどころじゃないかもしれない。


 かなり楽しい。


 いや、楽しいって言うと何か違う気もするんだけど。


 でも脳のどこかは完全にそっちへ行っていた。


 グレハンの動きも最初より明らかに鈍い。


 踏み込む足がもつれ始め、攻撃の間隔も長くなっている。


 こっちも大概きついけど、向こうだって無限に動けるわけじゃない。


 そりゃそうだ。


 六十回以上殴られて平然としてる方がおかしい。


「七十八発!」


 いける。


 これ、本当に百までいけるぞ。


「はは……っ!」


 そんなことを考えたら、勝手に笑いが出た。


 怖いし、痛いし、もう左腕なんてまともに上げたくない。


 なのに頭だけは妙に冴えている。


 グレハンがやけくそみたいに踏み込んできた。


 でも、もう最初みたいには見えない。


 どの足から入って、肩がどう動けば、どこから攻撃が来るのか。


 何十回も同じ相手とやり合ってるせいで、嫌でも分かってきた。


「八十九!」


 これだよ、これ。


 誰もやらないような面倒くさい条件を、本当に自分で抜けられるかもしれない瞬間。


 めちゃくちゃ気持ちいい。


 脳の奥から変な汁がどばどば出てる感じがする。


 そりゃ笑うだろ、こんなの。


「九十七!」


 あと三回。


 左腕はほとんど限界だけど、もうここまで来れば関係ない。


 グレハンが最後の力を振り絞るように飛び込んできた。


 俺は半歩だけ横へずれる。


 相手の拳が空を切り、そのまま体勢が前へ流れた。


 そこへ左を入れる。


「九十八!」


 グレハンが振り向くより先に、もう一度身体へ拳を当てる。


「九十九!」


 あと一発。


 ここで外すなよ。


 俺は最後にもう一度左拳を振った。


「百ッ!」


 当たった。


 けど、浅い。


 グレハンは大きくぐらついたものの、まだ倒れなかった。


 でも。


 視界の端が光った。


【実績達成】


【D:同一モンスターを非利き手だけで連続100回殴る】


「っしゃあぁっ!!」


 きた。


 マジできた。


 初実績。


 やばい。


 これ、想像してたよりずっと気持ちいい。


 面倒くさいことを最後までやり切った時の達成感って、やっぱり独特なんだよな。


 一見すれば無駄だし、効率も悪い。


 たぶん真っ当なやつは、こんなことしない。


 でも、だからこそいい。


 誰もやらないような条件を見つけて、それを本当に自分で抜いた。


 この感じ、たまんないわ。


【世界初達成報酬を付与します】


「……え?」


 新しい表示が出た。


 世界初達成報酬?


 実績を取っただけじゃなくて、まだ何かあるのか?


【パッシブスキル:不馴手の一撃を獲得しました】


「……は?」


 何だこれ。


 報酬って、スキルまで貰えるのか?


 説明を確認したかった。


 というか絶対確認する。


 でも、その前に自分の左手がおかしいことに気づいた。


「……なんだ?」


 急に筋力が上がったような、分かりやすい変化ではない。


 もっと変な感じだ。


 さっきまであれだけ使いづらかった左手が、今は妙に身体へ馴染んでいる。


 左で殴る時にどう踏み込めばいいのか。


 腰をどう回せば拳に力が乗るのか。


 そんなものを、俺自身は習った覚えもないのに身体だけが知っている。


「……おお」


 グレハンが最後の抵抗みたいに腕を振り上げた。


 それを見た瞬間、ほとんど考えるより先に身体が動いた。


 左足で踏み込み、腰から肩までが自然につながって、そのまま左拳が前へ走る。


 さっきまで自分がしていた殴り方とは、明らかに違う。


 次の瞬間、拳がグレハンの顔面にめり込んだ。


 鈍い音が響き、頭が大きく跳ねる。


 その勢いで身体まで浮いたグレハンは、床へ落ちるより先に光の粒みたいになって弾け、そのまま消えていった。


「……マジでゲームじゃねぇか」


 急に静かになった通路で、自分の荒い呼吸だけがやたら大きく聞こえる。


 左手は普通にじんじんしている。


 でも、百回殴っていた時のぎこちなさは嘘みたいになくなっていた。


 スキル。


 実績を世界で最初に取れば、こんなものまで貰えるのか?


 いや、待て。


 だったら――。


 そこまで考えたところで、また視界のウィンドウが光った。


【レベルが上がりました】


「……おお」


 頭の奥で、乾いた音が小さく響いた。


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