さっきから何かしてるよね?
「では、手合わせ開始!」
その声が落ちても、理央はすぐには動かなかった。
構えもしない。
むしろ、少しだけ首を傾げてこっちを見る。
「君、一個下なんだ」
「え、あ、はい」
「じゃあ後輩だね」
なんなら軽く笑っていた。
いや、始まったんじゃないのか?
そう思ったが、周りもすぐには何も言わない。
理央は気負った様子もなく、続ける。
「僕、同世代の子と手合わせするの初めてなんだよね」
「はぁ」
「だから、とりあえず様子見でいくね」
なんだその部活の顔合わせみたいな空気。
さっきまで遠征だの怪我させるなだの言われてた人の台詞じゃないだろ。
そう思った次の瞬間だった。
理央の目から、ふっと温度が抜けた。
笑みが消える。
空気が変わる。
「――じゃ、行くよ」
速い。
「っ」
反射で半歩引く。
その顔の横を、理央の拳が風を切って抜けた。
避けた。
避けたけど。
なんだ今。
様子見って言わなかったか?
いや、言ったな。
言ったうえでこの速さなのかよ。
二発目が来る。
受ける。
重い。
いや、重いというより、ちゃんと乗ってる。
雑に振ってる感じが全然しない。
三発目。
四発目。
躱しながら、受けながら、何とか距離を取り直す。
理央は追いすがりすぎない。
でも、逃がしもしない。
この時点でもう分かった。
「……強い」
思わず口から漏れた。
同学年とかそういう問題じゃない。
ちゃんと強い。
しかも、綺麗だ。
連撃の繋ぎも、重心の移り方も、全部が整理されている。
この前は坂上みたいな雑な相手だったから余計に分かる。
あいつは勢いと腕力だった。
でもこっちは違う。
一個一個に意味がある。
こっちが一つ読んでも、その先を普通に持ってる感じだ。
それでも俺がかろうじて避けられているのは、パッシブスキル、敵性観測のおかげだった。
踏み込みの癖。
肩の開き。
力が乗る直前のわずかな重心移動。
そういうものが、ギリギリのところで見えている。
見えてなかったら、たぶんもう二、三発はまともにもらっていた。
「蓮くん」
理央が静かな声で言う。
「君、武術とかやってたの?」
「え?」
「戦い慣れしてるように見えるけど」
「いやいや、これでも精一杯なんですが?」
実際そうだ。
余裕なんてまるでない。
見えているのは、あくまで敵性観測で拾えている部分だけだ。
それを姿勢制御+で何とか保っているにすぎない。
ちょっとでも気を抜いたら、普通に崩れる。
「……まぁ精一杯やって、全部止められてること自体、すごいことだけどね」
なんか物凄い勢いで攻撃しながら、さもカフェで雑談してるかのように話してくるんだが。
なんなんだ、この人。
「遠征組の人たちと、わりといい勝負するかもしれないね」
その直後、また踏み込んでくる。
速い。
とりあえず俺のことを褒めてくれてるようだが、こちとら悠長に聞いてる暇なんてない。
俺は咄嗟に右手を開いた。
掌だ。
拳じゃない。
理央の腕に軽く添えるようにして弾いた。
もう一度だ。
次は上段からの回し蹴り。
俺は避けるでもなく、前腕で受け止めるわけでもなく、ただ両掌で弾くように受け流した。
続く拳も、蹴りも、全部だ。
くそ。
何が悲しくて、こんな強者の攻撃を掌でぺしぺし弾かなきゃならないんだ。
でも仕方ない。
これも全ては実績のためだ。
てか、これで本当にカウントされてるのか?
半信半疑のまま、俺は理央の次の一撃を躱す横目で、視界の端に浮かぶ「ある実績項目」を確認した。
――進んでる。
なるほど。
攻めとか守りとか関係なく、とにかく触れた分が全て数として拾ってくれるらしい。
傍から見たら、あいつ掌突き出して何してんだって思われてるだろうけど、
今の俺には関係ない。
大事なのは実績だ、実績!
九。
内心で数える。
まだ遠い。
体にまともに入れられない以上、こういう薄い接触で積むしかない。
最初は肩や胴に入れようと思っていた。
でも無理だ。
この速さと精度の相手に、そんな都合よく深く打ち込めるわけがない。
せいぜい守りに使えるのがやっとのところだ。
俺はまた理央の次の一撃に合わせて手を開き、拳を受け流していく。
十一。
「……?」
理央の目がわずかに細くなる。
何かに気づいたか。
いや、単純に頭のイカれたやつだと思ったとか?
実際、普通に変だろうしな。
掌突き出して、ぺしぺしぺしぺし。
しかもこっちは押されてる。
押されてるくせに、変なことをやってる。
周りから見れば、焦って受け方がおかしくなってるようにしか見えないだろう。
実際、声も聞こえてくる。
「あいつ、さっきから何やってんだ?」
「なんか受け方変じゃない?」
「おい、真面目にやれよー!」
「焦ってんのか?」
色んな声が聞こえてくる。
でも今はそれどころじゃない。
理央の連撃がまた来る。
顔を狙った拳を躱し、続く胴への打撃を受け流す。
そこから下段気味に崩しへ繋いでくるのを、姿勢をずらして何とか逃がす。
その合間に、俺は無理やり掌を差し込んだ。
腕。
肩。
拳の外側。
深くは入らない。
でも触れるだけでもいいなら、それで数を積んでいくしかなかった。
十三。
十四。
十五。
……いや、遠いな。
三十って、こんなに遠かったっけ?
いや、相手がちゃんとしてるからか。
さすが最前線に立つ覚醒者。
触れる隙なんて一切ない。
俺にできるのはせいぜい、守りにタイミングに乗じて、そっと掌で触れるくらい。
我ながら、なんと卑劣な痴漢技術なんだ。
……いや、誰が性犯罪者やねん。
「蓮くん、さっきから何かしてるよね?」
理央が一歩だけ距離を取りながら言った。
声は落ち着いている。
「まあ、そうですね」
でも、最初より少しだけ観察の色が強い。
「ふざけてるわけじゃなさそうだけど、そろそろ本気で来て欲しい……なっ!」
次の攻防。
理央の右を外し、返しの左を受け、重心をずらしながら、そのわずかな隙に掌を差し込む。
深く入らないのはもう仕方ない。
腕でも肩でも、拳の外側でもいい。
とにかく触れて、数を積む。
十八。
十九。
二十。
ようやくそこまで来た。
でも半分を越えたあたりで、逆に気が遠くなってくる。
まだ半分あるのかよ。
いや、違うな。
まだ三分の二か。
どっちにしろ遠いわ。
理央の攻撃は相変わらず速いし重い。
押されている事実も変わらない。
それでも、ここまで来たら止まれなかった。
掌を当てる。
弾く。
流れの中で触る。
また次をずらす。
理央の拳が頬のすぐ横を抜けていくたび、ひやりとする。
近い。
普通に怖い。
でも、その怖さの中に、少しずつ別の感覚も混じってきていた。
見えてはいない。
全部を捉えられているわけじゃない。
でも、見続けてはいる。
積み続けてはいる。
二十二。
二十三。
二十四。
数字だけが、細い糸みたいに俺を前へ繋いでいた。
あと少し。
そう思い始めたところからが、こういうのは長い。
分かる。
経験で分かる。
二十九。
次でいけ。
いや、いけるか?
そこで理央が、ほんのわずかに打ち方を変えた。
角度が違う。
肘の入り方も、踏み込みの深さも、さっきまでとは微妙に噛み合っていない。
いや、噛み合っていないんじゃない。
こっちがようやく慣れかけたところに、向こうが先に手を変えてきたんだ。
やっぱり、強いだけじゃない。
こういう土壇場でも、理央はちゃんと上を取ってくる。
くそ、触れる暇すらない。
そして次の一手、理央はさらに一歩深く入ってきた。
速い。
しかも近い。
さっきまでより明らかに、こっちを仕留める距離だ。
俺は半身で逸らす。
でも、逸らしきれない。
重い衝撃が腕の奥まで食い込み、体勢がわずかに浮く。
まずい。
このままだと、次が来る。
それでも俺は、崩れかけた姿勢のまま無理やり右手を開いた。
綺麗な掌打じゃない。
差し込むというより、ねじ込むに近かった。
理央の前腕に、指先から掌の端までを引っかけるように触れる。
浅い。
普通ならまともな一撃ですらない。
――それでも、目的は達成した。
「三十ッ!」
その瞬間、視界の端が光る。
【B:自分よりレベルの高い覚醒者に、掌打を30回連続で打ち込む】
【実績達成】
「……よし」
思わず拳に力が入る。
これでようやくぺしぺしせずに済むぞ、先輩。




