第5章 優等生の予定表
二十八点は、ほとんど満点だった。
だから美咲は、落とした二点のことを誰にも言えなかった。
「さすが宮城」
答案を返した知念が言った。
英語、五。理科、五。他は六。
隣では颯真が二十九点の答案を受け取っている。数学の作図条件を一つ落としただけだった。
「今回は金城君が一位か」
「一問、ケアレスミスです」
颯真は悔しそうに笑った。
美咲も笑った。二十八点なら、笑って受け取る点数だった。
英語の誤答を見る。
三日前に読んだ文法だった。解説を見た瞬間、答えを知っていた気がした。
理科も同じだった。実験器具の名前は書けた。なぜその操作をするのかが書けなかった。模範解答を読めば、そんなことは分かっていたと思える。
「知っていた?」
黒瀬が答案越しに尋ねた。
「はい」
「では、なぜ出せなかったんでしょう」
責める声ではない。
だから、分かりませんとは言いにくかった。
「確認が足りませんでした」
「何を、どう確認しますか」
「もう一度、復習します」
黒瀬はそれ以上聞かなかった。
教室の後ろでは、蓮が十三点の答案を陸へ見せていた。三十点の半分にも届いていない。
美咲は安心した。
自分はまだ大丈夫だと。
その直後、蓮が数学の五点を指して笑った。
子どものように、何も隠さず喜んでいた。
美咲は、自分が二点を落としたことより、蓮の十三点で安心したことを恥じた。
*
「上位特待も狙えると思うの」
夕食後、母が琉星学院の資料を広げた。
学費、進学実績、特待制度、県外大学への合格者数。付箋が何枚も貼られている。
「まだ偏差値、足りないよ」
「だから今から準備するんでしょう。美咲ならできる」
母は命令していない。
期待しているだけだ。
期待は、断る理由が見つからない頼み方だった。
「英検も取っておいた方がいいって、黒瀬先生が」
「分かった。自分でやる」
美咲は予定表を作った。
学校の宿題、塾のAクラス教材、英語検定、発展数学、理科の復習、模試直し、読書、提出物。
青は学校。
赤は塾。
緑は自主学習。
一週間が、三色で隙間なく埋まった。
英検は四十分。発展数学は三十分。理科の直しは二十分。学校の課題は一時間。
実際に何分かかったかではない。
これくらいで終えたい時間を書いた。
足りなければ、少し遅くまで起きればいい。
完成した予定表は、すでに実行した計画のように美しかった。
*
一日目、学校の課題が三十分延びた。
二日目、英検教材に予定の倍かかった。
三日目、理科のレポートが追加された。
遅れた課題を翌日の空白へ移そうとした。
空白はなかった。
美咲は就寝時刻を三十分遅らせた。翌日はさらに一時間遅らせた。
〈予定どおり進んでる?〉
母からメッセージが届く。
〈大丈夫〉
送信する。
机の上では、予定表の未達項目へ赤い斜線が増えていた。
読んでいるときは理解できた。
ページを閉じると、説明できなかった。
翌朝になれば、昨夜覚えたはずの英語表現が出てこない。
眠いからだと思った。
なら、集中すればいい。
集中できない分だけ、時間を増やせばいい。
美咲は、遅れているから睡眠を削り、睡眠を削ったからさらに遅れた。
*
Aクラスの確認テストに、見覚えのある英文が出た。
前夜に読んだ例文と同じ文法だった。
答えられなかった。
解説を見た瞬間、分かった。
「閉じて説明してみて」
知念が言った。
美咲は解説を伏せた。
「この場合は、主節が……」
次の言葉が出ない。
文字を見れば、どこに何が書いてあるかまで分かる。見なければ、知識へ入る扉の場所が分からなかった。
「最近、予定が詰まってて」
颯真が答案を見た。
「戻せば大丈夫だよ。宮城なら」
戻す場所がないとは言えなかった。
授業後、蓮が廊下で待っていた。謝ろうと思っていた。先日の基礎到達テストの後、十三点を見て安心した自分のことまでは言えなくても、少なくとも何か言うつもりだった。
「顔、眠そう」
「大丈夫」
「その言い方、大丈夫じゃないやつだろ」
「本当に平気」
蓮は美咲の確認テストを見た。
「ここ、分かんなかったの?」
「分かってた。確認できなかっただけ」
「分からないなら、分からないって言えばいいのに」
自分が蓮へ言った言葉だった。
正しい言葉は、戻ってきたときに同じ意味を持つとは限らない。
「あなたの一問と」
美咲の声が硬くなった。
「私が落とせないものを、一緒にしないで」
蓮の顔から、心配が消えた。
「悪かったな」
短く言い、階段を下りていく。
神崎が蓮の後ろにいることを、美咲は知らない。
美咲は一人で廊下に残った。
蓮を傷つけた。
それより先に、蓮を下に見ていた自分を見つけた。
*
夜、美咲は予定表を作り直した。
青を薄くした。
赤い課題を上へ移した。
緑の順番を変えた。
何も減らなかった。
新しい表も、古い表と同じように埋まった。
机の端に、蓮の数学答案を思い出す。一面の斜線の中に、自分でつけた小さな丸。
一問を選ぶことは、他を選ばないことだった。
美咲は発展数学の市販教材を手に取った。
買ってもらったばかりだった。
母は喜んでいた。
最初の数ページにしか、書き込みはない。
予定表から、発展数学を消した。
学校、塾、英検。
三系統に絞る。
睡眠時間を最初に書いた。
各課題の横には、理想の時間ではなく、直近三日に実際にかかった時間を書く。
予定表に空白ができた。
空白は、怠けている証拠に見えた。
同時に、初めて呼吸できる場所にも見えた。
スマートフォンが光る。
〈予定どおり進んでる?〉
母からだった。
〈大丈夫〉
入力する。
消す。
〈少し遅れてる〉
指が止まる。
母を失望させる場面はいくらでも想像できた。黙ったまま全部終わらなくなる場面は、想像しないようにしていた。
〈少し遅れてる。教材を一つ減らしたい。今夜、話したい〉
送信した。
すぐに既読がついた。
返信は来ない。
美咲は蓮とのトーク画面を開いた。
〈ごめん〉
そこまで入力する。
送信できなかった。
母へのメッセージには、既読がついた。
蓮への「ごめん」は、まだ送れなかった。
神崎の赤ペン補講 第5回「予定は、守るためではなく直すためにある」
計画に失敗したとき、「意志が弱かった」と結論づける前に、見積もりを確認する。
人は課題に必要な時間を、実際より短く見積もりやすい。美咲は「英検四十分」と書いたが、それは過去の実績ではなく、四十分で終わってほしいという希望だった。
計画を作る四つの基準
一 過去の実績時間を使う
昨日三十分かかった課題を、根拠なく十五分にしない。
二 空白時間を残す
学校の追加課題、体調、移動、家族の予定は完全には予測できない。
三 睡眠を先に確保する
遅れを睡眠で吸収すると、翌日の集中と記憶が崩れ、さらに遅れることがある。
四 教材を減らす
教材を買ったことと、全部やる必要があることは別である。志望校、現在地、期限から優先順位をつける。
「見れば分かる」を確認する
読みやすい文章や、何度も見た問題は、理解した感覚を生みやすい。
解説を閉じ、自分の言葉で説明する。翌日もう一度確認する。それができなければ、まだ「見れば分かる」段階であり、「自力で使える」段階ではない。
三分でやってみよう
昨日の予定を一つ選ぶ。
予定時間:
実際の時間:
次回の見積もり:
差が出たことは失敗ではない。差を次の計画へ使わないことが失敗である。
保護者の方へ
予定が遅れたとき、「なぜ守れなかったの」と責めるだけでは、子どもは次から遅れを隠すようになる。
「何に予想より時間がかかった?」
「次は何を減らす?」
「睡眠は確保できる?」
この三点を一緒に確認する。
計画を修正することは、目標を諦めることではない。実行できない理想から、実行して検証できる方法へ変えることである。
神崎の一言
「守れない計画を守る努力より、守れる形へ直す判断の方が難しい」




