↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/42

第39章 高専の五百点

 島袋拳の家では、受験日の朝もテレビがついていた。

 音だけが大きい。

 食卓には、南星工業高等専門学校の受験票と、学校から届いた封筒が置かれていた。拳が直した扇風機は壁際にある。冬には使わない。首振りは壊れたままだが、風だけは出る。

「今日、試験」

 拳が言った。

 テレビの音は下がらなかった。

「金、置いてあるだろ」

「交通費じゃなくて」

「何」

「いや、いい」

 拳は受験票を取った。

 以前なら、そのまま「どうせ」と続けた。

 どうせ興味がない。

 どうせ受からないと思っている。

 どうせ家の人間に説明しても変わらない。

 どれも半分は正しかった。

 正しいことは、諦める理由にもできた。

 スマートフォンが震えた。

〈五教科、全部受けろ〉

 蓮だった。

〈当たり前〉

 拳は返した。

 玄関を出てから、もう一通送る。

〈行ってくる〉

 南星高専の学力検査は、五教科各百点。

 国語、数学、英語、理科、社会。

 合計五百点。

 四月の県内模試は五教科各六十点、三百点満点だった。拳は百八点。国語十八、数学三十八、英語十二、理科二十五、社会十五。

 高専の五百点へ、百八点をそのまま移すことはできない。

 問題も、配点も、受験者も違う。

 だから拳たちは、高専型の過去問と演習で測り直した。

 最後の演習は三百六点。

 国語五十一。

 数学八十四。

 英語三十九。

 理科七十八。

 社会五十四。

 最低目標は三百。

 安全目標は三百十五。

 どちらも、南星高専という架空校に合わせて置いた数字だった。合格を保証する線ではない。

 拳は、数字を願いに使わなくなっていた。

 最初の国語で、説明文が十二ページあった。

 拳は問題冊子を閉じかけた。

「長え」

 声には出さなかった。

 機械の説明書なら、十二ページでも読める。

 必要な場所が分かるからだ。

 国語も同じように読むことにした。

 設問を見る。

 理由。

 指示語。

 本文中の言葉。

 四十字以内。

 本文を最初から理解しようとせず、段落の役割を短く書く。

 問題。

 昔の方法。

 失敗。

 新しい方法。

 結論。

 知らない言葉は多かった。

 それでも、「これ」が何を指すかは前へ戻れば探せる。理由を聞く設問なら、原因と結果のつながりを追える。

 小説問題では、登場人物の台詞より、台詞の後に何をしたかへ線を引いた。

 国語が得意になった感覚はない。

 ただ、何をすればよいか分からない教科ではなくなっていた。

 社会では、年号が一つ出てこなかった。

 拳はその空欄を見つめた。

 何度も覚えた。

 翌日に忘れた。

 三日後にまた間違えた。

 前なら、そこで答案全部が嫌になった。

 一問分からないだけで、自分が勉強に向いていない証拠にした。

 今は、問題番号へ印を付けて次へ進む。

 世界地理の地図。

 日本の産業。

 明治までの歴史。

 地図は、工場から港まで物が流れる図として見た。歴史は、制度が変わった理由と、その後に起きたことを組み合わせた。

 最後に年号問題へ戻る。

 二つまで絞り、前後の出来事から一つを選んだ。

 正しいかは分からない。

 空欄のまま諦めるのとは違った。

 数学の冊子を開いた時、拳の呼吸が初めて深くなった。

 計算。

 方程式。

 関数。

 図形。

 紙にある線が、最初から意味を持って見える。

 大問一を解く。

 途中式を書く。

 拳は、式を書くのが嫌いだった。

 見れば分かる。

 頭の中では動く。

 答えだけ書けばよい。

 そう思っていた。

 しかし、頭の中で見えたものは、答案用紙には見えない。

 関数の変化を座標へ落とす。

 図形で等しい長さへ印を付ける。

 回転した図形の対応点を文字で書く。

 分かることを、採点者に分かる形へ変える。

 最終大問は、歯車の回転を思わせる図形だった。

 実際に歯車は出ていない。

 二つの円と接線。動点。面積。

 拳は補助線を引いた。

 一問目。

 二問目。

 三問目で、式が止まる。

 残り時間を見る。

 十七分。

 飛ばせば、前半の見直しができる。

 けれど、もう一つ関係が見えていた。

 二つの三角形の高さが同じになる。

 拳は式を書いた。

 途中で一度、消した。

 もう一度、図へ戻る。

 答えが出た。

 数字はきれいではなかった。

 きれいな数字でないから間違いだと思いかける。

 条件を代入する。

 矛盾しない。

 残り八分。

 大問一へ戻り、計算を確認する。

 全問解けたわけではない。

 しかし一問だけ、拳にしか見えないと思っていた構造を、他人にも読める答案へ変えた。

 昼休み、拳は弁当を半分残した。

 英語が次だった。

 空腹より、胃の重さが勝った。

 単語カードを取り出す。

 最初に書いた単語は、useだった。

 使う。

 そんな単語も知らなかった。

 四月の英語は、六十点中十二点。高専型演習へ変えても、最初は百点中二十点台だった。

「英語なんか、機械いじるのに要らん」

 自分で言った言葉は覚えている。

 公開授業でもらった冊子には、部品名の横に英語が書いてあった。

 説明書を読む。

 海外の技術情報を見る。

 誰かが作ったものを理解する。

 要るか要らないかを決めるには、使えるところまで覚えなければならなかった。

 拳はカードを閉じた。

 前日に増やさなかった単語を、休み時間に増やす必要もない。

 英語の長文は、学生同士の技術交流について書かれていた。

 全部は読めない。

 主語へ線を引く。

 動詞を囲む。

 数字と固有名詞を見る。

 設問は、ある生徒が部品を交換した理由を尋ねている。

 becauseを探す。

 見つからない。

 前後を見る。

 古い部品では熱が上がりすぎる。そのため、新しい部品へ交換した。

 拳は、壊れた扇風機を思い出した。

 首振りの部品は手に入らなかった。

 風を出す回路だけ直した。

 英文の意味が、自分の知っている動きへ変わる。

 一問答える。

 整序問題では、三人称単数のsを落としかけた。

 英作文は短く書いた。

 難しいことを言おうとしない。

 主語。

 動詞。

 目的語。

 四割を取る。

 目標は格好よくなかった。

 格好よくない目標を守る方が、拳には難しかった。

 最後の理科では、疲労が目へ出た。

 電流。

 力。

 化学反応。

 生物。

 地学。

 得意な電気の実験で、条件を一つ読み落とした。

 電圧が同じだと思い込んで計算する。

 次の設問で数字が合わない。

 全部やり直したくなる。

 拳は実験表へ戻った。

 変わった条件だけを見る。

 抵抗。

 電圧。

 時間。

 関係する二問だけ直した。

 知識問題では、以前なら勘で選んだ用語を、何も見ずに思い出す練習が残っていた。

 一つ出ない。

 その一問を飛ばす。

 得意教科だから満点を取らなければならないわけではない。

 五教科を受け終えること。

 数学と理科で稼ぐこと。

 国語、英語、社会をゼロにしないこと。

 拳は最後の解答欄を埋めた。

 終了の合図が鳴った。

 五百点の試験が終わった。

 拳は机へ突っ伏さなかった。

 受験票を鞄へ入れた。

 それだけで、四月の自分より先へ進んでいた。

 自己採点は、塾で行った。

「国語、五十くらい」

 拳が言う。

「くらいって何だよ」

 蓮が答案をのぞく。

「記述が分からん」

「数学は?」

「八十五前後」

「理科」

「七十八」

「英語」

 拳は黙った。

「ゼロ?」

「殺すぞ」

「何点」

「四十一くらい」

 蓮は笑った。

「笑うな」

「いや、取ったな」

「低いだろ」

「最初、二十点台だったろ」

「社会、五十四」

 概算を足す。

 国語五十二。

 数学八十五。

 英語四十一。

 理科七十八。

 社会五十四。

 三百十点。

 最低目標三百は越えた。

 安全目標三百十五には届かない。

「受かった?」

 拳が聞く。

 蓮は答えそうになった。

 神崎なら確率を出したかもしれない。

 黒瀬なら、正式結果まで断定しない。

「分からない」

 蓮は言った。

「役に立たんな」

「五点足りないって言って落ち込むか、十点越えたって期待するか、好きな方を選べ」

「どっちも嫌だ」

「じゃあ待て」

 拳は採点表を折った。

「受かった時の書類、担任に聞く」

「家は?」

「変わってない」

「手伝う?」

「質問作るのだけ」

 拳はノートを開いた。

 入学時に必要な金。

 通学。

 寮を使える条件。

 保護者書類。

 相談できる窓口。

「自分で書いてるじゃん」

「抜けてるのあるかだけ見ろ」

「先生扱いしろよ」

「受かっただけで先生になるな」

 蓮は琉星学院の合格発表で言われたのと同じ言葉を、もう一度受け取った。

 家へ戻ると、テレビはついていた。

「どうだった」

 保護者が画面を見たまま聞いた。

「分からん」

「落ちたら近い高校でいいだろ」

 拳は靴を脱いだ。

「受かったら高専行く」

「金は」

「学校と相談する」

「勝手に決めるな」

 拳は振り返った。

 以前なら、声を荒らげた。

 今は、受験票を鞄から出した。

「勝手に決めたんじゃない。俺が決めた」

 同じに聞こえて、違う言葉だった。

 合格発表の日、拳は学校の端末で番号を確認した。

 担任と、学年の進路担当が隣にいた。

 番号は縦に並んでいた。

 拳は一度で見つけた。

「ある」

 担任が画面へ顔を近づける。

「受験番号は」

「これ」

「確認しよう」

「俺の番号くらい分かる」

 合格。

 文字を見ても、声は出なかった。

 拳は画面を閉じそうになり、止めた。

 もう一度見る。

 番号は消えない。

 スマートフォンを出す。

〈受かった〉

 蓮へ送る。

〈やったな〉

 すぐ返ってきた。

〈決めたのは俺〉

〈知ってる〉

 拳は画面を伏せた。

 担任が合格後の面談日を示す。

「入学手続、費用、通学、家庭での学習環境。学校だけで決められないこともある。相談員にも入ってもらう」

「合格したのに?」

「合格したからだ。通い続ける準備が要る」

 家庭の音が静かになるわけではない。

 入学金が消えるわけでもない。

 眠れる場所が自動でできるわけでもない。

 それでも、行きたい学校へ進むための話を、大人が自分と始めている。

 拳は「分かった」と言った。

 帰宅後、合格通知は食卓へ置かなかった。

 自分の机の上へ置いた。

 その横には、中古で買った工具箱がある。留め金が片方壊れ、持ち上げると蓋が開いた。

 拳はドライバーを出した。

 曲がった金具を外す。

 向きを変える。

 穴の位置を合わせる。

 短いねじで固定する。

 蓋を閉じる。

 一度。

 二度。

 今度は開かなかった。

 拳は合格通知より先に、入学後に使う工具箱を直した。


神崎の赤ペン補講

得意教科で勝ち、苦手教科を捨てない得点設計

一 試験ごとの満点を確認する

県内模試、公立高校、私立高校、高専では、教科数や各教科の満点が異なります。本章の高専入試は五教科各100点、合計500点の架空設定です。

二 得意教科の目標点を置く

数学85、理科80など、得点源を明確にします。ただし、得意という感覚ではなく、過去問や時間制限付き演習で判断します。

三 不得意教科にも最低点を置く

苦手だからゼロでよい、とはなりません。英語40、国語50など、基礎問題から確保する最低点を決めます。

四 総得点で設計する

教科間で補える試験では、全教科を同じ点まで伸ばす必要はありません。得意で稼ぎ、不得意の基礎を拾い、合計点を作ります。

五 分かったことを答案へ翻訳する

頭の中で図形や仕組みが見えても、途中式、根拠、説明がなければ採点者には伝わりません。感覚を答案の言葉へ変える練習が必要です。

六 長時間試験への準備も得点になる

五教科を一日で受ける場合、睡眠、食事、水分、休み時間の使い方、教科間の切替が後半の得点に影響します。

 得意は、苦手を存在しなかったことにする魔法ではありません。

 苦手を抱えたまま進む方向を、示すものです。

※南星工業高等専門学校の合格目標点・選抜条件は物語上の架空設定です。実際の受験では、志望高専の最新募集要項を確認してください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。