第39章 高専の五百点
島袋拳の家では、受験日の朝もテレビがついていた。
音だけが大きい。
食卓には、南星工業高等専門学校の受験票と、学校から届いた封筒が置かれていた。拳が直した扇風機は壁際にある。冬には使わない。首振りは壊れたままだが、風だけは出る。
「今日、試験」
拳が言った。
テレビの音は下がらなかった。
「金、置いてあるだろ」
「交通費じゃなくて」
「何」
「いや、いい」
拳は受験票を取った。
以前なら、そのまま「どうせ」と続けた。
どうせ興味がない。
どうせ受からないと思っている。
どうせ家の人間に説明しても変わらない。
どれも半分は正しかった。
正しいことは、諦める理由にもできた。
スマートフォンが震えた。
〈五教科、全部受けろ〉
蓮だった。
〈当たり前〉
拳は返した。
玄関を出てから、もう一通送る。
〈行ってくる〉
南星高専の学力検査は、五教科各百点。
国語、数学、英語、理科、社会。
合計五百点。
四月の県内模試は五教科各六十点、三百点満点だった。拳は百八点。国語十八、数学三十八、英語十二、理科二十五、社会十五。
高専の五百点へ、百八点をそのまま移すことはできない。
問題も、配点も、受験者も違う。
だから拳たちは、高専型の過去問と演習で測り直した。
最後の演習は三百六点。
国語五十一。
数学八十四。
英語三十九。
理科七十八。
社会五十四。
最低目標は三百。
安全目標は三百十五。
どちらも、南星高専という架空校に合わせて置いた数字だった。合格を保証する線ではない。
拳は、数字を願いに使わなくなっていた。
最初の国語で、説明文が十二ページあった。
拳は問題冊子を閉じかけた。
「長え」
声には出さなかった。
機械の説明書なら、十二ページでも読める。
必要な場所が分かるからだ。
国語も同じように読むことにした。
設問を見る。
理由。
指示語。
本文中の言葉。
四十字以内。
本文を最初から理解しようとせず、段落の役割を短く書く。
問題。
昔の方法。
失敗。
新しい方法。
結論。
知らない言葉は多かった。
それでも、「これ」が何を指すかは前へ戻れば探せる。理由を聞く設問なら、原因と結果のつながりを追える。
小説問題では、登場人物の台詞より、台詞の後に何をしたかへ線を引いた。
国語が得意になった感覚はない。
ただ、何をすればよいか分からない教科ではなくなっていた。
社会では、年号が一つ出てこなかった。
拳はその空欄を見つめた。
何度も覚えた。
翌日に忘れた。
三日後にまた間違えた。
前なら、そこで答案全部が嫌になった。
一問分からないだけで、自分が勉強に向いていない証拠にした。
今は、問題番号へ印を付けて次へ進む。
世界地理の地図。
日本の産業。
明治までの歴史。
地図は、工場から港まで物が流れる図として見た。歴史は、制度が変わった理由と、その後に起きたことを組み合わせた。
最後に年号問題へ戻る。
二つまで絞り、前後の出来事から一つを選んだ。
正しいかは分からない。
空欄のまま諦めるのとは違った。
数学の冊子を開いた時、拳の呼吸が初めて深くなった。
計算。
方程式。
関数。
図形。
紙にある線が、最初から意味を持って見える。
大問一を解く。
途中式を書く。
拳は、式を書くのが嫌いだった。
見れば分かる。
頭の中では動く。
答えだけ書けばよい。
そう思っていた。
しかし、頭の中で見えたものは、答案用紙には見えない。
関数の変化を座標へ落とす。
図形で等しい長さへ印を付ける。
回転した図形の対応点を文字で書く。
分かることを、採点者に分かる形へ変える。
最終大問は、歯車の回転を思わせる図形だった。
実際に歯車は出ていない。
二つの円と接線。動点。面積。
拳は補助線を引いた。
一問目。
二問目。
三問目で、式が止まる。
残り時間を見る。
十七分。
飛ばせば、前半の見直しができる。
けれど、もう一つ関係が見えていた。
二つの三角形の高さが同じになる。
拳は式を書いた。
途中で一度、消した。
もう一度、図へ戻る。
答えが出た。
数字はきれいではなかった。
きれいな数字でないから間違いだと思いかける。
条件を代入する。
矛盾しない。
残り八分。
大問一へ戻り、計算を確認する。
全問解けたわけではない。
しかし一問だけ、拳にしか見えないと思っていた構造を、他人にも読める答案へ変えた。
昼休み、拳は弁当を半分残した。
英語が次だった。
空腹より、胃の重さが勝った。
単語カードを取り出す。
最初に書いた単語は、useだった。
使う。
そんな単語も知らなかった。
四月の英語は、六十点中十二点。高専型演習へ変えても、最初は百点中二十点台だった。
「英語なんか、機械いじるのに要らん」
自分で言った言葉は覚えている。
公開授業でもらった冊子には、部品名の横に英語が書いてあった。
説明書を読む。
海外の技術情報を見る。
誰かが作ったものを理解する。
要るか要らないかを決めるには、使えるところまで覚えなければならなかった。
拳はカードを閉じた。
前日に増やさなかった単語を、休み時間に増やす必要もない。
英語の長文は、学生同士の技術交流について書かれていた。
全部は読めない。
主語へ線を引く。
動詞を囲む。
数字と固有名詞を見る。
設問は、ある生徒が部品を交換した理由を尋ねている。
becauseを探す。
見つからない。
前後を見る。
古い部品では熱が上がりすぎる。そのため、新しい部品へ交換した。
拳は、壊れた扇風機を思い出した。
首振りの部品は手に入らなかった。
風を出す回路だけ直した。
英文の意味が、自分の知っている動きへ変わる。
一問答える。
整序問題では、三人称単数のsを落としかけた。
英作文は短く書いた。
難しいことを言おうとしない。
主語。
動詞。
目的語。
四割を取る。
目標は格好よくなかった。
格好よくない目標を守る方が、拳には難しかった。
最後の理科では、疲労が目へ出た。
電流。
力。
化学反応。
生物。
地学。
得意な電気の実験で、条件を一つ読み落とした。
電圧が同じだと思い込んで計算する。
次の設問で数字が合わない。
全部やり直したくなる。
拳は実験表へ戻った。
変わった条件だけを見る。
抵抗。
電圧。
時間。
関係する二問だけ直した。
知識問題では、以前なら勘で選んだ用語を、何も見ずに思い出す練習が残っていた。
一つ出ない。
その一問を飛ばす。
得意教科だから満点を取らなければならないわけではない。
五教科を受け終えること。
数学と理科で稼ぐこと。
国語、英語、社会をゼロにしないこと。
拳は最後の解答欄を埋めた。
終了の合図が鳴った。
五百点の試験が終わった。
拳は机へ突っ伏さなかった。
受験票を鞄へ入れた。
それだけで、四月の自分より先へ進んでいた。
自己採点は、塾で行った。
「国語、五十くらい」
拳が言う。
「くらいって何だよ」
蓮が答案をのぞく。
「記述が分からん」
「数学は?」
「八十五前後」
「理科」
「七十八」
「英語」
拳は黙った。
「ゼロ?」
「殺すぞ」
「何点」
「四十一くらい」
蓮は笑った。
「笑うな」
「いや、取ったな」
「低いだろ」
「最初、二十点台だったろ」
「社会、五十四」
概算を足す。
国語五十二。
数学八十五。
英語四十一。
理科七十八。
社会五十四。
三百十点。
最低目標三百は越えた。
安全目標三百十五には届かない。
「受かった?」
拳が聞く。
蓮は答えそうになった。
神崎なら確率を出したかもしれない。
黒瀬なら、正式結果まで断定しない。
「分からない」
蓮は言った。
「役に立たんな」
「五点足りないって言って落ち込むか、十点越えたって期待するか、好きな方を選べ」
「どっちも嫌だ」
「じゃあ待て」
拳は採点表を折った。
「受かった時の書類、担任に聞く」
「家は?」
「変わってない」
「手伝う?」
「質問作るのだけ」
拳はノートを開いた。
入学時に必要な金。
通学。
寮を使える条件。
保護者書類。
相談できる窓口。
「自分で書いてるじゃん」
「抜けてるのあるかだけ見ろ」
「先生扱いしろよ」
「受かっただけで先生になるな」
蓮は琉星学院の合格発表で言われたのと同じ言葉を、もう一度受け取った。
家へ戻ると、テレビはついていた。
「どうだった」
保護者が画面を見たまま聞いた。
「分からん」
「落ちたら近い高校でいいだろ」
拳は靴を脱いだ。
「受かったら高専行く」
「金は」
「学校と相談する」
「勝手に決めるな」
拳は振り返った。
以前なら、声を荒らげた。
今は、受験票を鞄から出した。
「勝手に決めたんじゃない。俺が決めた」
同じに聞こえて、違う言葉だった。
合格発表の日、拳は学校の端末で番号を確認した。
担任と、学年の進路担当が隣にいた。
番号は縦に並んでいた。
拳は一度で見つけた。
「ある」
担任が画面へ顔を近づける。
「受験番号は」
「これ」
「確認しよう」
「俺の番号くらい分かる」
合格。
文字を見ても、声は出なかった。
拳は画面を閉じそうになり、止めた。
もう一度見る。
番号は消えない。
スマートフォンを出す。
〈受かった〉
蓮へ送る。
〈やったな〉
すぐ返ってきた。
〈決めたのは俺〉
〈知ってる〉
拳は画面を伏せた。
担任が合格後の面談日を示す。
「入学手続、費用、通学、家庭での学習環境。学校だけで決められないこともある。相談員にも入ってもらう」
「合格したのに?」
「合格したからだ。通い続ける準備が要る」
家庭の音が静かになるわけではない。
入学金が消えるわけでもない。
眠れる場所が自動でできるわけでもない。
それでも、行きたい学校へ進むための話を、大人が自分と始めている。
拳は「分かった」と言った。
帰宅後、合格通知は食卓へ置かなかった。
自分の机の上へ置いた。
その横には、中古で買った工具箱がある。留め金が片方壊れ、持ち上げると蓋が開いた。
拳はドライバーを出した。
曲がった金具を外す。
向きを変える。
穴の位置を合わせる。
短いねじで固定する。
蓋を閉じる。
一度。
二度。
今度は開かなかった。
拳は合格通知より先に、入学後に使う工具箱を直した。
神崎の赤ペン補講
得意教科で勝ち、苦手教科を捨てない得点設計
一 試験ごとの満点を確認する
県内模試、公立高校、私立高校、高専では、教科数や各教科の満点が異なります。本章の高専入試は五教科各100点、合計500点の架空設定です。
二 得意教科の目標点を置く
数学85、理科80など、得点源を明確にします。ただし、得意という感覚ではなく、過去問や時間制限付き演習で判断します。
三 不得意教科にも最低点を置く
苦手だからゼロでよい、とはなりません。英語40、国語50など、基礎問題から確保する最低点を決めます。
四 総得点で設計する
教科間で補える試験では、全教科を同じ点まで伸ばす必要はありません。得意で稼ぎ、不得意の基礎を拾い、合計点を作ります。
五 分かったことを答案へ翻訳する
頭の中で図形や仕組みが見えても、途中式、根拠、説明がなければ採点者には伝わりません。感覚を答案の言葉へ変える練習が必要です。
六 長時間試験への準備も得点になる
五教科を一日で受ける場合、睡眠、食事、水分、休み時間の使い方、教科間の切替が後半の得点に影響します。
得意は、苦手を存在しなかったことにする魔法ではありません。
苦手を抱えたまま進む方向を、示すものです。
※南星工業高等専門学校の合格目標点・選抜条件は物語上の架空設定です。実際の受験では、志望高専の最新募集要項を確認してください。




