第38章 合格と、合格ではないもの
自分の番号は、自分が一番見つけにくい。
蓮は掲示板を上から二度読んだ。
百二十一。
百二十七。
百三十四。
百四十。
ない。
受験票には、百三十六と印刷されている。
もう一度、最初から指で追う。
「蓮」
母親が呼んだ。
「待って」
「番号、百三十六で合ってる?」
「合ってる」
百二十七の次。
百三十四。
その右。
百三十六。
「あった」
声が出なかった。
指だけが番号の前で止まった。
「どこ」
「これ」
「見えない。指どけて」
蓮が指を外す。
母親は掲示板を見た。それから、番号ではなく蓮の顔を見た。
「ある?」
「ある」
「本当に?」
「百三十六」
母親が受験票と掲示を交互に見る。
「同じ?」
「同じ」
「そう」
それだけ言って、口を押さえた。
蓮は笑おうとした。顔のどこを動かせば笑えるのか分からなかった。
四月は、三百点満点の県内模試で百点だった。
国語二十八、数学十七、英語十四、理科十九、社会二十二。
応用問題が解けないと文句を言いながら、基礎問題を落としていた。偏差値三十五。内申百十。自分には関係のない高校だと思っていた。
今、琉星学院の合格者一覧に、自分の番号がある。
右斜め後ろを見なかった。
見れば、いないことを確認するだけだからではない。
この番号は、最初から神崎の番号ではなかった。
「蓮」
人の向こうから、美咲が来た。
「どうだった」
蓮は掲示板を親指で指した。
「百三十六」
美咲は受験票を見せた。番号を追い、すぐに見つけた。
「あった」
「そっちは」
美咲は自分の番号を指す。
二百八十一。
あった。
「同じだな」
「うん」
「同じ高校」
「まだ手続があるけど」
「今くらい、そういうの後にしろよ」
「蓮が言う?」
「今日は言う」
美咲が笑った。
蓮は手を出した。
握手のつもりだった。
美咲は一瞬だけ迷い、手を握った。
周囲では、泣いている生徒も、写真を撮る家族も、掲示板から離れられない受験生もいた。二人の手は、誰からも見えない高さで短く重なった。
「おめでとう」
「そっちも」
先に離したのがどちらか、蓮には分からなかった。
合格通知は、封筒一つでは終わらなかった。
一枚目。
〈合格〉
二枚目。
〈所属コースについて〉
三枚目。
〈入学手続金および期限〉
蓮は一枚目を持ったまま、廊下を歩いた。
母親は三枚目を読んでいた。
「何て?」
「合格」
「それは見れば分かる」
「じゃあ何」
母親は紙を折らずに持っていた。
入学手続金、十五万円。
納入期限、五日後。
その下には、制服、教材、学習端末、施設関係費など、入学前に必要となる費用の概算が並んでいた。
三十三万円。
合計四十八万円。
「四十八?」
「まだ概算」
「授業料の支援は?」
「授業料。これは全部が授業料じゃない」
母親の声は普段と同じだった。
同じにしようとして、少し遅れていた。
「何とかする」
蓮は、その言葉が続く前に言った。
「待って」
「何」
「一人で何とかするって決めるなよ」
「親だから」
「俺の高校だろ」
母親が黙った。
蓮は、喜んでいる母親へ金の話をしたくなかった。
母親も、合格した息子へ払えない可能性を言いたくなかった。
どちらも相手のためだった。
相手のためという言葉は、時々、話し合わないために便利だった。
廊下の反対側で、美咲は二枚目を開いていた。
〈進学コース合格〉
不合格ではない。
琉星学院に合格している。
ただし、美咲が受けた最上位選抜コースではなかった。上位特待の欄にも、受験番号二百八十一はない。
母親が横から紙を見る。
「合格したんだから」
「うん」
「十分よ」
「うん」
母親は特待者一覧へ目を戻した。
一度。
もう一度。
「思ったより、人数が少ないのね」
「そうだね」
「美咲の点が悪かったわけじゃないから」
「点、まだ分からないよ」
「分かってる。そういう意味じゃなくて」
「うん」
「合格なんだから」
三度目だった。
美咲は合格通知を鞄へ入れた。特待者一覧は、母親が持ったままだった。
校門前で、蓮の母親が写真を撮った。
蓮と美咲を並べようとしたが、美咲の母親が親族への電話中だったため、二人は掲示板の前に受験票だけを出した。
「顔は?」
「いい」
「せっかくなのに」
「番号が写ればいい」
蓮の母親は、受験票と合格番号を一枚に収めた。
写真の端に、美咲の指が少しだけ写った。
「送って」
「後で」
美咲の声は明るかった。
蓮は、明るすぎる時の声を知っていた。
「コース、どうだった」
聞きかけて、やめた。
母親が隣にいる。
美咲も、蓮の母親が持つ納付案内を見ていた。
「費用、大丈夫?」
聞きかけたのが分かった。
二人とも、何も聞かなかった。
「じゃあ、塾で」
「うん」
合格した日の空気を、壊したくなかった。
壊れるほど薄い喜びではなかったのに。
家へ帰ると、母親は食卓へ四つ置いた。
合格通知。
納付案内。
通帳。
電卓。
「まず十五万円」
母親が言う。
「五日後」
「あるの?」
「あるかないかで言えば、ある」
「それ、どういう意味」
「生活費と、来月の支払いを考えなければ」
「それは、ないって言うんだろ」
「でも期限がある」
母親は電卓を押した。
十五万。
制服と教材。
端末。
交通費。
画面の数字が増えるたび、合格通知の文字が遠く見えた。
「追加で働く」
「いつ」
「夜か、休みの日」
「それで倒れたら意味ない」
「じゃあ、どうするの」
母親の声が少し強くなった。
「合格したのに、払えませんって学校へ言う? 待ってくださいって? 最初から無理だったって?」
蓮は反発しそうになった。
母親は夢を潰したいのではない。
間に合わないことを恐れている。
「言おう」
「何を」
「学校に。分けて払えるか。減免とか、使える制度があるか。期限まで黙ってるよりいい」
「そんなこと言ったら、入学前から――」
「金がない家だと思われる?」
母親は答えなかった。
「実際、簡単に四十八万出せる家じゃないだろ」
口にすると痛かった。
母親を責めているようにも聞こえた。
「ごめん」
「謝るなら言わないで」
「でも、隠して払えなくなる方が困る」
蓮は納付案内の下にある問い合わせ先を指した。
「明日、俺も一緒に電話する」
「学校へ?」
「俺の高校だから」
母親は通帳を閉じた。
「合格したばかりなのに」
「うん」
「もう少し喜ばせてよ」
「喜んでる」
「そんな顔に見えない」
「母さんも」
二人とも黙った。
先に笑ったのは母親だった。
「本当に、受かったのよね」
「番号、写真にあるだろ」
「もう一回見せて」
蓮はスマートフォンを開いた。
百三十六。
二人で同じ番号を見た。
金額は消えなかった。
番号も消えなかった。
美咲の家では、祝いのメッセージが増え続けていた。
〈さすが美咲ちゃん〉
〈難関校合格おめでとう〉
〈特待だった?〉
最後の一文で、指が止まる。
母親は電話で何度も「合格しました」と言った。声は明るかった。そのたびに、机の端に置いた特待者一覧へ目が動いた。
美咲は自分の部屋へ戻った。
合格した。
目標にしていた学校へ行ける。
それなのに、選抜コースへ届かなかったことが、合格の中央へ黒い点のように残っている。
中学校で上位だった。
内申百六十。
偏差値六十。
それでも、上には人がいる。
高校へ入れば、もっといる。
頑張れば評価される場所ならどこでもよいと思っていた。
評価された後には、さらに細い順位が待っていた。
スマートフォンを開く。
蓮への画面に、短く打った。
〈特待、だめだった〉
消す。
〈コース、第一希望じゃなかった〉
また消す。
「合格したんだから」と、自分の中でも声がした。
喜べない自分が、わがままに思えた。
美咲は三度目に書いた。
〈合格した。でも、特待と選抜コースはだめだった。ちょっと苦しい〉
送信した。
返事はすぐには来なかった。
送らなければよかったと思い始めた頃、画面が光った。
〈俺も合格した。でも入学金、家で相談中。うれしいけど、ちょっと怖い〉
美咲は読み返した。
どちらも「でも」を使っていた。
〈今日、うれしかった?〉
蓮から続けて届く。
〈うれしかった〉
美咲は答えた。
〈俺も〉
合格の後ろに問題があっても、合格した喜びまで嘘にはならなかった。
夜の塾では、Dクラスの机に菓子の袋が並んだ。
「難関私立合格者が、割り勘の菓子食うなよ」
拳が言う。
「難関私立の入学金を払うため、今から節約してる」
「急に現実的だな」
「お前、明日だろ」
拳の鞄には、南星工業高等専門学校の受験票が入っている。
「英単語、最後に見る?」
「見ない」
「理科は?」
「見ない」
「数学一問だけ」
「やらん」
蓮は眉を上げた。
「大丈夫かよ」
「寝る」
拳は菓子を一つ取り、立ち上がった。
「前日に新しい問題増やすなって、お前らが何回もうるさかっただろ」
「成長したな」
「上から言うな。受かっただけで先生になるな」
拳は受験票をポケットへ入れた。
「次、俺な」
塾を出ていく背中に、神崎の説明は必要なかった。
蓮のスマートフォンが震えた。
今日撮った合格番号の写真の下に、拳から一文が届いていた。
〈行ってくる〉
神崎の赤ペン補講
合格通知を受け取ったら確認すること
一 「合格」以外の紙も読む
合格通知と一緒に、コース、特待、入学手続、提出書類などが届きます。喜んだ後で構いません。封筒の中を全部確認します。
二 期限を最初に確認する
入学金や手続書類には期限があります。合格発表から短期間の場合もあります。日付、時刻、提出方法を確認します。
三 授業料と授業料外費用を分ける
授業料への支援があっても、入学金、制服、教材、端末、施設費、交通費などが別に必要な場合があります。「支援があるから全部無料」と考えず、学校の案内で確認します。
四 返還条件を確認する
入学金や手続金は、後で別の学校へ進学しても返還されない場合があります。公立高校など他校の結果を待てるか、延納制度があるかも確認します。
五 払えない可能性を期限前に相談する
期限を過ぎてからでは選択肢が減ります。分納、延納、減免、奨学制度、自治体や学校独自の支援について、学校の窓口へ早めに相談します。
六 合格後の複雑な感情も間違いではない
合格してうれしい一方で、費用、コース、特待、進学後の不安を感じることがあります。喜びと不安は同時に存在できます。どちらかを否定せず、必要な相談へつなげます。
※本章の金額と制度は架空の琉星学院における物語上の設定です。実際の学校では、最新の募集要項と公式案内を確認してください。




