第30章 四十二点の壁
恋愛の続きは、四十二点不足していた。
琉星学院の過去問は、国語・数学・英語の三教科各百点、合計三百点満点。蓮は百七十二点。前年の合格最低点は二百十四点だった。
「三教科で四十二なら、一教科十四点だ」
蓮が言うと、美咲は首を振った。
「三教科で四十二点上げるの、大きいよ」
「昨日は、取ればって言っただろ」
「取れないとは言ってない。小さく言うなってこと」
神崎は採点済み答案を見ても、赤ペンを入れろとは言わなかった。代わりに白紙を指し、蓮に三つだけ書かせた。
一、どこで失った。
二、どこなら取れる。
三、その時間はあるか。
「答えは?」
蓮が聞く。
「ワシに聞くな。お前の受験じゃろ」
昨日なら、その言葉は突き放されたように聞こえたかもしれない。
今日は、机を渡されたように聞こえた。
国語六十二。数学六十七。英語四十三。
蓮は三枚の答案を床へ並べた。
間違いの横に、色の違う付箋を置いていく。
知識不足。読み違い。時間不足。難しすぎる問題。作業ミス。
英語の長文後半は時間不足に見えたが、前半で単語につまずき、何度も戻ったことが原因だった。数学の最終問は時間を使っても届いていない。国語の記述は本文中の根拠を外していた。
「全部やり直せばいい」
口にしたあと、蓮は自分で首を振った。
残りの日数と、一日の学習可能時間を書く。学校、睡眠、食事、移動。そこから三教科全部の穴を埋める時間を引く。
足りなかった。
「初めて賢い顔をしたのう」
「足りないって分かっただけだぞ」
「計画は、できることを書く紙ではない。できんことを消す紙でもある」
蓮は赤いカードを四十二枚、机に並べた。
一枚、一点。
国語へ十枚、数学へ十二枚、英語へ二十枚を配った。
すぐに崩れた。
数学の最終問へ置いた二枚は、百時間使っても取れる保証がない。英語の基本単語と整序問題なら、同じ時間で複数点を狙える。
蓮はカードを移した。
国語、八。
数学、十。
英語、二十四。
「捨てる問題を言え」
神崎が尋ねる。
「数学の最終問後半。国語の難しい記述。英語の最難関整序は、今は後回し」
「逃げるのか?」
わざとだった。
「違う」
蓮は数学のカードを、大問前半へ置き直した。
「合格点を作るために、順番を下げる」
四十二枚が初めて、願いではなく仕事に見えた。
黒瀬は得点設計を読み、珍しくすぐには否定しなかった。
「分類は妥当です」
「じゃあ、いけますか」
「四十二点取れれば、昨年の最低点です」
「そう書いてます」
「昨年の最低点は、今年の合格保証ではありません」
蓮は黙った。
「問題の難度も受験者も変わる。本番では、練習でしないミスも起きる。最低点ぴったりを目標にするのは、合格者ではなく不合格者の設計です」
正しかった。
黒瀬の正論は、間違っていないときほど腹が立つ。
「何点なら」
「私なら、少なくとも十三点の余白を置く」
蓮は四十二の横に、五十五と書いた。
「それでも確率は低い」
「分かってます」
「志望変更は、まだ合理的です」
「低い確率と、何も考えてない挑戦は違う」
黒瀬は蓮を見た。
「その言葉を、結果が出なかったときにも言えるなら」
蓮は返事をしなかった。
言えるかどうかは、まだ分からない。分からないことを断言しないのも、二周目の大人たちから学んだことだった。
図書室で、美咲の計画と並べると、同じ学校の受験とは思えなかった。
美咲は難問への対応、得点の安定、時間短縮。蓮は基本と標準問題の回収。
「英語、手伝おうか」
「答えは教えないで」
「じゃあ何するの」
「単語テスト。あと、俺が文法を説明するから、変なところだけ聞いて」
「先生役は蓮?」
「説明できなかったら、分かってないってことだから」
毎週一度、互いの計画と実績だけを確認する。できなかった理由を責めず、予定と結果の差を見る。
「監視みたい」
「嫌?」
「一人で隠すよりはいい」
美咲は自分の手帳に、蓮は学習記録へ、同じ曜日に小さな丸を書いた。
進路希望票の第一志望欄に、蓮は琉星学院と書いた。
担任は内申と過去問得点を確認した。
「挑戦校だ」
「はい」
「私立は当日点を重く見るが、琉星だけに賭けるわけにはいかない。併願校と費用も考える」
「母さんと調べます」
「志望理由は?」
蓮は一度、美咲の名前を思い浮かべた。
消さなかった。ただ、用紙には書かなかった。
理系科目を深く学べる環境。県外大学への情報。失敗しても相談できる校風。そして、偏差値三十五だった自分が、選択肢を増やすために挑戦すること。
美咲は始まりの理由だった。
けれど、今の蓮には、自分の言葉で続ける理由があった。
夜の自習室で、蓮は完成した計画を神崎へ渡した。
神崎が赤ペンを上げる。
「修正箇所は――」
「答えじゃなく、穴を聞いて」
赤ペンが止まった。
神崎の輪郭が、一瞬だけ蛍光灯に溶けた。
「英語十四点を取れる証拠は?」
「確認テストをする」
「同じ問題でなくても取れるか?」
「一週間空けて、初見の問題で測る」
「計画が一週間遅れたら、何を削る?」
蓮は答えられなかった。
計画表に、週次修正欄を加えた。遅れた場合、難問演習を削り、基礎想起と過去問時間演習は残す。
四十二枚のカードを裏返す。
裏には、日付と行動が書かれていた。
英単語を百語テストする。
数学大問前半を時間内で満点にする。
理社の基礎を何も見ずに書く。
国語の設問条件へ印を付ける。
「四十二点は、願いじゃない」
蓮は最後のカードを伏せた。
「四十二個の仕事だ」
神崎は笑った。
窓ガラスには、蓮だけが映っていた。
神崎の赤ペン補講 過去問の42点差を、学習計画へ変える
一 合格最低点は保証点ではない
合格最低点は、その年度に合格した人の最低点である。問題難度、受験者、募集人数で変わる。過去の最低点ぴったりではなく、本番の変動やミスを考えた安全幅を加える。
二 過去問は採点後から始まる
点数だけで一喜一憂せず、失点の原因を分類する。知識不足、読み違い、時間不足、難度過剰、作業ミスでは、必要な対策が違う。
三 捨て問
現時点で時間をかけても得点可能性が低い問題を後回しにする。永久に学ばないという意味ではない。合格に必要な点と残り時間から、取り組む順序を決める。
四 得点を行動へ変える
「英語を十四点上げる」では実行できない。単語、文法、整序、長文前半などへ分け、教材、問題数、確認日を決める。
五 再現性
一度解いた問題で点が上がっても、本番の実力とは限らない。時間を空け、数字や文章が違う初見問題を、制限時間内で解けるか確認する。
六 計画は修正する
予定どおり進まないことを失敗と考えず、実績時間と定着度を基に週単位で修正する。削る項目の優先順位も、計画時に決めておく。




