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第18章 偏差値では見えない学校

 同じ偏差値表を見ながら、誰も同じ場所を見ていなかった。

 島袋拳は、国立高専の学科名を指で追っていた。

 比嘉凛は、家から通える学校だけを丸で囲んだ。

 金城奏太の母親は、県立最上位校の倍率をスマートフォンへ入力している。

 上原海斗の家族は、普通科と情報系学科を行ったり来たりしていた。

 伊波陽向は、学校名の横に付いた吹奏楽部の実績マークを見ていた。

 蓮の指は、琉星学院で止まった。

「数字は地図じゃ」

 神崎が巨大な一覧表の前で言った。

「目的地まで決めてはくれん」

 四月の蓮なら、表の中から美咲の行く学校を探した。

 今は、隣にいる生徒たちが、何を見ているかの方が気になった。

 拳が南星工業高等専門学校を見学したのは、その翌週だった。

 実習室には、旋盤、回路基板、制御用コンピューターが並んでいた。

 案内役の学生が小型ロボットを動かす。車輪の一つが途中で止まった。

「モーターじゃなくて、線じゃないですか」

 拳が言った。

 学生が機体を持ち上げる。

「どうして?」

「片方だけ急に止まったから。モーターなら、前から音変わると思う」

 学生がカバーを開くと、配線の一本が緩んでいた。

「当たり。君、こういうの好き?」

「壊れたままなのが気になるだけです」

 拳はいつもの答えをした。

 だが、声の温度が少し違った。

 見学の後半では、数学と英語の授業、実験レポート、寮生活の説明を受けた。

「機械だけ触っていればいい学校ではありません」

 在校生が言った。

「分かってます」

 拳は答えた。

 鞄の中には、使い始めた英単語帳が入っている。

 寮費、生活規則、長期休暇。家を離れることだけを理由に選べるほど、簡単な場所ではなかった。

「どうだった」

 知念に聞かれ、拳はすぐには志望校と言わなかった。

「過去問、一回解く。時間測って」

 見るだけ、から一歩だけ進んだ。

 凛が県立高校の相談ブースで最初に尋ねたのは、大学進学実績ではなかった。

「最終バスに間に合わない補習はありますか」

 担当者が資料をめくる。

「全員参加の補習は、通常この時間までです。希望制の講座は遅くなる日があります」

「家庭の都合で、放課後残れない日があります」

「担任と相談できます。全部免除になるとは言えませんが、事情を聞かずに欠席扱いへはしません」

「相談室は、予約がいりますか」

「緊急なら直接来て構いません。普段は予約が確実です」

「アルバイトは」

「届出制です。成績や生活状況も確認します」

 凛は必要なことだけ話した。

 妹の年齢も、親の帰宅時刻も、家の事情全部を差し出す必要はなかった。

 支援のある学校を選ぶことは、弱い人間の選択ではない。

 三年間、通い続けるための条件を調べているだけだった。

 海斗は県立の情報・工業系学科で、三人の生徒が一台のコンピューターを囲む授業を見た。

 一人がコードを書き、一人が配線を確かめ、一人が発表用の図を作る。

 海斗は廊下から、授業が終わるまで見ていた。

「質問ある?」

 母親が聞く。

 海斗は家族で作った紙を開いた。

「情報系の大学へ行きたくなったら、数学と英語はどこまで選べますか」

「進学希望者向けの科目があります。普通科と同じではないので、希望大学の受験科目は早めに確認してください」

「途中で興味が変わったら?」

「普通科への転科を簡単にできる仕組みではありません。ただ、専門外の大学や就職へ進む卒業生もいます。担任と進路担当が相談します」

 父親は通学時間を、母親は費用を聞いた。

 海斗は授業を聞いた。

 帰り道、比較表の情報系学科を、一番上へ移した。

「決めたの?」

 蓮が聞く。

「まだ。普通科も見る」

「どっちでもいい、じゃなくなったな」

「迷うの、面倒だね」

「選ぶって、そういうもんらしい」

 神崎が鼻を鳴らした。

「人の言葉で偉そうに」

「聞こえてるぞ」

 陽向は、吹奏楽強豪校の演奏が始まると、質問票を閉じた。

 音が揃っていた。

 金管の響きが体育館の床から上がり、木管の細い旋律を押し上げる。クラリネットを吹く生徒の指を、陽向は目で追った。

「ここ、行きたい」

 演奏が終わる前に、小さく言った。

 けれど説明会では、蓮たちが考えていたより重い現実も出た。

 練習は週六日。

 大会や地域行事の時期には延長。

 受験学年の活動終了も、生徒の役割や大会によって遅くなる。

 高校でも、進学希望者が自分で学習時間を作る必要がある。

「文武両道です」

 顧問は言った。

「ただ、両方を選ぶなら、両方の時間が必要です。部活をしていることが、勉強しない理由にはなりません。反対に、受験だけを理由に、大切な演奏を簡単に捨てろとも私は言いません」

 悪い教師ではなかった。

 演奏も、仲間も、責任も本気で大切にしている。

 だからこそ、部活を続ける選択には、本当に時間がかかった。

「十二月までやる子もいるんですか」

 陽向が聞く。

「います。全員ではありません」

「夏休みの練習は?」

「多いです」

 陽向は、八月模試の百五十六点を思い出していた。

 定期テストは四百六十二点。学校の過去問を繰り返し、範囲内なら取れた。

 初見問題では、偏差値四十九。

 夏を部活だけに使えば、学校の点は守れても、入試の実力は増えない。

「辞める?」

 蓮が聞いた。

「辞めない」

 陽向はすぐ答えた。

「でも、全部もやらない」

 朝は英単語の検索練習。

 移動中は理社。

 練習のない曜日に初見問題。

 学校の過去問だけで安心しない。

 参加する行事と、外す行事を顧問へ相談する。

 両立とは、全部を抱える立派さではなかった。

 何を守り、何を捨てるか決めることだった。

 上位県立高校の相談ブースでは、奏太の母親が質問していた。

「選抜クラスは何年生からですか」

「大学別補習は」

「指定校推薦の校内基準は」

「家庭学習は一日何時間を想定しますか」

 担当者が奏太へ顔を向けた。

「本人から聞きたいことはありますか」

「この子は、自己管理がまだ苦手で――」

「お母さん」

 奏太が言った。

 母親の声が止まった。

 奏太は質問票を見た。母親が作った十二の質問とは別に、自分の一行を書いていた。

「宿題の順番は、自分で決めますか」

 担当者は少し驚いた。

「中学校より、自分で決める場面は増えます。期限はありますが、毎日の順番まで先生が決めることはありません」

「できなかったら?」

「相談はできます。でも、最後は自分で管理する必要があります」

 奏太の母親の指が、予定表の端を強く押さえた。

 奏太は志望校を変えなかった。

 ただ、自分がその学校へ持っていかなければならない力を、初めて一つ知った。

 琉星学院の校舎は、蓮が想像していたより静かだった。

 廊下に貼られた県外大学の合格実績。

 特待制度の説明。

 中高一貫生と高校入学生のコース表。

 公開授業では、先生の問いへ答えるまでの時間が短い。生徒は次の問題へ移るのも速かった。

 自分だけが、少し遅れて歩いている気がした。

「怖じ気づいたか」

 神崎が言う。

「少し」

「正常じゃ。百点だったお前が、何も感じず来られる方が怖い」

 説明会では、国語・数学・英語の三教科(各百点)の当日点、特待、授業進度、課題量、補習、習熟度別クラスについて説明があった。

 低い内申でも当日点で挑戦できる。

 それは蓮にとって入口だった。

 同時に、入学後は速い授業と多い課題が待っている。

 合格が、そのまま適応を保証する学校ではない。

 会場の前方に、美咲がいた。

 母親と黒瀬も一緒だった。

 蓮は立ち上がりかけ、座り直した。

「行かんのか」

「今は」

 美咲は自分の質問票を開いていた。

 質疑応答の最後に手を挙げる。

「入学した後、一度、成績が大きく落ちた生徒はどうなりますか」

 会場が少し静かになった。

 学校側の担当者は、きれいな言葉だけでは答えなかった。

「補習、面談、学習計画の見直しがあります。コース変更を提案する場合もあります。学校内の支援で難しい場合は、転学や転校を含めて本人、保護者と相談することもあります」

「全員、追いつけますか」

「全員が同じ速度で進めるとは言えません。助けを求めること、早く相談することが必要です。学校側も、成績だけでなく欠席や生活の変化を見るようにしています。ただ、支援があれば絶対に問題が起きないとは約束できません」

 黒瀬が美咲へ顔を寄せた。

「美咲さんなら、そこまで心配しなくても――」

「私のことではなく」

 美咲は黒瀬を見た。

「制度として聞いています」

 声は震えていなかった。

 蓮へ向けた言葉でもない。

 自分の未来について、自分が必要なことを聞いている。

 蓮は、それを見ていた。

 助けるために近づかないことが、こんなに難しいとは思わなかった。

 説明会の後、蓮は空き教室の机で進路希望票を裏返した。

 美咲と距離を置いた頃に作った、三つの欄。

 美咲がいなくても勉強する理由には、「まだ分からない」と書いてあった。

 その下へ、五つ書いた。

 一、内申だけで過去を固定されず、国語・数学・英語の三教科(各百点)の当日点で挑戦できる。

 二、自分よりできる人間の中で、どこまで伸びるか試したい。

 三、県外大学を含め、今は知らない選択肢を持ちたい。

 四、家計、特待、通学を母と隠さず話す。

 五、美咲がいなくても、琉星学院を受ける。

 美咲と同じ高校へ行きたい。

 その気持ちは消さなかった。嘘ではないからだ。

 ただ、それだけではなくなった。

 蓮は紙を神崎へ見せた。

 神崎は点数をつけなかった。

「それなら、次は何をする」

「秋の模試で百六十五点。偏差値五十」

「内訳は」

「英語と数学の基礎を八割。理社は一問一答の想起を七割五分。国語は説明文で根拠線と時間配分」

「誰が計画を作る」

「俺」

「ワシは?」

「間違ってないか見るだけ」

 神崎は口の端を上げた。

「厳しく見るぞ」

「それは知ってる」

 校門を出ると、美咲が先を歩いていた。

 一度だけ、振り返った。

 蓮と目が合った。

 話しかけなかった。

 美咲も立ち止まらなかった。

「怖いか」

 神崎が聞いた。

「うん」

「追わんのか」

「今は、あいつが決める時間だろ」

 蓮は反対側のバス停へ歩いた。

 同じ高校を目指すことと、同じ未来を選ぶことは、もう同じ意味ではなかった。


神崎の赤ペン補講

第18回 良い高校ではなく、自分に合う高校を調べろ

一 偏差値が示すもの、示さないもの

偏差値は、同じ試験を受けた集団の中での位置を示し、現在の学力や合格可能性を考える材料になります。

学校の校風、本人との相性、支援の質、三年間の幸福を保証する数字ではありません。

二 学校見学で確認する六項目

・授業内容と進度

・課題、補習、家庭学習

・校風、部活動、生徒の様子

・通学時間と費用

・卒業後の進路

・困ったときの支援と選び直し

パンフレットを読むだけでなく、実際の通学経路、授業、施設、生徒の様子も確認してください。

三 順調な生徒だけを見ない

合格実績だけでなく、入学後に成績が落ちた生徒、欠席が増えた生徒、進路を変えた生徒へ、どのような支援があるかを質問します。

支援制度が存在することと、本人が使いやすいことは別です。

四 部活動の「両立」を具体化する

活動日、終了時刻、引退時期、休日、遠征、大会を確認します。

両立を根性の問題にせず、実際に残る学習時間を計算してください。続ける活動と減らす活動を決める必要があります。

五 調査の役割を分ける

本人は、学びたい内容と校風。

保護者は、費用、安全、生活。

学校と塾は、制度、入試、学習状況。

誰か一人が全部決めるのではなく、情報を持ち寄って選びます。

三分課題

学校説明会で聞く質問を三つ作ってください。

一、順調に学べている場合について

二、成績が落ちた場合について

三、進路を変えたい場合について

保護者の方へ

学校の長所だけでなく、子どもが困ったときに何が起こるかを確認してください。

支援があるかだけでなく、本人が相談しやすい仕組みか、途中で進路を変える余地があるかも重要です。

神崎の一言

「上だけ見て学校を選ぶな。転んだとき、どこへ手をつけるかも見てこい」


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