第39話 すれ違う二人
「……お兄ちゃん、いくらなんでもそれはやりすぎだよ!」
ひだまりが差し込む秘密基地の離れ。静かだった空間に、お兄ちゃんを責める、切ない声が響いた。
事の発端は、私のSNSに届いた一通のダイレクトメッセージだった。「猫耳同好会の活動について取材させてほしい」という海外ファッション誌からの依頼。社交界デビューも成功し、評価2位を東条家の長老たちにも認めさせた私にとって、自分の世界をさらに広げる大きなチャンスだと思ったのだ。
だが、妹の安全を第一に考えるお兄ちゃんは、私に相談することなく、その取材依頼を独断でシャットアウト。さらには相手メディアの身元審査という名目で、相手企業のサーバーにまでアクセスを試みていたのだ。
「相手のセキュリティ対策が甘すぎたんだ。怪しいバックボーンがないかを確認するのは当然だろう?詩織を危険にさらすわけにはいかない」
ノートパソコンを開いたまま、淡々と事実を口にするお兄ちゃん。
いつもなら「お兄ちゃん、ありがとう」と身を寄せるはずの私だったが、今回ばかりは拳をキュッと握りしめ、首を横に振った。
「怪しいかどうか、危ないかどうか……そうする前に、どうして私に一言も相談してくれなかったの?」
「相談したって、君は人が良すぎるから押し切られるのが目に見える。君を守るのが僕の役目だ」
「守るってなに……!?」
私の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
「私はね、お兄ちゃんやみんなに守ってもらうだけの『可哀そうな妹』のままじゃ嫌なの!猫耳をつけて、自分の足で立って、自分の言葉でたくさんの人と繋がりたかったの!お兄ちゃんが私にやってることは……保護じゃなくて、ただの束縛なの!」
「詩織……」
言い捨てると、頭の猫耳カチューシャをぎゅっと直して、離れを飛び出した。
いつも妹の味方であり続けた樹が、生まれて初めて詩織から明確に拒絶されたのだ。
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(お兄ちゃん視点)
その夜。
「……ハァ……」
離れの書斎で、樹は暗いパソコン画面を前に、深いため息をついていた。妹を傷つけた罪悪感と、自分の『守り方』が間違っていたのではないかという葛藤が、優秀なエンジニアである樹の頭を激しく乱していた。
そこへ、コンコンとドアを叩く音がした。入ってきたのは、温かい緑茶が乗ったお盆を持った雪乃だった。
「樹さん。詩織ちゃん、今晩は春日さんの実家にお泊りさせてもらうって。麗華さんや紫苑様も心配して連絡をくれたわよ」
「……僕は、ただあの子を守りたかっただけなんだ。あんなに傷つけるつもりじゃ……」
頭を抱える夫の隣に、雪乃は優しく寄り添った。
「樹さん。詩織ちゃんはもう、あなたの後ろに隠れて泣いていた昔の小さな女の子じゃないのよ。あなたが作ってくれた『安全な世界』から一歩踏み出して、自分の言葉でたくさんの人を魅了する『東条詩織』になったの」
雪乃は、樹の肩にそっと手を置いた。
「守ることと、信じて背中を押すことは違うわ。樹さんなら、どっちが本当の『お兄ちゃん』か、分かっているでしょう?」
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翌日の夕方
琴音さんの実家の和菓子店の裏手にある小さな公園。ベンチにぽつりと座り、ボーっと夕日を見つめていた私の前に、長い影が伸びた。
見上げると、そこには少し目を赤くしたお兄ちゃんが立っていた。
「……詩織」
「お兄ちゃん……」
お兄ちゃんは私の隣に静かに腰掛けると、ポケットから一枚の紙を取り出した。それは、昨日の海外メディアをお兄ちゃん視点で丁寧に紹介する説明文と『取材時の安全ガイドライン』だった。
「ごめんね、詩織。……僕の判断で、君の翼を折ろうとしていた。君が自分の足で立とうとしているのに、いつまでも『守るべき妹』としてしか見ていなかったのは、僕の勝手な我儘だったんだと思う」
お兄ちゃんはまっすぐに私の目を見て言った。
「取材の件、相手の身元は完璧だったよ。……君が受けたいなら、全力でサポートする。影からコソコソとハッキングするんじゃなくて、君のマネージャーとして、堂々と隣で見守らせてほしい」
お兄ちゃんの真摯な言葉と、少し照れくさそうな笑顔。胸の奥にあった頑なな氷が、すーっと解けていくのを感じた。
「……私の方こそ、ひどいことを言ってごめんなさい。お兄ちゃんを遠ざけたいわけじゃないの。お兄ちゃんに誇ってもらえるような自分になりたかっただけなの」
「分かってる。……君はもう、僕の自慢の妹だよ」と言って、優しく頭をなでる。
雨降って地固まる。
ただ守られるだけの存在から、対等な信頼で結ばれた兄と妹へ。
二人の絆は、この小さな喧嘩を経て、より一層強固で温かいものへと進化を遂げたのだった。




