第28話 紳士協定
「……で、西園寺グループの次期総帥が、僕に何の用かな?」
『秘密基地』の庭を望む離れの書斎。
ノートPCの画面から目を離さず、カタカタとキーボードを叩く東条 樹の前に、西園寺 蓮は静かに話かけた。
パーティーでの一目惚れ以来、熱烈なアプローチを続ける御曹司と、妹をあらゆる脅威から守り続けてきた東条の鬼才と呼ばれる優秀なエンジニア。社交界を揺るがす二人の男が、初めてサシで向き合っていた。
「単刀直入に申し上げます。私は、詩織様との将来を真剣に考えております。東条殿……お兄様として、私を認めていただきたい」
蓮のまっすぐな視線と覚悟のこもった言葉にも、樹のブラインドタッチの手は止まらない。
「認めるとか以前の問題として、西園寺さん。君は詩織の『本当の姿』をどれだけ理解している?」
樹は静かに画面を閉じ、冷徹なまでのエンジニアの瞳で蓮を射抜いた。
「彼女は今でこそ社交界やメディアで持てはやされているけれど、根は極度の人見知りで、大人しいインドア派だ。きらびやかなパーティーよりも、ここで仲間たちとお茶をのみながら、猫耳カチューシャをつけて『ゆるゆる』過ごす時間を大切にしている」
樹は身を乗り出して、低く静かな声で言葉を重ねた。
「君のような旧財閥の重圧や、家柄に縛られた『完璧な令嬢』を求められる世界に詩織を連れ去るつもりなら、……僕は全力で君を排除する。わが社のセキュリティネットワークを駆使すれば、西園寺グループの株価を少し揺らすくらいは造作もないことだ」
隠しきれない妹への保護欲と、圧倒的な実力行使の脅迫。
だが、蓮はひるむどころか、薄く笑みを浮かべた。
「誤解しないでいただきたい、東条殿」
蓮は胸ポケットから、丁寧に折りたたまれた1枚のメモを取り出した。そこには、詩織が企画した『ねこみ練り切り』のマーケティング案が、彼女の柔らかい字でびっしりと書かれていた。
「私が惚れたのは、東条家の令嬢という肩書ではありません。自分の弱さを認め、大好きな『猫耳のお守り』を胸に抱いて、周囲を優しい笑顔に変えていく……彼女の『芯の強さ』です」
蓮は真摯な瞳で、樹を見つめ返した。
「彼女の『ゆるゆる』な日常を奪うつもりなど毛頭ありません。むしろ、彼女がどこにいてもその笑顔を保てるよう、西園寺の全力を以て彼女の『盾』となりたいのです」
一瞬の静寂が、書斎を包み込む。
樹はしばらく蓮の顔をじっと見つめていたが、やがて呆れたように深いため息をつき、再びPCを開いた。
「……ハッキングの仕込み、キャンセルしておいたよ」
「……それは感謝します」
「勘違いしないでくれよ。合格点を出したわけじゃない。……ただ、妹を見る目の『解像度』は、そこらの有象無象よりはマシみたいだ」
樹の言葉に、蓮はふっと表情を緩めた。
「お兄ちゃん、西園寺さん!お茶淹れたよ~」
そこに湯呑みを乗せた詩織が、猫耳をぴこぴこと揺らしながらひょっこり顔を出した。ついさっきまでの緊張した空気など露知らず、いつも通りののんきな笑顔だ。
「ああ、今行くよ、詩織」
「感謝します、詩織様」
立ち上がった二人の男は、一瞬だけ視線を交わした。妹の笑顔を守る男と、その笑顔に魅せられた男。言葉のない男同士の紳士協定が、静かに結ばれた瞬間だった。




