第二十二章 十人目
どれくらい、そうしていただろう。
灰色の荒野の真ん中で、一行は、動けずにいた。悟は、膝をついたまま。真尋は、その隣で。ハチも、リュウも、うなだれていた。
そのとき、ずっと黙っていた沼田が、口を開いた。
「……この道はな」と、沼田は言った。低く、かすれた声だった。「おれは、前にも通ったことがある」
真尋は、顔を上げた。
「え?」
「一度じゃない」と、沼田は言った。「何度も、だ。……この巡礼に挑んだ者を、おれは、これまで、何人も見送ってきた」
真尋は、息をのんだ。
「あんたたちは、知らないだろうが」と、沼田は続けた。「西の果てに、真贋を見分ける鍵がある、という話。あれを信じて旅立った者は、あんたがはじめてじゃないんだ。……これまでに、九人、いた」
「九人……」と、真尋はつぶやいた。
「みんな、死んだ」と、沼田は言った。「一人残らず。ある者は、化けものに喰われた。ある者は、絶望して、自ら命を絶った。ある者は、この喰われた荒野で、抜け殻になった。……おれは、そのぜんぶを見てきた。九人の巡礼者が、倒れていくのを」
真尋は、言葉を失った。
そういえば、と、真尋は思い出した。はじめて沼田と会ったとき。沼田は言った。あんたで、何人目なのか、と。あれは、そういう意味だったのだ。
「じゃあ、わたしは」と、真尋はかすれた声で言った。
「ああ」と、沼田はうなずいた。「あんたで、十人目だ」
一行に、重い沈黙が落ちた。
九人が死んだ、同じ道を、自分は、いま歩いている。そして、自分も十人目として、同じように倒れるのかもしれない。……その事実は、すでに絶望に沈んでいた真尋の心を、さらに深く凍りつかせた。
けれど、沼田の話は、それで終わりではなかった。
沼田は、懐から、一枚の古い写真を取り出した。真尋が、旅の初めから、幾度か目にしていた、あの色あせた写真だった。
「この九人のうちに」と、沼田は、その写真を見つめて言った。「おれの、大切な人がいた」
沼田の声が、かすかに震えた。あの、いつも無表情だった男の声が。
「その人は」と、沼田は言った。「九番目の巡礼者だった。……つまり、あんたのすぐ前の人だ。やさしくて、強くて。この壊れた世界を、本気でなんとかしたいと願っていた。……おれは、その人と一緒に、西を目指した」
「けど、その人は」と、沼田は言った。「西へたどり着く、ずっと手前で、死んだ」
真尋は、じっと聞いていた。
「旅の途中でな」と、沼田は続けた。「その人は、ある化けものに出くわした。人の姿をした、化けもの。……本物か、偽物か、見分けがつかなかった。だから、その人は、いちばん信頼できる鑑定士に頼んだんだ。これは、本物の味方か。それとも、偽物か。……見分けてくれ、と」
真尋の心臓が、いやな鼓動を打ちはじめた。
まさか。
「その鑑定士は」と、沼田は言った。まっすぐに、真尋を見て。「本物だ、と言った。この人は、信じていい、と。……その言葉を信じて、その人は、化けものを味方だと思って、そばに置いた。……そして、殺された。その化けものに」
真尋の目の前が、真っ暗になった。
その話を、真尋は知っていた。ほかでもない。それは、真尋が犯した、あの、たった一つのまちがい、だった。
「……嘘」と、真尋はかすれた声で言った。「まさか。その、鑑定士って」
「あんただよ、真尋さん」と、沼田は静かに言った。
真尋は、その場にくずおれた。
自分が、あの日、自分のまちがいで死なせた、あの人。名前も、顔も、知らないままだった、あの人。……それが、沼田の、大切な人だったのだ。そして、その人は、この同じ巡礼に挑んだ、九番目の三蔵だった。
真尋は、震える手で、口を押さえた。吐き気がこみ上げた。
「わたし……わたしが……」と、真尋は言った。言葉にならなかった。「ごめんなさい……沼田さん……わたし、知らなくて……知らずに、あなたと、ずっと……」
沼田は、真尋のその姿を、じっと見ていた。その目に、怒りはなかった。ただ、深い、深い悲しみだけがあった。
「知ってたよ」と、沼田は言った。
真尋は、はっと顔を上げた。
「あんたが、あの鑑定士だってことは」と、沼田は言った。「最初から、知ってた。音羽さんが、十人目の巡礼者として、あんたを選んだ、と聞いたときから。……おれは、あんたと旅を続けるかどうか、ずいぶん迷った」
「どうして」と、真尋は震える声で言った。「どうして、何も言わずに……わたしを、恨んでいたでしょう。憎んでいたでしょう。それなのに、なぜ、ずっと、そばに」
沼田は、しばらく黙っていた。
「……最初は、恨んだよ」と、沼田は言った。「あんたを憎んだ。何度も、問い詰めてやろうと思った。……でもな。あんたと旅をするうちに、分かったんだ。あんたが、あの日のことを、ずっと背負って生きてきたってことが。おれが、あの人を失って苦しんだのと、同じくらい。いや、それ以上に。あんたも、苦しんできたんだ、ってことが」
沼田の目にも、涙がにじんでいた。
「それに、憎むには」と、沼田は言った。「あんたは、あまりにも、あの人が生きていたら、こうあってほしいと願ったとおりの、人だった。……皮肉なもんさ。あんたを憎もうとするたびに、おれは、あの人のことを思い出しちまう。あんたが、誰かのために必死になるたびに。……ああ、あの人も、こういう人だった、と」
真尋は、涙を流しながら、沼田を見つめた。
「だから、おれは」と、沼田は言った。「あんたに、この巡礼を、成し遂げてほしかった。九人が。あの人が。死んでも、たどり着けなかった、その先へ。あんたに、行ってほしかった。……そうすれば。あの人の死も、無駄じゃなかったと。……そう思える気が、したんだ」
灰色の風が、二人のあいだを、吹き抜けていった。
真尋は、地に手をついたまま、しばらく、動けなかった。あまりに大きすぎて、受け止めきれない事実だった。自分が死なせた人。その人を愛していた男と、自分は、知らずに、何か月も、旅をしてきた。そして、その男は、恨みを飲み込んで、自分を、守りつづけてくれていた。
「……あの人は」と、真尋は、やっと、声を絞り出した。「どんな、人でしたか」
沼田は、少しだけ、目を細めた。それは、涙のにじんだ、けれど、どこか、あたたかい表情だった。
「あんたに、よく似てたよ」と、沼田は言った。「まっすぐで。お人よしで。……人を、信じすぎるところまで、そっくりだ」
沼田は、その古い写真を、そっと真尋のほうに向けた。写真の中で、一人の女性が、はにかむように笑っていた。その笑顔は、たしかに、どこか、真尋に似ていた。
その言葉は、真尋の胸を、鋭く、そして、不思議とやさしく、貫いた。
なぜ、九人もの人間が、死んでいく、この巡礼に。音羽は、なおも、人を送りつづけるのか。その、あまりにも、むごい問いが。真尋の心の隅で、小さく、頭をもたげた。けれど、いまは、それを、考えるだけの力が、なかった。
ただ一つ、真尋の中で、確かに、なったことが、あった。
自分は、もう、ここで、倒れるわけには、いかない。九人の死を。沼田の、失った人を。そして、自分が犯した、あの罪を。すべて、背負って。その果てまで、行かなければならない。それが、いまの真尋に、できる、たった一つの、償いだった。
どん底は、まだ、続いていた。それでも、真尋の目には、かすかな、けれど、消えない光が、宿りはじめていた。九人の誰も、たどり着けなかった場所へ。十人目の自分が、行くために。




