第02話 織田家の女王様
「市……。座れ」
熱田へ遊びに行こうと思った矢先、信長から呼び出しがかかった。
そのせいで、私はどうにもご機嫌がよろしくない。
「さっきから座ってるじゃん?」
評定の間、畳が一段高い上座の信長を前に、唇を尖らせながらあぐらをかいて座っていた。
「ちゃんと正座で座れ! 丸見えではないか!」
難点を挙げるなら、信長の言う通り。
浴衣であぐらをかいているため、正面の信長には乙女の秘密が丸見えだ。
それも仕方ない。
戦国時代の女の下着、腰巻きはただ長い布を腰に巻くだけなのだから。
「ん? 兄妹じゃん? 私は気にしないよ?」
「俺が気にするんだ! 妹のなんか見たくないわ!」
「なんか、だなんて酷くない?
こんな美少女の、だよ? ありがたいと思って?」
以前、褌を試してみたこともあるが、やはりあれは男の下着といえる。
女には収まるものがなく、大事なところに自然と食い込んでしまう。
穿き心地もよろしくないのだ。
「はぁ……。はぁ……。」
ふと荒い息遣いが聞こえた。
何だろうと思い、顔を右に向ける。
正座する柴田勝家が、倒れる寸前まで体を横に傾け、必死にこちらを覗こうとしていた。
「勝家えええええっ!」
「うっさいなー……。藤吉郎!」
信長の怒号が飛んだ。
私は舌打ちと溜息をひとつつき、腰を上げた。
「ははっ! どうぞ!」
廊下に控えていた木下藤吉郎が、私の呼び声に応えて素早く現れる。
そして、私の前で四つん這いになった。
「んっ」
背に腰を下ろし、足を優雅に組む。
「はぁ……。はぁ……。
お市様がおらの背中にっ……。」
「おのれっ……。猿め!」
「……もう、それでいい」
信長は顔を右手で覆い、深く溜息をついた。
******
「俺も衆道を嗜む。
だから、お前が女に手を出すのは文句言わん」
信長が何度も叫ぶものだから、評定の間に人が集まってきた。
みんなの前で吊し上げなんて、私はよくないと思う。
「だがな、人の女房に手を出すな!」
信長は右拳で畳を思いっきり叩いた。
お尻の下の藤吉郎がビクッと震えた。
「不倫は文化って説があるよ?」
「ない!」
座り心地が悪い。
私は藤吉郎の尻をペチリと叩く。
藤吉郎は『うきぃっ!』と悲鳴をあげ、力を抜いた。
ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえた。
右隣を見れば、柴田勝家が勝手に四つん這いになっていた。
「別に良いじゃん?
女同士なんだし、子どもができるわけじゃないし」
「ない! ない、ない、ない! 絶対良くない!」
期待に満ちた眼差しを受け、私はプイッと顔を背けた。
すると、荒々しい息遣いが耳に届く。
このヒゲモジャ親父、忠実なのはいいけれど、キモくても困る。
「……というか、誰のこと?
心当たりがありすぎて、わからないよ」
信長も大変だな、と同情しつつ、私は肩を竦めた。
「お、お前というやつは……。
あ、熱田でさんざん騒ぎを起こしておいて……。」
やはりキワモノ家臣が多く、ストレスが多いのだろう。
信長は胃をさするように右手を胸に当て、顔を引きつらせた。
「あれ、凄かったね。
どうして、旦那さん同士で刃傷沙汰になったんだろ?」
「お前だ! お前が原因だろうがっ!」
「えーー?
私は寂しいって言うから、慰めただけだよ。
むしろ、その旦那さんを徴兵して、なかなか帰さなかった兄上のせいじゃない?」
だからと言って、八つ当たりは困ってしまう。
私は唇を尖らせて反論した。
「くっ……。犬、言ってやれ! 俺が許す!」
今日も勝者は、やっぱり可愛いお市ちゃん。
信長は敗北を認め、話題そのものを他者に丸投げした
「お市様、お願いです!
松とは別れてください! 二度と会わないでください!」
前に進み出た前田利家は、額を畳に擦り付け、必死に土下座した。
「ああ、お松ちゃんか」
「返事は!」
なるほど、ようやく合点がいった。
私と同い年でありながら、ロリコンの前田利家の奥さん『松』は、私がとても懇意にしている中の一人だった。
しかも、すでに一児の母。
実にけしからん。
「でもさー、最初に誘ったのは私だけど……。
今、誘ってくるのはお松ちゃんのほうからでしょ?」
「ぐふっ……。」
「だから、断れと言っているんだ!」
だが、私は可愛い女の子の味方だ。
松が幸せなら、それを大歓迎する。
その幸せな姿を愛でるのも、私の楽しみの一つだ。
「だけどさー、可哀想じゃない? ずいぶん悩んでいたんだよ?」
「何がだ!」
ところが、松は幸せに見えなかった。
戦場では長槍を好み、『槍の又左』の異名を持つ前田利家。
信長の親衛隊として活躍し、敵中を縦横無尽に駆け巡る剛勇ぶりを見せる。
「前田殿……。早いんだって?」
「ぐぐふっ!?」
「ちょっ!? お、お前っ!?」
「しかも、一回で満足して……。すぐ寝ちゃうんだって?」
「ぐふはっ!?」
「市、もう何も言うな! 犬、俺が悪かった!」
しかし、どうやら夜の槍はナマクラらしい。
松は、自分が悪いのかと悩み、自分自身を責めていた。
だから、違うよと、私はただ慰めてあげただけだ。
その後、松は女の喜びを少しずつ知り、今では私を積極的に求めてくるようになった。
「お松ちゃん、一人でシテたんだよね。だから……。」
「うわあああああああああっ!?」
「犬ううううううううううっ!?」
突如、前田利家が吠えた。
そのまま評定の間を飛び出し、廊下を駆け抜けていく。
また勝った。敗北を知りたい。
土下座していた場所は、涙で濡れていた。
思わず私は吹き出した。
「ぷっ!? これが本当の負け犬?」
「市いいいいいいいいいいっ!
謹慎だ! しばらく部屋で反省しろ!」
「えーーー……。酷くない?」
「ない!」
私は勝者なのに、理不尽な仕打ち。
やっぱり、信長は暴君だ。
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傷心の前田利家の出奔らしい。
だから、夫が突然居なくなって寂しがっている松を、私は慰めてあげた。




