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24【脱出】

 

 俺は、シドを追って二階へとやってきた。彼を探してフロアを彷徨っていると、突然頭上で何かが割れる、けたたましい音が二発続いた。見上げると、ガラスの破片混じりの液体が降りかかってきた。甘ったるい匂い――くらりと目の前が歪む。この感覚には覚えがある。俺の自由を奪い陵辱した彼奴の小道具だ。


「もろに食らいやがったな、タコ野郎! もう一度ぶち犯してやろうか!?」


 現れたのはやはりアハルテケだった。あの時と同じだ。薬のせいか、身体の力が抜けていく。立っていられない。動きの鈍る俺の胴体めがけて、数発の銀の弾丸が撃ち込まれる。


「***!!」


 あまりの威力に肉片が飛沫(しぶき)となった。


「思えば、最初から何かがおかしかったんだ……。お前がこの船に来てから碌なことが起きねぇ。疫病神が。俺が成敗してやる」


 アハルテケが俺に向かい、ありったけの弾丸を撃ち込んだ。命中した弾丸が、軌道上の体内組織をぶちぶちと破壊していく音が耳を揺する。


「俺がこの船を守るんだ! 死ね! 死ねぇ!!」


 ――堪らずその場に蹲る。無数の弾丸が撃ち込まれた身体は、あちこち穴だらけだ。傷口から緑色の体液が漏れ出していた。

 弾を撃ち尽くしたアハルテケは、俺の様子を見て勝利を確信していた。


「ざまぁ無いな。……そうだ、首。首を刈り取って船長にやんなきゃな……」


 蹲る俺の元へ、ナイフを取り出したアハルテケが歩み寄る。その瞬間を見逃さなかった。


「……あ?」


 彼は、俺の傷が塞がっているのを見て素っ頓狂な声を上げた。見誤ったのだ。この姿では、ヒトの姿よりも圧倒的に身体の修復が早い。弾丸の傷はおろか薬の効力などあっという間になくなる。俺が動けないと油断したアハルテケの頭を掴み、壁に叩きつける。壁が破壊される音に混じって、鈍い音が聞こえた。

 瓦礫の中に埋もれるように崩れ落ちるアハルテケ。俺を睨みつける生意気な目も、最早怖くない。その目に光が宿らなくなるまで、殴りつけようと決めた。一発、側頭部を殴ると、それだけで彼は動かなくなった。

 なんだ、つまらない。気が済むまでもう数発殴ってやろうと腕を振りかぶった時だった。

 どこからか響いた叫び声が俺を制止する。


「やめてくれ、アイザック!」


 ――音源に向かって振り向く。叫び声の主は、エンブラントだった。そういえば、食堂が近い。大きな音を聞いて駆けつけたのだろうか。


「俺が代わりに謝る。もう許してやってくれ!」


 駆け寄ったエンブラントが、アハルテケを守るように割って入った。血を流し憔悴したアハルテケを抱きかかえながら、俺に向かって必死に頭を下げた。その身体は小刻みに震えている。


「……頼む。俺にとって、大事な家族なんだ。頼むよ……」


 俺は、振りかぶった手をそのままに、立ちすくんだ。途端に頭が冷えていく。

 ――しかしこの男の精神の、なんと美しいことだろう――

 エンブラントの作る飯は最高だ。食べたヒトを、笑顔にする力がある。それは簡単なことではない。それに、年長者として周囲を導くその姿は、手放しで尊敬している。一言で言うと、良い奴なのだ。

 そんな彼から恐怖の眼差しを向けられ、胸が締め付けられる。今朝も、たわいも無い会話を交わした男が。それを思い出すだけで身体が冷え切っていくような思いだった。

 シドが憎いのは事実だが、実を言うと、ここまでするつもりは無かったのだ。怒りで我を忘れていた。だから、エンブラントに頭を下げられて、ようやく事態の大きさに気が付いた。

 もう、自分が何をしたいのか分からない。

 強く握りしめた手に、爪が突き刺さる。

 俺は、リュウを探していただけだった。彼と、幸せになりたいだけだった。

 それが今やどうだ?

 過ぎた殺人を犯し、エンブラントのような善人から畏怖され恐怖の眼差しを向けられている。

 こんなことがしたかった訳ではない!

 呆然としていると、バタバタと大勢の足音が近づいてきた。海賊達が、俺を殺そうと探し回っている。


「居たぞ! 化け物!」


 あぁ、最悪のタイミングと構図だ。アハルテケをかばうエンブラントを攻撃しようとしている図に見えてしまうではないか。――案の定、海賊達はこの光景を見て、激昂した。震える足を諫め、堰を切ったように俺に向かってくる。

 皆、見知った奴らだった。一緒に飯を食った奴ばかりだ。彼らの仲間に迎えられたつもりでいた。

 今や、そいつらが、俺を敵視し殺そうとしている。

 

 その瞬間、感じた。――俺はいつだって孤独だ。


 誰も俺の事など構いやしない。正しく生きようとしただけなのに。

 そんなに憎いか。そんなに俺の眼が欲しいか。そんなに俺は憎いか。

 

 冷え切った心が壊れていく。

 

 その弱り切った心に、どす黒い思考が濁りとなって流れ込み、気付けば、その考えは元から頭の中にあったような傲慢さで、沈殿した。

 ――全員殺して、浄化しろ――

 

「お前達、来るな! 今すぐ逃げろ!」


 逼迫したエンブラントの叫びは、頭に血が上った彼らには届かなかった。

 身体が勝手に動く。俺は、血に塗れたトライデントを振るい、次々と船員達を薙ぎ倒して、突き殺していった。悲痛な叫び。やがて静かな血だまりとなったそこには、身を小さくかがめたエンブラントと男達の亡骸が散乱していた。


「…………化け物」


 エンブラントが、蒼白になりながら声を震わせた。

 それを聞くと、いてもたっても居られなくて、俺はその場から逃げ出した。心臓が激しく脈打つ。高揚しているのか? ――いや、恐怖心に違いない。

 もう嫌だ。もう嫌だ。

 俺は誰かを傷つけたかったのではない。

 傷つけられたのは、俺ではないか!

 完全に目的を見失ってしまった俺は、ひとしきり走ると歩みを緩め、しまいにはとぼとぼと廊下を彷徨っていた。その頃には心臓の鼓動はすっかり落ち着きを取り戻した。あれだけ騒々しかったのに、いつの間にか誰の息づかいも聞こえてこない。

 殺そうと思ったシドは見失ってしまったし、取り返しの付かないことをしてしまった。これからどうすればいいのだろう。そう考えあぐねていたときだった。


「アイザックさん、こっち」


 CBがひょっこりと角から現れた。CBが曲がり角で手招きしている。彼の顔を見て、心底ほっとした。――そうだ、俺には愛を誓ったCBが居るじゃないか。彼は、俺を無条件で肯定してくれるし、俺の浮ついた気持ちを知っていながらも無償の愛を与えてくれる。彼が居れば、もう何もいらないでは無いか。俺は救われた心地でCBの後を付いていった。

 彼が案内した先には小型ジェット宇宙船が鎮座していた。先日、アルテミス社の貨物船を襲った時に使用したものである。俺はこれで逃げる魂胆だと理解し、人の姿に戻った。


「ありがとうCB。これで逃げるって寸法だな?」


「そういうこと。さ、急いで逃げましょ。荷物は適当にまとめてありますから」


 俺とCBは小型ジェット宇宙船に乗り込む。颯爽とCBは操縦席に着いた。


「……CB。君、宇宙船の操縦もできるのか。器用だな」


 船内医としての確かな技量は認めていたが、流石何でもそつなくこなす男だ。……と感心していた時である。


「いや、操縦なんてしたこと無いです。勘でなんとかします」


 CBは信じられない一言を悪びれることなく言ってのけたのである。


「勘!? ……冗談だよな?」


「俺、医者ですよ? 機械なんてさっぱりですって」


 なんという事だ。逃げる途中、事故で二人とも道半ばで死亡だなんて、あまりにも格好がつかない。かくいう自分も、宇宙船の操縦などできる筈がないし、かといってCBに運転させるのは不安だ。とはいえ、今更シドに許してもらって宇宙船に留まるだなんて、そんな都合の良い話はあるわけが無い。俺は既に多くの仲間を殺してしまっている。

 ――万事休す。そう思った時だった。CBが船外に何かを見つけたらしい。


「……なんか居ますよ」


 CBの目線の先にはハイペリオンとエルク。デッキから呑気にこちらに向かって手を振っている。宇宙船のガラス越しでも分かる大声で何かを言っている。


「あ! やっぱり、いたいたー! アイザック、ユートピアを探しに行くんでしょ? 頑張ってねー!」


 ――その時、この状況を打破できる方法をひらめいた。そうだ、その手があるじゃないか! 俺はとっさに、そいつに向かって大声で叫んだ。


「ハイペリオン! お前も来い!」


「え!? 何で!?」


「船を操縦してほしい! ハッキング、得意だろ? お前ならシステムに干渉して船を操縦できるんじゃないか!?」


「そんな急に……」


 ハイペリオンは渋い顔で葛藤している。横に立つエルクをちらりと見ると、彼は意を決して叫んだ。


「……できるけどさぁ! けど、一緒には行けないよ! 僕にはパートナーがいるんだ! ごめんね!」


「エルクも連れてきたら良いだろ! 俺とお前とCB、エルク。四人が幸せに暮らせる星を見つけに行こう! ……どうだ!?」


 エルクも共に。俺がそのように提案すると、先程までの苦悩はどこへやら、一転して目を輝かせた。


「……なんかそれ、すっごく良いかも! ね! エルクも来てくれるよね?」


 横に控えるエルクに、ハイペリオンが問いかける。


「お出かけですか? 喜んでお供します」


 彼女は相変わらずの平坦な声で答えた。


「よし決まりだ! 追っ手が来る前に乗り込め!」


 エルクにも合意を取れたことで、新しい航海のクルーは決まった。知識が豊富なアンドロイドと、生活スキルに長けたアンドロイド。彼らがいると心強いことこの上ない。二人がデッキからぐるりと回って宇宙船に乗り込むのを待った。


「……ハイペリオン(殺人アンドロイド)を連れて行くなんて、正気です? おまけに女のアンドロイドまで」


 CBは俺とハイペリオンの密約を知らない。だから、ハイペリオンに声を掛けたのは予想外だったのだろう。露骨に不満を滲ませた。


「大丈夫。人外仲間だから」


「なんつー括りですか……って、俺もです?」


「そうだ。俺とCBと奴とエルク。四人揃って、人外同盟ってところかな」


「俺、ヒューマノイドなんですけど」


 呆れ顔のCB。こう言いつつも、彼は頭が良いから彼らを連れて行くメリットを理解している筈である。実際、二人だけだと不安な面が多々あることは容易に想像できた。


「……中々来ないな」


デッキからジェット機までの距離はさほど遠くない。ハイペリオン達に何かあったのかと思い、外を覗くと、ジェット機のすぐ側で、ジャックスがハイペリオンに掴み掛かっている場面に鉢合わせた。


「お前達、よくもやってくれたな! 船が滅茶苦茶だ!」


 普段の理知的な言動と掛け離れた、物凄い剣幕でハイペリオンの胸ぐらを掴んで詰め寄るジャックス。ハイペリオンはその様子を冷めた目で眺めていた。控えているエルクも、いつもの無表情でその様子を眺めている。


「何か言ったらどうなんだ、ハイペリオン! お前も加担するのか! あ、分かったぞ。あの野郎(アイザック)をぶっ殺すんだな? ロッツォを殺したみたいに! それなら歓迎だ! さぁ! さっさとやっちまえ!」


 激昂するジャックスを尻目に、ハイペリオンは俺に向かって静かにこう言った。


「アイザック、よく見るといい。僕が今から彼を救ってみせるから」


 救うとは、どういう意味だろう。ハイペリオンは、人差し指をジャックスの額に向けた。


「何のつもりだ?」


 その指の先端から青白い電流が散った途端、捲し立てていたジャックスが急に黙る。


「…………」


「ジャックス。君は、今からアンドロイドだ。この船を掃除して回らないといけないよ。()()の為にね。彼らが家に帰れるよう、君は仕事を遂行するんだ」


「…………」


 ジャックスは虚空を一瞬眺め――くるりと背を向けると、廊下の奥へとぎこちなく歩いて行った。


「彼に何したんだ?」


「電気信号を脳に送っただけさ。心なんて存外脆いものだよ。さ、急ごう。エルク。足元に気を付けて乗ってね」


「ありがとうございます。ハイペリオン様」


 二人が宇宙船に乗り込むと、急いでドアをロックした。ハイペリオンをコックピットに座らせ、彼の手元を三人で覗き込む。


「頼むぞハイペリオン。お前に全てがかかっている」


「そりゃ責任重大だね」


 ハイペリオンは操縦席に備えられたボタンを迷いなく押し始めた。そして、自身の首からケーブルを一本引き伸ばして宇宙船のケーブル端子に捩じ込むと、鮮やかな手つきでタッチパネルを操作していく。


「あぁ、ハッキングは実に簡単だね。セキュリティが脆弱だ。燃料よし、動力よし、空間条件よし。……射出準備OK――行くよ! 準備はいい?」


「ああ。……行こう、俺たちのユートピアへ」


 ゴゴゴゴ、と機体が振動し始める。ゆっくりと前方のシャッターが開き、小型宇宙船がとうとう宙に放たれた。徐々に加速し、背後に広がるミスティック・エリュシオン号が、次第に小さな影へと変わっていく。

 一ヶ月過ごした宇宙船は、俺から大事な物を奪って、新たに大事な物を与えてくれた。一緒に過ごしたクルーや、みんなで囲んだ食事が恋しくないかと問われると、否定できない。後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、巨大な宇宙船のコックピットから、シドが恨めしげにこちらを見ているような――そんな気がした。


 とうとう、ミスティック・エリュシオン号は星屑のように遠ざかってしまった。乗員の大半を失ったあの船は、どうなるのだろう。シドが新たにクルーを集めるのだろうか? それとも、気が触れた誰かが、残った者を殺して回るのだろうか? いずれにせよ、狂気で満たされたあの宇宙船には、希望が無いような気がしてならない。


 俺たちは、四人で幸せになれる新天地を捜しに旅立つ。正しい世界(ユートピア)を。

 さようなら、シド。もう、振り向くことは無いだろう。

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