23【緑色の宝石】
「ふぁあ……」
ある晩、夕食後。止まらないあくびを押し込めつつ、狭い廊下で人にぶつからないよう気を払って自室に戻る最中だった。
クルーで賑わう喧噪の中、一際明瞭に聞こえる革靴の音――前方からまっすぐにこちらへ向かってくるシドの巨体が見え、思わず立ち止まった。彼は、俺と目が合うとにこりと微笑んだ。
あぁ、やはり。彼は俺に用事があったらしい。
「アイザック。この後、私の部屋に来い」
彼の誘いはいつも唐突だ。常に船長という肩書きに縛られていて、最近は俺に癒やしを求めているように思われる。
続く連続殺人の真相は、未だ掴めていないということになっているからだ。個性的な海賊達を制御しながら、宇宙船が抱える大きな問題を、彼らが納得できる形で決着をつけなければならない。その責任を、船長として一身に引き受けることは相当な負担だろう。
シドにはまだ真実を明かしていない。CBとハイペリオンとは、脱出するその日まで口裏を合わせてあるのだ。
シドに、計画がバレてはいけない。緊張で思わず背筋が伸びた。
「……何の用事で?」
「そんなに身構えるな。お前と飲みたい気分なだけだ。……場所は覚えているな? 前に一度来ただろう。一階の後方区画だ」
「でも、一階は……」
――立ち入りを禁じられている。
それも、目の前の人物に。俺が返答に困っていると、理由を察したらしい。
「……良いと言っているだろう。先に行って待ってろ」
そう言い残して、シドはどこかへ行ってしまった。シドは俺と酒を飲みたいと言っていたが、ただ酒を酌み交わすだけに留まるまい。酒で高揚した俺を、また抱き伏せるつもりなのだろうか。彼との夜を思い出す。身体を巡るアルコールが、シドの甘言が、俺を酩酊させた。リュウへの想いを抱いたまま、それを塗り潰すかのように情事に更けた。あれはどうも、苦い思い出である。以来、酒は苦手だ。
「…………」
シドに首輪を握られている以上、俺に拒否権は無いのだが、困った。シドの命令を無視するわけにはいかないが、あの晩の記憶が、酒のお陰で朧気だ。部屋の場所を覚えていない。だが行かないのも立場を悪くする。一階へ行ったら、どの部屋だったか思い出すかもしれないと高をくくった俺は、自室で休息を取る予定を諦めて、シドの部屋へ向かうことにした。
――吹き抜けから見る一階は、相変わらず陰鬱だ。おそるおそる階段を下りる。軋む鉄階段が、相変わらず不安を増幅させた。底知れぬ闇の恐怖に怯えているだけではない。アハルテケに受けた屈辱的な仕打ちを勝手に思い出してしまって、足がすくんでいるのだった。誰かに見つかったら、シドから許可を貰っていることを大声で叫ばねばならない。でないと、またどんな目に遭うか……。
階段を降りきって、記憶を辿りながら一階を彷徨った。後方部に部屋があると言っていたシドの言葉を思い出しながら、十五分ほど歩いただろうか。
「……ここだっけ」
辿り着いたのは、船の最奥部にある部屋だ。白を基調とした内装が多い中、この部屋の赤茶色の扉は、得も言われぬ存在感を醸していた。
扉を叩く。三度。……そして沈黙。
どうやら、シドはまだ戻っていないらしい。はたまた、この部屋では無かったのか。そっと扉を開いて部屋の中を覗く。
部屋の中は雑然と物がそこら中に溢れかえっていた。シドの集めたお宝だろうか。
部屋の内装に見覚えは無い。やはり、この部屋はシドの部屋ではないようだ。――しかし、このときいけなかったのは、俺が部屋に散らばる小物達に興味を抱いてしまったことだった。
シドが宇宙を旅して集めたお宝がどんなものか、気になった。少し見るくらい良いだろう。俺は好奇心に唆されて、部屋の中に足を踏み入れた。
部屋の中は、埃とカビの匂いが混ざったような、独特の匂いが籠もっている。そこかしこに骨董品やジュエリーが鎮座し、さながら博物館といったところだ。きっとこれらも彼のコレクションなのだろう。水の薔薇に、白い仮面、獣の剥製。価値があるものなのか、俺にはさっぱり分からないが、彼が執着するということは、大事なものに違いない。
最初は興味本位で眺めていた品々も、よく見ると見事な細工が施されているものが多く、いつの間にか出来の良さに感心して見入ってしまっていた。
ふと、部屋の奥にある机が目に入る。その机の上は綺麗に片付いているが、何かがぽつんと置かれていた。筒状の透明な容器だ。
それが何なのか気になって、俺はそれを覗き見る。
その入れ物の中に、球状の何かがゆらりと揺蕩っていた。開いた扉から差し込んだ光が、その何かを照らして、きらきらと緑色に輝いた。
胸騒ぎがした。――これを見てはいけない。
「……リュウ?」
それは眼球だった。二個の眼球が、透明な液体で満たされた容器の中で、ふわふわと漂っている。
俺の息が、急に浅くなる。顔からサーッと血の気が引くのが分かった。
脳裏に、ある恐ろしい可能性が浮上する。その可能性が、次第に現実味を帯びていき、俺の喉元を締め付けた。
まさか、まさか。
「――――美しいだろ?」
「……シド」
いつの間にか、背後にはシドが立っていた。俺の肩に温い手を置くと、俺越しに、その眼球を愛おしげに眺め下ろした。
「ルルイェ人の眼球は、あらゆるヒューマノイドの中で、最も美しい色だと言われている」
シドは、俺の顎をぐいっと上に向かせた。シドの顔を見上げる形だ。そのまま、彼は俺の目を覗き込んで、話を続けた。
「……知っているか? コレクターの間では――」
シドはゆっくりと、俺に言い聞かせた。
「――グリーン・ミスティカと呼ばれている。高額で取り引きが行われる、珍品中の珍品だ」
シドの発する言葉一つ一つが、心臓に氷の杭の如く刺さる。
「……ふふ。光に透かすとまるでオーロラの様に揺らめくんだ。それを眺めながら飲む酒が好きでね」
俺から離れると、透明な容器を持ち上げ、シドは液体越しに俺の顔を覗き込んだ。その目は俺を試すかのように細められている。
「……これ、どこで手に入れた?」
ようやく捻り出した声が、震えている。シドはそんな俺のことすらも、愛おしいものを見る目で見返す。
「さぁ? どうだったかな。念願の品であることは確かだが」
シドは不敵に微笑んでみせた。部屋の空気が、急に重く刺々しく変わる。
「…………殺したな? リュウを殺したんだな?!」
「殺したんじゃない。勝手に死んだんだ。私達が見つけた時にはかろうじて生きていたよ。だが、彼の怪我は酷くてね……。生きたままの保護は難しいと判断したのだ。生きているルルイェ人は、君だけで十分だからな。……それで、新鮮なうちに頂戴しただけさ。死んで時間が経つと色褪せてしまうから、結果的に最高のタイミングで摘出できて良かったよ」
生きたまま、目を摘出したというのか?
紛れもない――命への冒涜だ!
「……殺してやる!」
体中の血が怒りで沸騰するように煮えたぎる。全身の細胞が雄叫びを上げてかたちを変え、俺は真なる姿を肉体の檻から解放させた。めくれ上がった表層の中から緑色の憤怒が溢れかえる。もう、目の前の男を殺すことしか考えられない。
「はははは!! 美しい! そうでなくては、アイザック!」
「******!!」
怒りのままに、シドに掴み掛かりにいく。ぶつかった衝撃で、机から容器が転がり落ちた。
このまま、この男を引き裂くつもりだった。
「私を本当に殺せるか?」
シドは壁にかかっていた三叉槍を掴むと、俺に向かって容赦なく突き立てた。彼の巨体から繰り出されるパワーはすさまじく、腹部に突き刺さった槍が、そのまま身体を壁の棚に縫い付けた。棚に飾ってあった宝が床に落ち、音を立てて壊れていく。
「***!」
シドは部屋を飛び出して、壁面の非常ベルを鳴らし、壁掛けの受話器に向かって叫んだ。
「ルルイェ人が叛逆した! 殺せ! なるべく顔を傷付けずに殺せ! 剥製にするのだ!!」
俺を殺す指示が、船内に放送され響き渡った。シドを追うために腹部に刺さったトライデントを引き抜く。三ツ股に分かれた先端の返しが、はらわたに引っかかって難儀した。ずるりとこぼれたそれを腹の中に押し込めた。
その際、床に転がった眼球が視界に入った。眼球が俺に、「滅ぼせ」と語り掛けていた。
慌てて後を追うと、シドが上の階へと逃げて行くのが僅かに見えた。その後を追って吹き抜けへ向かう。
「死ね、化け物!」
――発砲音。頭に鈍い衝撃と、何かが脳内で弾け飛んだ感覚。発砲音のあった方を見ると、しまった、という顔の男が銃を握ったまま硬直している。顔に当てるつもりは無かったのだろう。
頭部に触れると、ぬるりと生温い脳が指に絡んだ。頭蓋が砕けてしまったらしい。かろうじて残った目で、じろりと男を見ると、その男は悲鳴を上げた。
「…………」
脳細胞は異常な成長速度を発揮し、周囲の脂肪や骨にあたる部分が繊維状に修復されていく。瞬く間に塞がっていく傷を見て、男は顔色を変えて大慌てで逃げ出した。
その後を、追う。
ひたり、ひたり、と粘液で濡れた足跡が続いた。
無論、この宇宙船のヒューマノイドを一人残らず殺すつもりだ。




