17【シド】
「お、シド。珍しいな」
エンブラントがバーを夜間だけ営業しているのには理由がある。営業時間を制限することで、クルーが日中から飲んだくれて規律が乱れるのを防ぐ為だ。酔っ払い達による理性無きトラブルを防ぐ為の、大事な制限だ。毎日の食事に関しても、栄養バランスが良い食事を決まった時間に提供するのは、搭乗員達の心と体の健康を保つのに重要である。エンブラントがクルーの胃袋を掴むことで、宇宙船の治安維持に加えて精神衛生面を良好に保つよう貢献していると言っても過言ではないだろう。
「やあエンブラント。相変わらず盛況だな」
バーは来たのは久方ぶりだった。数ヶ月ぶりだろうか。部下達と酒を酌み交わす事も、信頼関係の構築に必要だと理解しているが、私はうるさい場所で飲む事を好まない。ボトルごと自室に持ち帰って、収集した宝のコレクションを眺めながら一人で静かに飲む方が好きなのだ。
「まぁな。今、物資が潤っているから」
先日、アルテミス社の貨物船から頂戴した物資はアタリだった。食料に、酒に、衣類に、その他趣向品。たんまりと頂戴した。どれも生きるのに必要な物資である。私は、家族同然たる部下が機嫌良く働いてくれるように生活環境を整えることに尽力している。私が用意した場所に、パズルのピースのように誰かがはまって、上手く歯車が回った時に、喜びと達成感を覚える。
「何でも良いから、おすすめの酒を一本持ち帰り用にくれないか? 以前貰ったジンが空っぽになってしまってね」
「あぁ、いいよ。丁度この間の戦利品でピッタリの一本がある」
確か未開封のウイスキーがあったはず……等と独り言を呟きながら、彼はカウンターの奥にずらりと並んだボトルを睨んだ。
「頼んだ。それと、適当に一杯くれ」
「あいよー」
酒を待ちつつ、カウンター席の丸椅子に腰掛けた。椅子が、ギィと苦しそうに軋む。私の恵体の重みを受け止めるには、この椅子は少々窮屈だ。
一息ついてふと横を向くと、数席離れた椅子に座る、ぎょっとする程美しい男――アイザックと目が合った。酒を楽しんでいたのだろう。ほんのりと頬は赤みを帯びていた。部屋に籠もりがちだった彼がバーに来るようになったのは、実に喜ばしい。このまま我が海賊団の一員として馴染んで欲しいものだ。
「おぉ。アイザックよ。……先日の活躍を聞いたぞ。一人、仕留めたんだって? 中々やるじゃないか」
アハルテケ曰く、彼は真の姿に戻り、惨たらしく乗員を殺したらしい。そのように聞いたとき、心底――口惜しかった。凄惨な現場へと出向いて、その姿をこの目に焼き付けたくて堪らなかった。しかし、彼は大人しい性質だと思っていただけに、無理に海賊の真似事をさせてしまったのではないかと心配していたのだ。彼はルルイェ人といえど、臆病だ。ご機嫌取りを兼ねて労いの言葉を掛けると、彼からは似合わない一言が飛び出した。
「……もっと褒めろ」
私は耳を疑った。てっきり、アイザックから少なからず軽蔑の言葉を掛けられるだろうと想定していたからだ。それを……褒めてくれと言ったのか? この男は。実に可愛いことを言うじゃないか。私が驚いて言葉を失っていると、エンブラントがボトルと酒が入ったグラスをテーブルに置きながら耳打ちした。
「コイツあんまり酒に強くないみたいだ。蜂蜜酒を出したら一杯で酔っちまった」
「*****! 俺は酔ってない!」
アイザックの主張にはまるで説得力が無い。大声で叫んで立ち上がり、空になったグラスをいつまでも握りしめている。酔っ払いの典型的な仕草だ。彼にこのような一面があったなんて、意外である。同時に、彼の人間性が垣間見え、胸が高鳴るのを感じていた。
「……何語だ? ホラ、水。これでも飲んでろ」
エンブラントが差し出した水を突っぱねる。
「嫌だ。さっきの黄金の酒が良い!」
「随分駄々っ子になってしまったようだな。……私が部屋まで連れて帰ろうか?」
「そうしてくれると助かるよ。酔っ払って暴れられちゃ困る」
「そうだな。皆の憩いの場は守らなくてはね」
私は、グラスに入った酒を気付けとばかりに一気に流し込んだ。――アルコールが喉を灼く。
「行くぞ、アイザック」
「もっと飲みたい」
「私の部屋で飲もう」
彼は渋々納得した様子で、ふらふらと頼りなく立ち上がった。彼を抱き寄せ、腕に掴まるように手を誘導する。ちらりとエンブラントを見ると、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
「……良い夜を、シド」
「…………あぁ。おやすみ、エンブラント」
どうもエンブラントには昔から敵わない。それに、私の服にしがみつくこの異星人にも。
私の部屋は宇宙船の一階にある。吹き抜けから通じる螺旋状の鉄階段を、ゆっくりと降り、暗い廊下を進む。最奥の宝物庫の横が、自室である。当初、エンジンが五月蠅いからとジャックスに別の部屋を私室に勧められたが、気にならなかった。フロアに響く轟音も、私にとっては女神の鼻歌に過ぎない。むしろ、一人の時間を邪魔されること無く、ゆっくり宝物を愛でられるから、気に入っている。
「んふふ……」
部屋に連れて帰ったアイザックをヴィンテージのソファに座らせると、くったりとソファに寄りかかった。ふにゃふにゃと、うわごとを言っている。私は机にグラスを二つ用意して、貰ったばかりの酒を注いだ。グラスを回して嗅ぐと、スモーキーな香りの中にほのかに果物のフレッシュな奥行きを感じた。上質な酒の香りに、自ずと期待が高まる。
「さぁこっちへおいで、アイザック」
私はアイザックに近くに寄るよう手招きした。彼は、ゆらりとソファから立ち上がると、あろうことか私の膝上に腰掛けた。足に感じる彼の体温が、彼が命ある生き物であることを証明している。凶悪な生命体でありながら従順な彼の姿が、私の底なしの欲望を刺激する。
誰に飼い慣らせようか? この美しい獣を。
酩酊した彼の姿は一段と蠱惑的だ。普段の温和しさが、嘘のようである。こちらが照れてしまいそうなほどの甘やかさが、平常心を掻き乱した。
「アイザック。もう、バーで飲んではいけない。酒は私の部屋だけで飲みなさい」
「どうして?」
「私が嫉妬でおかしくなるかもしれないからだ」
彼は、目を見つめて首を傾げるだけで、私が言った言葉の意味を彼は理解できているのか怪しい。
「……よく顔を見せてくれ……あぁ、美しい。お前の目はルルイェ人の中でも一際深みがある。まるで星雲を閉じ込めた硝子の様だ」
アイザックの蕩けた目をうっとりと眺める。流線型の目が、長いまつ毛で縁取られた瞳の妖しさを際立たせている。
この眼は、私の物だ。そう思うと愛しさと所有欲がじわりと胸に滲む。栗色の髪を漉くように撫でると、彼は気恥ずかしそうに目を伏せた。
「……あんたも物好きだな」
「ふふ。人類とは美しい物に惹かれる生き物なのだ。……突き詰めれば、ただそれだけだ」
アイザックは少し考えたあと、緩んだ舌で私に問いかけた。
「なぁ……おれを……どうするつもりなんだ。コレクションって言ったって……。俺は物じゃないぞ」
意外にも彼は、初めて会話したときの事を覚えていた。
「無論、私の物にする。宝石は持ち主の側で輝いているだけで十分だ。……だが……たまにこうやって触れる事を許してはくれないだろうか?」
私はそっと彼の腰に手を回す。その手が欲望を孕んでいることに気が付いたのか、彼は今更慌て始めた。
「――おれ、そんなつもりで来たつもりじゃ」
「私もそんなつもり無かったよ。しかし、こんなにもお前が可愛らしくなるとは思っていなくてね。……このまま部屋に帰すには惜しい」
柔く抵抗するアイザックを抱き寄せて密着する。巨体である私が抱くと、平均的な身長の彼がずいぶんと小柄に感じた。その体格差に怯えたのか、アイザックは私の腕から逃れようとわずかに身じろいだ。
「……逃げないでくれ、アイザック」
そのまま抱き上げ、彼をソファにそっと寝かせる。見下ろす彼の顔は、緊張でこわばっていた。
「……ッ」
「……私なら、君を骨の髄まで愛せる。君の心の虚空も、怒りも、全てひっくるめて」
これは嘘でも何でもない。彼を誰よりも愛し、可愛がってやることもできる。アイザックがルルイェ人の恋人を探し回っていることは知っている。その孤独感は私がいずれ埋めてやれよう。その虚空を埋め切ったとき、彼は完全に私の物になる。
――想像すると興奮が頭を支配していく。幻滅はされたくない。私は、理性的な男を演じた。
「……怖いのか?」
アイザックの肩が震えている。
「…………怖い」
「私はアハルテケのように乱暴に抱かない。優しく、丁寧に触れると誓おう」
「…………」
黙ってしまった彼の額にキスを落とす。このまま頭から喰らってしまえそうである。髪の柔らかさを鼻先で堪能し、そっと顔を離すと、彼は目を泳がせていた。強く拒絶されるものだと思っていたが、満更でもないらしい。
あぁ、愚かだ。それ故、愛しい。
――沈黙は肯定である。
彼の衣類を一枚ずつ、反応を楽しみながら剥ぎ取った。肌触りの良い滑らかな肌が心地いい。手のひらに吸い付くような瑞々しい手触りがたまらない。それに、しっかりと筋肉の付いた、バランスの良い肉体は古代の彫刻を想起させた。
全てが私好みだ。身体だけでなく彼の心さえ手に入ってしまえば、どれだけ満たされるだろう。彼の白い肌に口付けると、彼の吐息が漏れた。口を離すと、まるで花弁のような痕が残る。首、鎖骨、胸――。彼の肌が色付いていく。
「ん……」
互いに、熱を帯びていく。私の指先が触れると、彼はびくりと身体を震わせた。――あぁ。私の物にする、第一歩がようやく進む。歓喜で浮かれないよう、私は煮えたぎる情欲を隠し、紳士的に振る舞うのであった。
◇
◇
◇
脱力したアイザックを抱きしめる。互いの汗が混ざり、このまま溶けてしまいそうだった。彼という存在をこうして征服できたことの悦びたるや、この上ない。
「アイザック……。愛している」
濡れた唇にキスをしようとすると、ふいと横を向かれた。どうやら、まだ心を許しては貰えていないらしい。あれだけ乱れたというのに、残った矜持が純潔を守ろうとでもしているのだろうか。
まだ、私の物になりきっていない。
良いだろう。面白い。
代わりに頬にキスを落とす。彼は時間をかけて、ゆっくり、じっくり煮詰めるよう私の物へと変えて見せよう。今はただ、彼を逃げられないようにこの腕に抱きしめておかなければならない……。あぁ、逃がさない。死んでも私の物だ。今はただ、この温もりを味わっていよう。
見つめたアイザックの蕩けた瞳に広がる深淵の奥に、星が一つ瞬いて流れた気がした。




