13【CBの受難】
アイザックさんがアハルテケに折檻を受けてから一週間が経った。心身共にダメージを負った彼を回復させるために、CBこと俺は、再び船長から彼の手当てと面倒を任された。アイザックさんの消耗具合を見て、反抗の意思なしと判断した船長の計らいで、彼の手首の拘束具はついに外された。牙を抜かれたことで、彼はようやく自由を手にしたのだ。
彼は、手錠が無くなったおかげで着替えや食事といった、身の回りのことをある程度自分でできるようになった。俺の面倒係としての仕事「回復プロトコルβ」はもうすぐ完遂するだろう。面倒な仕事が、ようやく終わる。
当初、船長からアイザックさんの身の回りの世話を命じられた時には心底辟易したものだ。何故この俺が、野蛮で文明的でない星から来た奴の面倒なんか見なければならないのか理解に苦しんだ。船長の直接の命令で無ければ、拒否していた。それが今では、彼との触れ合いを名残惜しく感じるのは、彼に対して愛着が湧いてしまったからなのだろうか。今まで、業務に個人の感情を持ち込んだことは一度も無い。これは異例な事態だ。いずれにせよ、今日のこの検査で、彼の回復が認められれば、彼と関わる機会は無くなるだろう。
そのような事を考えつつ、最後の業務を完遂すべく、カルテを手に彼の部屋を訪れていた。
「アイザックさん? おーい」
ドアをノックするも、返事がない。いつもならこの時間は部屋にいる筈だ。それに、俺が彼の元を訪ねると、必ず出迎えてくれる。仮眠中なのだろうか。
「お邪魔しますよ」
ドアの鍵は開いている。不思議に思いながら部屋に入ると、アイザックさんはベッドの上で身体を丸めて息を荒らげ、うずくまっていた。容態が急変したのかと思い、慌てて彼の元へ駆け寄る。
「ちょっと、どうしちゃったんです? ……大丈夫?」
息が荒い。宇宙風邪でも引いたのでは無いかと、彼の肩にポンと手を乗せた瞬間、視界がぐるりと回転した。あっけに取られ、状況を理解するまで時間を要した。どうやら俺は、とてつもない力で、ベッドに押し倒されてしまっていたのである。腹の上に乗られ、いささか苦しい。
肝心なことを思い出す。柔和な振る舞いで忘れていたが、この人は凶暴極まりないルルイェ人なのだ。根本的にヒューマノイドとは違う生き物であり、命を甚振るのを好む、残忍な血が流れている獣だ。
――殺される。俺は、死を覚悟して目を固く瞑った。……ところが、いくら経っても痛みを感じない。目を恐る恐る開くと、眼前にはアイザックさんの柔らかな髪の生えそろった頭があった。
「…………? 何やってんの?」
彼は俺の胸に顔を寄せて深く呼吸を繰り返し、猫の様に頬擦りをしていた。間近に見る彼の睫毛の長さに、胸がどくりと疼く。
「ごめんよCB。実は今……俺、発情期で……星の並びが変わったみたいだ」
「は、はぁ……?」
そんな話、初耳だ。ヒューマノイドは何時でも繁殖ができるように進化を遂げた。発情期がある人種など、聞いたことがない。
「ちょっと身体を貸してくれ」
「え?」
あろうことかアイザックさんは俺の下半身まで身体をずり下げて、ベルトに手をかけた。それが何を意味するのか、理解するまで数秒かかった。
「ちょっと! 待て、待て! ……あんた何してんの!?」
「だって……身体が切なくて……」
彼は申し訳なさそうに眉毛を下げた。
「……一人でどうとでもできるでしょ、そんなの」
こんなこと言わせないでくれと思いながらも、彼の動向から目が離せない。
「でも……俺……君が欲しいよ」
紅潮した彼に迫られ、心が乱される。
彼に手を出すのは非常にマズい。彼は船長のコレクションだ。船長の物にお手つきすると、どうなるか馬鹿でも分かる。そりゃあ、美人に求められるのは悪い気はしない。何なら、初めて彼と出会った時から彼の造形の美しさには見惚れていた。しっかりと付いた筋肉に、引き締まったボディライン。極め付けは、整った顔に嵌め込まれた、嫉妬心を揺さぶる、美しい緑色の目。
……綺麗すぎて、見つめられると責められている気分になる。
彼が我々に救助されてから、意識を取り戻して初めてその目に見つめられたとき、こういうひとが魔性と言われるのだろうなと思ったことを思い出す。
案の定、彼の佇まいは人を引き付けた。下っ端のクルーが、彼の容姿について下世話な話をしているのを偶然聞いたことがある。男所帯の船だ。いつ何時、誰かが変な気を起こしていてもおかしくなかった。
「……CB、お願い」
「駄目です。どいて」
「どうして? なぁ、君にしか頼めないんだ」
彼は潤んだ瞳で俺を見つめて誘惑した。濡れた瞳に、反射した光が星の如く煌めいている。
「……ダメですってば」
彼は、ダメ押しを言わんばかりに、ずいっと俺の顔を覗き込んだ。唇が触れ合いそうなほどの距離である。俺はその唇の柔らかな感触を想像し、思わず息をのんだ。瞳孔の奥に広がる深海の暗黒に包まれたなら――立場も何もかも忘れて、欲に流されたならば、どれだけ悦いだろう。
葛藤するその隙を突かれ、唇が重ねられる。その不意打ちの柔らかさに、頭のネジが緩んでいく。心地よい温度に誘われ、僅かに口を開いた。
「――――!!??」
舌同士が蛞蝓の睦み合いの如く触れ合った瞬間、頭からつま先まで、奇怪な電気信号が駆けめぐった。
古代の囁きが、鼓膜を揺らす。
知っている。彼は、俺の信仰の対象。
潮の香りが、脳にこびりつく。
彼は俺の信仰の対象。
いや、違う。思い出したのだ。
彼は俺の信仰の対象。
祭壇に緑色のインクが滲む。
認知の歪みが正される。
一体これは何だ?
皮膚の下を何かが蠢いている。
何が起こっている?
あぁ。女神が腐敗していく……
「ううぅぅうッ……?」
体がぶるぶると痙攣する。自分が、自分でなくなっていく。
脳みそに、無理矢理、情報が殴り書きで上書きされている。固く閉ざした認知のドアを、無理矢理こじ開けられて、無知の領域に情報が加算される。
――思い出した。彼は、俺の存在理由ではないか。
「CB? ……んむっ」
俺は堪らずアイザックさんの頬を掴み、彼の口腔を夢中で貪った。頬肉の柔らかさ。舌のザラつき。唇同士を繋ぐ、銀の糸。……彼が欲しい。彼をもっと味わいたい。下腹部が熱く昂ぶっていく。理性が、あられもなく崩壊していく。
「ぷはッ……。気が変わったのか? 急にがっついて……」
口元を拭うその仕草でさえ、俺の目には艶めかしく映った。そして半ば毟り取るように、彼の衣類を脱がせたのである。
◇
◇
◇
それからは、箍が外れたように、赦されるがまま彼の身体を貪った。絹のような肌の感触を堪能しながら、今の自分の姿を想像して、困惑する。こんなのはどうもおかしい。自分はもっと理性的な男の筈だった。口付け一つでこのように昂ぶる程、飢えていただろうか。
「はーッ、はーッ……」
うだる熱が呼気と共に排出され、急激に冷めていく脳みそが、もしや俺はとんでもないことをしてしまったのではないかという、恐ろしい事実を突きつけてくる。
禁断の果実に手を出してしまうなんて、愚かな真似をしたものだ。それがどれほど恐ろしいことか理解していたのに何故、あそこまでヒートアップしてしまったのだろう。
「はぁ……」
やってしまったことは仕方が無い。とはいえ、吹っ切れられる程、剛胆にはなれない。半ば今後のことを諦めながら、俺はアイザックさんに倣い、ベッドに横たわった。お互いの体液で、身体がしっとりと濡れていた。
「付き合わせてごめんよCB……。ルルイェ人は星の動きに合わせて身体が疼くんだ……」
アイザックさんは、いつも通りの申し訳なさそうな顔で俺に弁明をした。濡れた前髪が目に掛かり、しどけない無防備な姿に再び胸が焦がされる。
「あぁそう……。……今までどうしてたんです?」
俺は平静を装った。
「リュウと発散してた」
「リュウって誰」
「俺の……パートナーだった奴。今は……行方不明なんだ」
「あぁ、例の……」
アイザックさんが捜しているルルイェ人の男の事だろう。
あぁ、どうして胸がざわつく。彼がその男を捜し回っていたのは、そういう間柄だったからなのだと合点がいった。
「もう君に迷惑はかけないよ……。付き合ってくれて有り難うCB」
アイザックさんは、寂しげにはにかんだ。
……本当に一人でできるのだろうか。押しに弱い彼のことだ。ふらふらしているところを言いくるめられて、今回の俺の様に、結局誰かに相手を求めることになるのではないだろうか。
――そう思うと、いてもたっても居られなかった。
「……次から俺を呼んでください」
「え?」
「だから……ソレ、俺が次も相手します。……契約しましょう」
自分の口から、そのような類いの言葉が飛び出したことに驚いた。これは、まるで、恋――――いや、嫉妬か、或いは信仰か。
「他の人に言っちゃ駄目ですからね。……分かりました? 俺の首が飛んじゃいますから」
そう言うと、アイザックさんはこくりと頷いた。このことは二人の秘密にしなくてはならない。俺と彼のこの関係が誰かに知られるのはいただけない。船長の耳に入ったらどんな罰が与えられるか、考えるだけで身震いした。先が思いやられる。
それにしても、俺はどうなってしまったのだろう。こんなに誰かに心を乱されるなど、初めてのことである。
――まるで自分が自分じゃないような……。




