10【夜警】
その晩、館内が消灯された真夜中。宇宙船に内蔵されたセシウム時計に従って、ヒューマノイドは皆眠りにつく時間である。
俺はそっとベッドから抜け出した。部屋の扉には俺が勝手に出歩かないように管理するためロックが掛けられている。
静かに息を細く吐く。神経を集中させ、両手の指先に力を溜めた。
スライド扉に指を深く突き立て、力任せに押し動かすと、ロックシステムは容易に壊れた。扉を倒さないよう慎重に開き、俺は足音を立てぬよう、廊下へ繰り出した。夕焼けのような色の照明が、廊下を妖しく染めていた。長く伸びた影を、誰かに目撃されるのではないかと不安に思いながら、なるべく壁にピッタリと張り付くようにして移動した。
立ち入り禁止を言い渡され、ジャックスに阻まれた一階にはやはりなにかある。頑なに俺を立ち入らせないのは、隠したい事があるに違いない。そんな確信を胸に、吹き抜けを足早に目指した。
三階から見下ろす吹き抜けは、夜間に見るとより一層陰気だ。まるでブラックホールのようにぽっかりと開いた深淵が、訪れる者を飲み込もうとしている錯覚さえ覚えた。音を立てぬよう鉄階段を下り切ると、昼間、ジャックスと話した場所に出た。相変わらず、エンジンだかモーターだか、機械が稼働する音が獣の唸り声のように鳴り響いている。その轟音の隙間、僅かに物音が聞こえた。慌てて階段下の空間に身を隠す。
――音が近付いてくる。息を潜めてその正体を待ち構えていると、暗闇から現れたのは小さな掃除ロボット。どうやら物音は、ロボットの走行音らしい。ロボットが廊下の奥に走り去るのを見送って、ほっと息を吐いた。
一階はどうやら船の機構が集結している階らしい。扉にはエンジンルームやら酸素供給室やらが書いており、宇宙船の心臓部だということが分かる。俺を一階に近づけたくなかったのは、信用の無い部外者を重要な機構から遠ざける為だったのだろうか。
探索を続けていると、宇宙船の後方側に、ドアと床の隙間から冷気が漏れる部屋を発見した。引き戸の取っ手を握ると、氷のように冷えている。鍵は掛かっていない。
俺はそっと引き戸を開けて、隙間から中を覗いた。凍てつく冷気が、目の粘膜を撫でた。部屋の詳細は、暗くてよく分からないが、どうやら冷凍室のようだ。何かが載った棚がいくつも並べられ、その縁に霜ができている。この船は巨大な豪華客船だ。大量の食糧を貯蔵するための部屋なのだろう。そう納得して、別の場所を探索しようと振り向いた瞬間である。
「――――?!」
球体らしき何かが、こちらに向かって飛んできた。あまりの速さで飛来するそれを視認するのは容易でない。なんとかそれの影を捉えるので精いっぱいだった。握り拳ほどの大きさの、透明なガラスのようなものでできた球体。その中に、液体が揺らめいているのをわずかに視認した。俺は瞬時に顔面を腕で覆う。球体の顔面への直撃を免れたが、腕に当たった衝撃で割れた球体から、液体が飛散してモロに被ってしまった。鼻につく刺激臭が飛散する。ガラスの破片と液体が床に飛び散った。
問題は、これが何かということよりも、誰が投げつけてきたのかだった。
球体が飛んできた方向を見ると、見覚えのある男がひたひたと近づいてきた。暗闇の中でも目立つ、白銀の髪。――アハルテケだ。
「……ルルイェ人、ここで何してた?」
「お前には関係ないだろ」
迂闊だった。こんな真夜中に、まさかアハルテケが巡回しているとは思いもよらなかった。俺が凄むとアハルテケは激昂した。
「関係ないだぁ? ……誰が床掃除すると思ってんだァ!?」
投げてきたのは君だろう――そう反論する余地も無かった。アハルテケは無遠慮に殴りかかってきた。その拳を紙一重で避けるも、背後の通路は行き止まり。次から次へと繰り出される鋭いパンチに次第に追い詰められていった。このままだと、この話の通じない男に無茶苦茶にされてしまうと本能が警鐘を鳴らしている。やられっぱなしは性に合わない。俺は両手を拘束する邪魔な手錠を力ずくで引きちぎった。
「へぇ……?」
アハルテケの目が、細められる。俺は自由になった両手で彼の拳をいなし、なんとか応戦する。――だが、仮にアハルテケを打ちのめしたとして、そのことがほかのクルーに知られたらどうなるだろうか? 相応の報復に遭うだろう。とりわけ不味いのは、リュウがいるかもしれないこの船から追放されることだ。なんとかアハルテケに釈明して、この場を見過ごしてもらわなければならない。彼の拳をやり過ごしながら説得を試みた。
「話を聞いてくれ! あぁもう、本当に人の話を聞かないな、お前は!」
説得も虚しく、アハルテケは依然手を止めない。平和的に解決しようといった考えは、彼には全く無いようだ。
「後でじっくり聞くからなァ!!」
「どういう意味……」
そう問いかけようとした瞬間、ガクンと膝の力が抜けて床にへたり込んだ。まるで、足が棒になってしまったかのように言うことを聞かない。突然の事に混乱していると、鈍い痛みが脳を揺らした。左頬にアハルテケの拳がクリーンヒットし、俺は床に倒れた。アハルテケはそのまま、俺に馬乗りになると容赦なく何発も殴りつけた。口の中に血の味が広がる。
「何、を……?」
「ルルイェ人とまともにやり合うバカはいねーよ」
身体に力が入らない。こんな奴、跳ね除けてやり返すのは造作もない事だ。それなのに、どうしても起き上がれない。腕や脚が鉛のように重い。思い当たるのは、先ほど浴びてしまった謎の液体だ。
「さぁ、来てもらうぜ」
アハルテケは俺の服を乱暴に掴むと、俺をずるずると引き摺りながらどこかへと向かい始めた。不味い、逃げなくてはと思うものの、全く身体が動かない。
回らない頭と、意思に反して閉じようとする瞼。俺は必死に意識を繋ぎ止めようとしたが、意識が遠のいていった。




