第三十五章 【生きている“理由”】
重い空気と暖かさが広がる室内で、フランソルは凍り付いていた。
数日前、治癒士として彼は“リヴィアは問題ない”と判断していたからだ。
シルヴァンは“兄の部下”、そして“友人”として立ち尽くしている。
この場にいる誰もが、“正しい言葉”を持っていなかった。
二人が動くことを忘れて、どれほど時が過ぎただろうか。
リヴィアの魔力の弱々しい揺らぎを、ただ感じ取るだけの時間だった。
暖炉の火を調整する使用人の影が、邸宅に広がっている不安の色を濃く映し出している。
薪の爆ぜる音に、リヴィアの睫毛がかすかに震えた。
「リヴィア様……!」
家令が思わず以前の呼称で主を呼び、それに反応したシルヴァンが口を開きかけ――しかし何も発されることはなく、うっすらと開かれたラベンダー色にただ安堵したように、膝を折る。
フランソルは無意識に脈を計ろうとした自分に気付き、踏み出しかけた足を留まらせていた。
二日後、落ち着きを取り戻したスノウレイ邸を、リュクスが訪れた。
「あのとき拾ったのは俺だからな」
情ではなく、善意でもなく、義務ですらない、“拾う”という“自分の選択の後始末”のため。
さっぱりとした冒険者の倫理は、今のリヴィアにはいっそ心地がよかった。
「──会いに行くつもりだったんだろ。でも、戻るつもりはなかったと」
問いかけも、責めもしない。けれど逃げ道も与えない。
それがリュクス・フェンリルという冒険者の誠実さだった。
「……そう、見えましたか」
死にたかったわけではない。
生きる先を想定していなかっただけ。
だって、“帰る場所”を、もう持っていなかったから。
「ま。これ以上は、俺の仕事じゃねえさな」
背中を見せた彼が置いていったのは、ただひとつの気付き。
──私は、誰かのために生きてきたつもりで……
いつの間にか“生きているふり”をしていただけだった。
第三十五章 了




