第三十四章 【異常なし】
真珠色の髪の輝きは鈍く、分け隔てのない穏やかな笑みで知られるその貴族は、優秀な治癒士とは思えない弱り方をして見えた。
先ほど王都外へと出て行ったばかりの青い髪の冒険者が、四半刻も経たぬうちに戻ってきていることに、門兵が気付いた。馬の背に、二人いる。
「──馬を止めてください」
指示に従い、リュクスは手綱を引いてフォルドを止めた。
失礼いたします、と門兵は馬上の二人の身を改めようと歩み寄る。
「スノウレイ伯爵……?」
彼女の異変を目にした二人の門兵は、身分証・紋章の確認を手早く済ませ──顔を見合わせて頷いた。
「確認しました。……お通りください」
門を潜り抜けた先の人々の目は、いつもならば向けられることは少ない。
だが今は、空気を伝って伝播するように、好奇と心配が綯い交ぜになった視線が集中した。
「あれって……伯爵様……?」
そこかしこで囁く声がリュクスの耳に届いてくる。
身分の外にある冒険者の肩を借りている違和感や、感情の抜け落ちた表情、歩き方のおかしさ……スノウレイ伯爵家の“悲劇”を知る者はすべてを察し、自然と口を閉ざした。
その異常事態に多少の心配はあれど、近寄ることはなく、ただ距離を保っている。
道が、開けた。
*
スノウレイ邸の門前に、ほとんど同時に二人の影が駆け込んできた。
ひとりは、蒼天戦域への出立を翌日に控えた騎士。
もうひとりは、霧灯街の治癒院に籍を置く治癒士。
「──通してください」
シルヴァンの声は、平静を装っていたが、息が乱れている。
隣に立つフランソルは、それを隠そうともしなかった。
顔色は紙のように白く、唇がわずかに震えている。
「今、リヴィアはどこだ」
門番が応答する前に、フランソルが一歩前に出た。
「……戻ってきたんです。ですよね」
「伯爵閣下は、先刻お戻りになられています」
その言葉に、二人は同時に息を呑んだ。
戻った。
――それは、無事を意味しない。
「誰が、連れてきた」
「……冒険者の方が」
それだけで、十分だった。
シルヴァンは拳を握り締め、フランソルは一瞬、目を閉じた。
想像してしまったのだ。
雪の中に伏せる体。
体温を失いかけた皮膚。
“治す側”が、治される側になった光景を。
「案内を」
それ以上の言葉は、必要なかった。
邸内は、異様なほど静かだった。
使用人たちは仕事をしている。
床は磨かれ、暖炉も整えられている。
だが――空気が、張り付くように重い。
「……奥へ」
案内役の声が、必要以上に低くなる。
扉の前で、フランソルが足を止めた。
治癒士としてではない。
家族として、立ち止まった。
「……シルヴァン」
名を呼ばれ、彼は頷いた。
ここから先は、逃げられない。
扉が開かれる。
ベッドに横たえられたリヴィアは、目を閉じていた。
雪を払われ、衣服を替えられ、温められている。
外見だけを見れば、眠っているようにも見える。
だが。
「……体温が」
フランソルが、無意識に呟いた。
治癒士としての感覚が、先に答えを出してしまった。
戻り切っていない。
「魔力は……?」
「反応が、鈍い」
それは、枯渇とは違う。
拒絶でもない。
――使おうとしていない。
「……ああ」
シルヴァンが、低く息を吐いた。
「これは、壊れたんじゃない」
「……」
「“戻る場所を、全部失った”状態だ」
フランソルは、何も言えなかった。
言葉を持つ前に、理解してしまったからだ。
治癒士として。
従弟として。
彼女が、今どこにも立っていないことを。
「……間に合わなかった、な」
誰に向けた言葉でもない。
だが、その場にいた全員が、それを理解した。
雪は、もう溶けている。
だが――彼女の中に入り込んだ冷たさは、まだそこにある。
第三十四章 了




