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第三十一章 【何も起きない】

 書類の角を揃える。

 引き出しを開ける、閉める。

 インク瓶の角度を整える。


 目的がなくても、行動すること自体はできる。

 シルヴァンは、そんな印象をリヴィアの動きに抱いた。


 どこかおかしいとは感じるが、今は触れないほうがよさそうだ。

 彼女は壊れているのではなく、“何も感じないまま正しく振る舞っている”ように見えたから。


 俺が訪れたやや後に、リヴィアの従弟のフランソルが顔を見せた。


「リヴィア……!」


 彼はディーゼレッテ家の跡取りであることから前線に出ることは少なく、霧灯街の治癒院で、主に貧民たちへの診察を引き受けている。

 リヴィアの様子を知り、駆け付けたのだろう。


 治癒士としての性質か、俺との挨拶もそこそこに、顔色の優れない彼女の手首を取った──その瞬間。

 フランソルが驚いたように、わずかに目を見開いた。


 きっと、抜け落ちたような体温なのだろう。そう直感した。


 魔力や睡眠、食事の話。

 リヴィアの“静養状態”の確認を進める度、フランソルの肩から力が抜けていく。


「ちょっと体温は低いけど……問題はなさそうだね」


 ──本当、だろうか。


 疑問が転がり出そうになり、口を噤んだ。

 治癒士の分野に、騎士が疑問を抱くこともない。


 半刻ほど三人で過ごしたが、時々会話のリズムが狂いやすい程度。


「リヴィア、今日は無理に話さなくていいのだぞ」


 一瞬、返事をしようとして、リヴィアは静かに頷いた。


 *


 シルヴァンとフランソルは、雪の降る空を見るような視線をリヴィアへ残し、スノウレイ邸を後にした。

 一人になった書斎に、また空虚が訪れる。


 何度目かもわからない、デスクの整理。

 ただ書類の角を揃え、またしまい直すことを繰り返した。


 三段目の引き出しを開けたところで、意識の外に追いやっていた父と弟の遺書を改めて見つけてしまい、間髪入れず──けれど、静かに、引き出しを閉めた。


 無為に時を過ごしたのだと教えてくれたのは、黄昏色の雲。

 穏やかに形を変えていくそれを、無感動に見つめていると、誰かが夕食が整ったと告げに来た。


 今日という一日は、何も起きなかったまま──確かに、削れた。




 第三十一章 了

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