第十四章【守ることと、信じること】
リヴィアが去ったあと、アシェルはしばらく、その手の温度が消えないことに気付かなかった。
冷たいとも温かいとも言えないそれは、柔らかな棘となり、確かに心に楔を打っているはずなのに。
その背を止めなかったのは──信じているからだと、自分に言い聞かせた。
一度だけ胸甲を指先で小さく引っ掻き、アシェルは砦の修繕指揮に戻っていく。その影は、いつもよりも濃いように見えた。
砦の防壁の崩落箇所に指示を出していると、視界の端に影が差した。
振り向く前に、軽い足音で分かる。
「忙しそうだな、隊長殿」
振り返ると、あの冒険者──リュクスが、修繕用の資材箱に腰掛けていた。
戦場にいた時と同じ、どこか掴みどころのない目。
「用件は何だ」
「別に。……さっきの治癒士の姉ちゃん」
アシェルの指先が、一瞬だけ止まる。
「ちゃんと、守ってたな」
その言い方には、称賛も皮肉もなかった。
ただ事実を述べただけの声音。
「けどな──」
リュクスは立ち上がり、砦内にある、治癒班の方角を一瞥した。
「守ることと、信じることは……同じじゃねえ」
それだけ言って、踵を返す。
「……何が言いたい」
背を向けたまま、彼は肩をすくめた。
「もう分かってるだろ。分かってるから、その顔してる」
言葉としても感情としても反応を返せず、ただ先ほどの小さな違和感が胸で反響し始めた。
──守っているはずなのに、届いていない。
私とて既に分かっている。
だが、他にやり方が、あるのか。
立ち去っていくリュクスと擦れ違いに、末弟が早足で私のもとへ寄ってきた。
「アシェル兄、冒険者さんのパーティが支度してくれたスープ飲みなよ」
異国のスパイス効いてて美味いよ、と差し出されたひとつのカップ。
レオンは調子の良い性格だが、人の心を察知し、緊張を和らげることに長けている。
私は──それほど張り詰めていたのか。
左手でカップを受け取り、右手で少し乱れている髪をくしゃりと撫でた。
「もう、アシェル兄も俺をガキ扱いする……!」
「弟として扱っているだけだ」
「ほんとかよ……」
じとりとした視線を受けながら、変わった香りを放つスープを口にした。
思っていたよりも冷えていたらしい身体──心にまで、温かさが沁みるようだった。
「……なあ、アシェル兄」
「ん?」
「俺をさ、中衛に配置してよ。前衛とまでは言わないから」
思わず噎せてしまうような、レオンらしからぬ要望だった。
咳き込みながらも末弟を見遣ると、滅多に見せない真剣な眼差しをこちらに向けている。
「俺、アシェル兄に守られるより……もっと、信じられたいよ」
信じるとは、背中を預けることではなく──前に出ることを許すことなのかもしれない。
──守ることと、信じることは……同じじゃねえ。
青い髪の冒険者の声が、耳元でこだました。
第十四章 了




